-学童疎開中に父を失った少年-
秋元一三さん(昭和10年生まれ 大阪市)
秋元一三さんは、大阪市南区の大宝国民学校(現在の小学校)の4年生。
昭和19年8月31日、滋賀県犬上郡西甲良村(現在の甲良町)に集団疎開しました。村の人たちはとても親切にしてくれ、楽しかったこともたくさんあったようです。それでも、いつもお腹がすいていて、家族と離れた寂しさはつらかったようです。
子どもたちがとても楽しみにしていたのは、家族との面会でした。
一三さんのお父さんも面会に訪れ、風呂場でそっと食べ物を食べさせてくれたそうです。
そのお父さんが、 昭和20年7月末、駅で機銃掃射にあって亡くなりました。
その後、一三さんは、西甲良村を離れ、家族がいる三重県名張市に向かいました。
大阪にあったお父さんの工場が戦災にあったため、家族で三重県名張市に移ったことやそこに新しい工場を建設し、一三さんを呼び戻そうと考えていることなどが書かれています。
この手紙を書かれた直後にお父さんは機銃掃射の犠牲になりました。