-ロケット式の特攻機発射基地づくり-
杉嶋賢治さん・三田伊弘さん(大正10年生まれ 大津市)
昭和20年、杉嶋賢治さんは比叡山鉄道・坂本ケーブル駅に勤めていました。
当時、すでに観光客はおらず、ケーブルカーはお寺参りの人のために動いているといった状況でした。
やがて、滋賀海軍航空隊(滋賀空)が比叡山ケーブルを利用して比叡山山頂に海軍基地をつくるということになりました。6月に工事が始まりました。
三田伊弘さんは、滋賀空の整備科分隊約100名を引率して基地建設の作業に従事しましたが、何を目的とした基地なのかは知らず、グライダーでも飛ばすのかと思っていたそうです。
比叡山の山頂に建設していたのは、特攻兵器のひとつ「桜花」の発射基地でした。
「桜花」はロケット式の特攻機のことで、“人間爆弾”といわれていました。
急ピッチで工事が進められた「桜花」発射基地は7月に完成、発射実験も行われたそうですが、終戦後、米軍により爆破され、あとかたもなくなってしまいまし た。
比叡山の「桜花」発射基地に関する公的文書は見つかっておらず、防衛研究所戦史資料室に、基地建設の責任者であった人物のメモ書き(昭和40年7月記述) が所蔵されているだけです。
それには「桜花」の攻撃訓練のための発射基地であったと記されています。
訓練基地なのか、それとも実用のための基地だったのか。いずれにしても、人命を無視した特攻兵器に関係する施設が比叡山にあったということは事実です。
飛行機の胴体を載せるため、
車体のワクがはずされてほとんど台車だけになったケーブルカー
(比叡山鉄道(株)提供)