-夜になると、しくしく泣く声が聞こえた-
横山義淳さん(昭和11年生まれ 長浜市[余呉町])
昭和19年、横山さんが余呉国民学校2年生の時、大阪市北区の松ヶ枝国民学校の5年生の女の子たち23名が学童疎開でやってきて、横山さんのお父さんが住職をしていた残景寺の庫裏の二階で生活をはじめました。
学童疎開の子どもたちは、横山さんと同じ余呉国民学校に通いました。
その頃、学校では、教材もなく授業がなくて、農作業などの勤労奉仕ばっかりでした。
横山さんは、当時のことを思い出して、次のように話してくれました。
「一番覚えているのは、お姉ちゃんたちが、夜になると悲しくて、しくしく泣くってことですわ。やっぱり淋しかったんでしょうね。母親が面会に来ていたのも、まざまざと思い出します。大阪から着物を着たおかあさんが子どもを抱いてね、涙ばっかりでしたね。来ないおかあさんもいてね、その子は夜になるとしくしく泣いて、かわいそうでした。」
住職だったお父さん、お母さんと5歳の横山さんも写っています。