戦後の復興において、近畿圏では、阪神間の臨海地帯に重化学工業の工場が立地し、大量の工業用水が必要となりました。その水源を地下水に依存したことから、大阪湾を巡る地域の地盤沈下が著しく生じました。また、大阪府などの水道水源の多くも地下水を汲み上げて使用していたため、地盤沈下地域が拡大し内陸部にまで及びました。
地盤沈下の影響として、大型台風による淀川下流域での浸水被害がたびたび発生しました。そこで、地盤沈下を防止するため、地下水の汲み上げが禁止されました。
また、都市圏を中心に人口が増加したことに伴い、水道用水の使用量の伸びが著しくなり、工業用水とともに地下水に変わる代替水源が求められました。
そこで、淀川から取水している大阪府、兵庫県は、渇水時においても安定して取水でき、住民の生活や産業活動に影響を及ぼさず、同時に増大する水需要に対応できるようにするためには、琵琶湖の水利用に頼らざるを得ない状況となり、琵琶湖総合開発の構想が進められました。
(参考資料)琵琶湖総合開発 25年のあゆみ