-役場の兵事資料を持ち帰った兵事係-
西邑仁平さん(明治37年生まれ 長浜市)
西邑さんは、大正11年18歳で役場に入り、昭和5年から終戦まで兵事係を勤め、軍司令部から届く召集令状(赤紙)の伝達や戦死公報の通達のほか、入隊先への慰問や銃後活動の事務なども行っていました。
昭和20年8月15日、終戦と同時に、大本営から、兵事に関する重要書類は虎姫警察署へ持参せよとの命令が下り、その他の書類についても焼却せよとの命令が下りました。
その命を受けて、西邑さんは「お国のためにと、戦争に行かれた方の苦労や功績が無駄になってしまう」と思い、資料の大半を、夜中たった一人でリヤカーに積んで持ち帰りました。
「燃やしてしもたら、終いになる。隠しちゃれ、思うたんや。こういう事があったということをね。後の者のために残しておこうと思たんや。進駐軍に知れたらアカンと思て、誰にも言わなんだ。嫁にも内緒やった。そらぁ、怖かったけど、今、思うとね、残しておいて、良かったんや。」
西邑さんが保管していた資料は、動員日誌や徴兵検査の書類など約九百点にも上ります。
これには「現役身上調査」「壮丁名簿」などが収められています。
西邑さんは、村の成年男子に関して詳細な身上調査を行い、書類を作成し、大津連隊区司令部に送りました。
西邑さんは、警察を通じて、大津連隊区司令部から届く赤紙を速やかに配達するために、演習用の赤紙を使って、配達の練習をしたそうです。