-夫の出征後、一人で支えた日々の暮らし-
竹井静さん(大正2年生まれ 高島市[新旭町])
竹井静さんは、日用雑貨・たばこ店を営む角蔵さんと結婚しました。
5人の子どもにも恵まれ、7人家族でにぎやかに暮らす竹井さん一家でしたが、昭和19年6月、「教育召集」という白い令状が角蔵さんあてにきました。
1ヵ月の予定の召集でしたが、一度休暇がもらえただけで、角蔵さんは、戦地へ赴かなければなりませんでした。
「教育召集は1ヵ月で終わりやと思てたんで、覚悟なんかできてませんがな。主人は34歳、間に合うような兵隊やなかったんです。もうおじいさん、おばあさんは死んではったんで、私一人で5人の子どもを。もう何が何だかわからなんだ。」
と静さんはいいます。
そして、角蔵さんは、昭和19年11月、中国中部の陸軍病院で戦病死しました。
静さんは、角蔵さんの出征後、一人で家族を支えてきました。
「主人が出征した時分はまだよかったんです。うちの店にも売るもんがありましたけんども、だんだん、だんだんないようになって。ほんまにきびしなったのは、戦後です。 店には何にも売るもんがのうなって。ほんで、たまーに、タバコと砂糖の配給もんがチョコチョコッと。子どもたちは、みんなよう手伝ってくれました。昔はみんな手仕事でしょ。掃除に風呂焚き。お風呂は井戸から水くんできて、まきで焚く。こんなことはみんな子どもの仕事でした。」
と静さんは厳しい生活だった 当時を振り返ります。