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更新日:2026年6月24日
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今年は築城開始から450年!織田信長が天下統一の拠点とした安土城
「安土城築城450年」のPR看板制作を発表
近江八幡市で建築・内装業を営む企業・株式会社マンケン(水原一夫会長、水原俊彦社長)は、安土城築城450年をPRする大型看板を同市安土町中屋地先にある同社が所有する田圃に設置すると発表した。
設置資金を広く募るクラウドファンディングも実施し、8月頃に完成する予定という。


安土城
安土城は、織田信長が天下統一の拠点として、この近江の地に、当時の技術と文化の絆を集め築いた天下無双の大城郭で、信長の天下布武の理想を日本全国に、そして世界へ知らしめる拠点となった場所。

[アプリで復元された安土城]
安土山での築城は、織田信長が武田勝頼を長篠の合戦で打ち破った翌年の天正4年(1576)に始まった。
築城開始から3年後の天正7年(1579)には天主が完成しての信長が移り住み、居城としての安土城が完成。
しかしその3年後、天正10年(1582)に本能寺の変で信長が自害すると、城は明智光秀の手に渡り、光秀が羽柴秀吉に敗れたすぐ後に天主・本丸は消失した。
それでも、安土城は織田氏の天下を象徴する城として、秀吉の庇護のもとで信長の息子の信雄や孫の三法師が入城を果たし、信長の跡を継ぐ者であることをアピールした。
しかし、天正13年(1585)、小牧・長久手の戦いで信雄(信長の息子)が秀吉に屈すると織田氏の天下は終焉を迎え、安土城はその役目を終えて廃城となった。

[安土山俯瞰]

[安土城址石碑遠景]

[大手正面]
令和8年度の発掘調査開始
県では、安土城の実態解明を進めようと、これまで昭和から平成にかけ調査・整備を行ってきた。
当時の最高技術と芸術を集大成したとされる安土城の全体像を解き明かそうと、令和5年度(2023年度)から20年におよぶ「令和の大調査」に取り組んでいる。
これまでの3年間では、天主台の東側を中心に調査を実施し、破城の跡や建物跡などが確認されている。
4年目となる今年は、天主台北西側から南東側の石垣周辺の区画計601平方メートルを調べる計画で、6月4日から調査が始まっている。
年内には現地公開なども予定している。
R8調査場所:伝ニの丸北東隅と、天主台北西面・西面・南面・南東面の4面(近江八幡市安土町下豊浦)



