-狙われた大津陸軍少年飛行兵学校-
尾形重男さん(明治42年生まれ 大津市)
大津陸軍少年飛行兵学校は、昭和18年4月に飛行兵不足を補うために 開設されました。
期間は1年間で、そこでは、中学3〜4年生程度の学力養成とグライダー訓練など飛行兵としての基礎訓練が行われました。
そして、昭和19年6月からは、大津市内の中学校の生徒への飛行訓練も行われるようになりました。
終戦直前の昭和20年7月30日、大津陸軍少年飛行兵学校の教官の尾形重男さんは、将校集会室(現在の大津市立市民文化会館のあたり)で昼食をとっていました。
突然「バリバリッ」と音がし、「バーン」とロケット弾の炸裂する音がしました。
尾形さんは、とっさに窓から飛び出し、ちょうど食堂から出てくる生徒たちの方に駆け寄り、大声で「伏せろ」と叫び、彼らを地面に伏せさせたそうです。
それは、米軍の艦載機による空襲でした。
倉庫(靴などの修理工場)に落ちたロケット弾の被害により、坂本出身の女性一人が亡くなりました。