病身のお父さんを抱え商売に励むお母さんを気遣って、息子の三郎さんが中国大陸から出したハガキです。
お父さんは昭和19年3月に亡くなりました。
そして、三郎さんも昭和20年5月9日に戦死しました。
前略御免下ださい。
長らく御無沙汰致して居ます 先日ノ母上様のお便りありがとう御座居ました。
皆々様ノ元気である事をしりよろこんで居ます けだし自分も元気で毎日軍務にはげんで居ます。
又母上様には毎日の商売にいそがしい事と思ひます。 母上様の何かのたしになるかと思ひまして小金を送りました 受取下ださい。 自分の事は何にも心配しないで下ださい。
皆々様の健康を御祈りして居ます 又の便り さようなら
(昭和18年6月18日付)
前略御免下さい。
長らく御無沙汰致して居ます。小兵も元気で毎日毎日軍務に邁進致しております故他事乍ら御休心下さい。
家内の事は十月の御手紙で聞いて母上様の御苦をおさっしいたします 又兄上様も御同上の事と思ひます父上様の事、お願ひ致します此の頃の事を御聞かせ下さい。
自分は十二月一日付に上等兵になりました。自分もそうそう軍務に邁進致す 小寺様は元気でおられます。隣組の皆々様によろしくおつたへ下さい。西岡、笠間様によろしく。
父上様の事をお便り下さい。又の便りで さようなら
前略御免下さい。
長らく御無沙汰致して居ます。お手紙ありがとう御座居ました。父上様が長らく御病気中の処一生懸命に、母上様又皆々様、十二分御介抱の御暇だになき急遽の御別れとなり自分も驚き手紙をランプの元で読・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
母上様又兄上様御苦を掛誠にすみませんでした。
母上様毎日四時半に起られて、商売されていると聞、母上様の身上を心配致して居ます。 故此の上は御身大切に先ず御悔みまで
三月三十日、さようなら