滋賀県平和祈念館は、
県民の戦争体験を語り継ぎ、戦争の悲惨さや平和の尊さを学び、
平和を願う心を育むための拠点となる施設です。
-日中戦争で戦死した夫-
中川キクさん(大正7年生まれ 高島市[新旭町])
中川キクさんは、京都の製作所で働く豊助さんと昭和16年に結婚し、京都で暮らし始めました。
豊助さんに召集令状がきたのは昭和18年12月30日のことです。
勤務先はその日が御用納めで、豊助さんは午後6時過ぎに帰宅しま した。
召集令状はすでに届いていたのですが、これから楽しいお正月を迎えようとしている矢先のことでしたので、キクさんはそのことをすぐに豊助さんにいうのを躊躇したそうです。
キクさんは、子どもたちとお風呂に入った豊助さんが、お風呂から出ると、召集令状がきたことを告げました。
豊助さんの年代(当時 29歳)なら、いつかは召集がくることを覚悟していましたが、「せめてお正月がすんでからだったら」というのが、キクさんと豊助さんの正直な気持ちでした。
1月7日に豊助さんは自宅を出発しました。
豊助さんが出征すると何をする気もおこらなく、2日間べったり床につくキクさんでした。
昭和20年5月、キクさんと二人の子どもは、京都から新旭町(現高島市)のキクさんの実家に疎開しました。
その1ヵ月後、中国中部で豊助さんが戦死したという通知が届きました。
送られてきた豊助さんの遺品の中に入っていた白紙の遺言状。
出征する時には「もう帰れない」と覚悟していた豊助さんでしたが、中国大陸に渡ることになって「すぐには戦死することもあるまい」という気持ちではなかったかとキクさんは推測しています。
そして、キクさんは「何も書かれていない遺言状からは、主人のさまざまな思いが伝わってくるように思います」と語ってくれました。
遺品の財布。
豊助さんが若い頃から持っていたもの。
この財布を見て、キクさんは豊助さんの戦死を実感したそうです。
入館料 | 無料 |
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開館時間 | 9時30分~17時(入館は、16時30分まで) |
休館日 | 月曜日・火曜日(祝日にあたる場合は開館)・年末年始・※その他業務の都合により休館する場合があります。 |
滋賀県東近江市下中野町431番地
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