-能登川の捕虜収容所の話-
奥村庄治郎さん(明治30年生まれ)
宮居伝二さん(昭和8年生まれ)東近江市[能登川町]
奥村さんは、若い頃フィリピンで8年間働いていました。そのため、英語を話すことができました。
戦争末期、能登川町(現東近江市)伊庭にオーストラリア兵等を収容した捕虜収容所ができました。
終戦になると捕虜収容所には通訳が必要になりました。そこで、英語ができる奥村さんがその役を引き受けることになったそうです。
連合軍の飛行機からは、落下傘で衣服・毛布、チョコレートやキャラメルなどが入った箱が投下されました。
生鮮食糧は入っていなかったので、元捕虜の人たちは村の人たちに卵などとの交換を頼みました。
言葉がわからない村の人たちとの間で奥村さんの英語はたいへん役にたったそうです。終戦当時、子どもだった宮居さんは、元の捕虜人たちからチョコレートやチューインガムなどをもらったそうです。
当時のおやつはトマトやかき餅・あられといったものでしたから、チョコレートなどはとても珍しかったといいます。