高橋助男さんは豊郷町で運送業を営んでいました。家族や家業のことを気遣う助男さんは戦地から登栄子さんへ120通あまりの便りを出しました。
昭和20年5月19日、助男さんはニューギニアにて戦死しました。
久しく御無沙汰だった 何ヶ月振りにか便りが出来る事を喜んで居る
今頃内地では雪も解けて暖い春の陽光に裏のクロッカスが可愛く咲いて居る頃だらう
長い間内地の便りに接する事が出来ず気掛りだがどうする事も出来ない
家内の者皆んな達者で暮して居る事と思ふ 美栄ちゃんは五ツになったんだネ、佐智ちゃん二人共お利口して居ますか 月を見、星を眺めては思ひうかべて居ります
当地は相変ず暑い酷熱で毎日汗して敵機の空襲を受け乍ら御奉公に邁進致して居ります 幸ひ生き長らへて至って元気だから安心を乞ふ 何分野菜が無い為め 椰子の新芽やカボチャの芽を味噌汁にして頂いて居る次第です 其の上水が悪質で弱らされ 内地の生水がグット一杯と思ふネ
営業の方はどうなったらうか?辻野叔父様が大変困って下さった事思ふ どうかよろしく伝えて呉れ
お隣りや親類へも御無沙汰だよろしく
きぬ子へとお前宛各五十円送金した きぬ子へは学資の為め
皆んな元気で (二月二十七日付)
便り待ちたるに来ず 登栄は出たるも列車の都合とあきらめる
今日は佐智子の誕生日だ 健に成育する様北満より祈って居るぞ
先日写真もらったが最近のものでもう少し大きなのを送ってくれ 佐智子、美栄子、二三子、登栄子皆なのを頼む メリーはどうして居るか元気か 相変らず美栄子はこわがるかい
頼んで置いた綱は新聞紙で包んで早く始末せよ。洋服は出来るだけ洋服タンスに吊してホドヂン等を入れて吊る様にせよ。吊り切れぬ分は紙箱を日光に当て洋服に風を通して新しい新聞紙に包みホドヂン等を思ひ切って多く使用せよ。洋服ダンスの引出にある證券、證書等は金庫の方に入れること それから事務室にある厚表紙に綴ってある事業組合関係の書類今後も全部綴ってくれ 組合へ二口四十円支出とあるが意味がわからぬ 一口二百円のはずだ。
ガス用木炭消費組合の出資はどうなって居るか 九月には商工大臣宛に木炭車の状況報告をしてもらわねばならぬと思ふ治平叔父にまかせきりとせずお前も気を付ける様にせよ
タイヤー中袋の販売停止は解除をくれたか?券一枚あるはず大切にせよ。
明日は亡母の命日だ 菊の鉢は皆人の手に渡った様だが花が咲けば少し返るはずだ 大根をまく迄に五月の鉢を菊の棚に運べ 菊はふやせ松の木のそばで お隣の勝間のお爺さんにトウエンメーの掛図代を支払ってくれましたか?忘れぬ様に願ひます。
(八月二十八日付)
八月末日以来内地の便りが参りません 今月の二十五日頃には内地よりの船が入る様にも聞くニュースがどっさりと来る事だろう心待に待って居る
内地ではもうそろそろ夕方には涼しい秋風が吹く頃だ厄日はどうだったろうか 無事に橘の花が実を結んでくれたろうか?九月二十五日と云ふとそうだ大陸から懐かしい故郷の土を踏んだ日だ あれから二年たらずにて又御奉公する身となった そうして一年余月其の間常夏の酷熱と戦ひ或は砲煙弾雨にさらされ乍ら武運強く生き伸びて今尚元気旺盛で奉公出来得る事は神仏の御加護に依るものと感謝して居る
いまだ手柄を立てる機会を得ず残念に思って居るが時期作戦には何んとしてもと思ひ それには先づ何を置いても健康体でなければならないと身体には細心の注意を払って居る 幸ひにも内地に何の心残り心配もない事だ
営業は順調で伯父様ががっちりと守って下さるし皆んな家族の者が達者である事はこんな嬉しい事はない。
僕は戦地に来てしみじみお前の良さ知った そう云えば内地にいた時は私の良さをちっとも認めていてくれなかったのだワとお前はふくれるかも知れない だが僕達は多忙な仕事によって新婚旅行の計画は二人でたて乍ら行く事が出来なかった 花園に舞ふ小蝶か竜宮に遊ぶ浦島の様に楽しかるべき新婚生活五ヶ月にしてお召しにより大陸に渡った 其の間に美栄子は産れ社会の人となり又人の子の母となって苦労を重ねた事だろう その慰安と新婚旅行のやりなほしで北陸の温泉に行くべく楽しませて置き乍ら無事帰って見れば仕事が待って居る 世は非常時だ どうしても温泉行きの暇を与えて呉ず お前の里へ挨拶に行って一泊した切りだ お前は無情な夫だ冷たい夫だと思ったらう 僕もすまなく思って居る
現在では営業があり二人の子供を抱へて全く苦労ばかりでいらいらする事もあるだろう だがそれを幼ない美栄子や佐智子に当り散らして童心を傷付けぬやう心掛て呉れ。お前は俺の完全な妻であればいいのだし 子供の為には立派な母であってくれ 妹も淋しいだらう良き姉であれ
(九月十七日付)