-カナダ移住と太平洋戦争-
K.Kさん(明治42年生まれ ) M.Kさん(昭和3年生まれ)彦根市
Kさんは、カナダから一時帰国した男性と見合い結婚し、1927(昭和2)年にカナダのバンクーバーに渡ります。
ハウスワーカーとして働き始めたKさんは、半年くらいで英語を話せるようになり、M君を筆頭に3人の男の子にも恵まれました。
しかし、当時は子どもの教育は日本でという考え方が一般的だったため、長男と次男は昭和12年、夫の母とともに滋賀県の八坂に帰りました。
昭和16年2月、Kさん夫婦は三男とともに一時帰国し、14年ぶりに故郷を訪れました。それは、家族全員が久しぶりに揃った時でもありました。
3ヵ月後、再びバンクーバーに戻ったKさん夫婦は、そこで開戦の日を迎えました。
翌年の9月、Kさんは強制収容所から戻った夫とともに、バンクーバーを離れ、ロッキー山脈の雪深い廃坑の町サンドンでの生活を余儀なくされました。
2年後には、再び別の町ローズベーリーへ移動させられたKさんたちは、そこで終戦を迎えました。
Kさんは、故郷にいる二人の息子の安否を気づかいます。そして、故郷の八坂では、父母や弟の消息が途絶えてしまい、心配するM君たちの耳には「日本人は山奥へ連れ去られ、一所で殺されたらしい」という噂話も聞こえてきました。
終戦からしばらくして、M君からの手紙がKさんの元に、同じ頃Kさんの手紙がM君の元に届き、お互いに無事を確認することができまし た。
やがて、家族全員で暮らすことを望んだKさんたちは、昭和21年のクリスマスイブの日(12月24日)、最後の引揚船で帰国の途につきました。