満州国が建国されると、満州は日本の兄弟国で、広大な新天地で、だれでも大地主になれると宣伝されました。
しかし、国による満州への移民計画はなかなか計画どおりには進まず、そこで、昭和13年から15歳から19歳の少年で移民団を組織し、満州へと送り出すことが始められました。
これが満蒙開拓青少年義勇軍です。
彼らは、農兵隊として、開拓だけではなく、国境警備にもあたり、昭和20年8月の旧ソ連軍の侵攻の際に戦死した人も多くいました。各県ごとに割り当てがあり、滋賀県からは832人が参加したという記録があります。
朽木村村長から各区長にあてた「満蒙開拓青少年義勇軍募集ノ件依頼」
(昭和13年3月7日)
第二期募集で、滋賀県の割当数は500名となっているほか、内地訓練約2ヵ月間、現地訓練約3年間のほか、「役場に申し出れば役場が手続一切をすること」「独立の農家になるまではいっさい費用はいらない」などが書かれています。