-国を守らなければという気持ちが、特攻へ駆り立てた-
細井巖さん(大正12年生まれ 東京都)
礒谷彰さん(大正12年生まれ 東京都)
昭和20年になると、陸軍八日市飛行場は、九州の前線基地に向かう特攻隊の燃料補給や機体整備のための中継基地としての機能も果たすようになりました。
6月、陸軍特別操縦見習士官2期生の細井さんと礒谷さんは、沖縄特攻を目的とした陸軍特別攻撃隊「と219隊(殉皇隊)」員を命じられました。
沖縄出撃に向けて八日市飛行場で待機中、沖縄戦が終結し、引き続き本土決戦特攻に備えることになりました。
2人は、八日市飛行場で特攻出撃の命令を待ちながら、体当たりする訓練を繰り返しました。
琵琶湖に浮かぶ竹生島を敵艦にみなして、島の手前まで低空飛行を続け直前で機体を引き上げ急降下したりするのです。
雨などで飛行訓練ができない時には、兵舎内で「どうすれば犬死することなく、見事、敵艦に突入できるか」「どこに当たれば、敵艦に大きな損害を与えることができるのか」といった教習などをしていました。
「特攻隊員は、必中・撃沈。自分が生きようとする気持ちは誰も持っていなかった。日本男児として国を守っていかなきゃならん、そういう思いだけでした。」
しかし、細井さんと礒谷さんは、終戦を八日市飛行場で迎えました。
「多くの仲間が特攻命令を受けて出撃していく時に、次は俺たちも行くぞと見送っていたのです。後に続くあるを信じ、先に殉じていった多くの戦友たちを思うと、残された私たちの心には割り切れない思いがありました。」と2人は語っています。
明くる日、礒谷さんは愛機に乗り、出身地の大津市山中町上空をピッケ(急降下急上昇)して、皆に終戦の喜びを伝えました。