●大津市
[焼夷弾]
●守山市
[焼夷弾]
●野洲市(旧中主町)
[焼夷弾]
●甲賀市(旧信楽町・旧甲南町)
[機銃掃射]/負傷者3名
●彦根市
旭森国民学校付近/負傷者5名
●彦根市
[焼夷弾]
●彦根市
城南国民学校付近[爆弾]
死者10名・負傷者10名(彦根市史による)
●大津市
東洋レーヨン[爆弾]/死者16名・負傷者104名
・パンプキン爆弾(模型爆弾)の投下
→パンプキン爆弾とは、本物の原子爆弾と同様の形状・重量になるように製造したもの。
→原爆投下の 訓練のため全国各地に投下され、多くの犠牲者を出した。
●東近江市
八日市飛行場周辺[爆弾・機銃掃射]/死者2名・負傷者不明
●彦根市
近江航空・鐘紡等[爆弾]
国鉄・近江鉄道電車[機銃掃射]死者6名・負傷者35名
●東近江市(旧八日市市)
飛行場付近[爆弾・ロケット弾、機銃掃射]/死者4名
●長浜市
鐘紡[爆弾・ロケット弾・機銃弾]死者1名・負傷者1名
●米原市
米原駅[爆弾・ロケット弾・機銃掃射]死者1名
●彦根市
近江航空・鐘紡[爆弾・ロケット弾・機銃掃射]
●東近江市
・飛行場[爆弾・ロケット弾・機銃掃射]
・八日市[機銃弾]
●大津市
滋賀海軍航空隊[機銃掃射]
●大津市
大津陸軍少年飛行兵学校[爆弾]/死者1名
滋賀海軍航空隊[爆弾]
●守山市
守山駅の列車[機銃掃射]/死者11名・負傷者24名(守山市史による)
●近江八幡市
列車[機銃掃射]/死者2名
安土駅[爆弾・機銃掃射]/負傷者1名
●東近江市(旧能登川町)
日清紡[爆弾・機銃掃射]/死者1名・負傷者1名
●東近江市(旧永源寺町)
[機銃掃射]/死者2名
●東近江市(旧五個荘町)
南五個荘国民学校[爆弾・機銃掃射]
●彦根市
[ロケット弾・機銃掃射]/負傷者2名
●彦根市
[爆弾]
●豊郷町
[爆弾]
●近江八幡市
貨物車[機銃掃射]
●米原市
米原駅[機銃掃射]
●野洲市
[機銃掃射]/死者2名
滋賀県では、1925(大正14)年に陸軍軍備縮小によって大津聯隊区司令部が廃止されました。
この年以降、日中戦争の頃までは軍事施設は存在しませんでしたが、神崎郡八日市町(現在の東近江市)には、1922(大正11)年設立の飛行場がありました。
八日市飛行場は満州事変から拡充され、太平洋戦争時には飛行戦闘部隊が編成されて、ここから戦地へと向かいました。
1941(昭和16)年4月、大津市に大津連隊区司令部が復活しました。
太平洋戦争の頃から大津市にも軍事関係施設が設置されるようになり、大津海軍航空隊、滋賀海軍航空隊、大津陸軍少年飛行兵学校などが開設されました。
また、1945(昭和20)年の春頃から、比叡山ケーブルの終点付近に、特攻兵器の一種である「桜花」の基地をつくる作業が進められました。
●大津連隊区司令部 大津市
●滋賀海軍航空隊(滋賀空) 大津市
●大津海軍航空隊(大津空) 大津市
●大津陸軍少年飛行兵学校 大津市
●比叡山桜花432型ロケット基地 大津市
●饗庭野演習場 高島市(今津町)
●八日市飛行場 東近江市
→八日市飛行第三聯隊・第八航空教育隊・八日市陸軍航空分廠など
●木曽飛行場 多賀町
●船木飛行場 高島市(安曇川町)
戦時中、滋賀県には連合軍兵士などの捕虜を収容する施設がありました。
大阪の捕虜収容所の分所として開設され、いずれの収容所の捕虜(当時は俘虜と呼ばれていました)も琵琶湖内湖の干拓などの作業に従事しました。