戦時中の労働力不足を補うために学生・生徒が動員されたことを勤労学徒動員といいます。
はじめの頃は食糧増産のため農業などを不定期で手伝っていましたが、昭和19年からは義務化され中学の上級生以上の全生徒が工場に配置されました。
滋賀県でも多くの中学校、女学校の生徒が、琵琶湖の干拓に従事したり、滋賀県内や名古屋方面の軍需工場にでかけました。
○日の丸はちまき
(大津市 土井節子さん提供)
昭和19年、大津高等女学校5年生の土井さんは、滋賀県女子勤労報国隊の一員として愛知県の岡本工業笠寺工場に動員されました。
このはちまきをしめ、作業に従事したそうです。
○写真 綿向山のふもとでの日野高等女学校の稲刈りの勤労奉仕
(写真提供 東近江市[八日市市]中島美佐子さん)