-レイテ島で戦死した夫-
上原いよさん(大正8年生まれ)・四郎さん(大正3年生まれ)高島市[新旭町]
新旭町(現高島市)に暮らす上原いよさんは、昭和19年、激戦地フィリピン・ レイテ島で戦死した夫の四郎さんについて次のように語ってくれました。
「主人と結婚したのは昭和16年、私が数えで 22歳の時です。
せやけど、いっしょにいたのは9ヵ月だけ。召集令状がきて出征しました。どこにいるのか全然わからなかった。
しばらくして、フィリピンから手紙と写真が送ってきたんです。
昭和18年、マニラからこっちへ帰ってきましたが、またすぐ行かはりました。娘の和子の顔は、その時見てはる。ちょうど和子の1歳の誕生日ぐらいやったから。
戦死したときの様子は全くわかりません。うちの人は衛生兵やった。戦死公報がきたのは昭和22年7月頃やった。
それまでは、戻ってくると思って待ってました。主人のことを聞きに易者さんにも行きました。せやけど、どこで見てもらっても、死んでるなんてことは言わはれへんかった。」