-軍事訓練が中心だった青年学校-
谷口春二さん(昭和3年生まれ 東近江市[八日市市])
谷口春二さんは、国民学校(現在の小学校)高等科(2年)を卒業すると青年学校に入学しました。
青年学校は、中学校などに進学しない若者が働きながら学ぶことができる学校でした。
女性は裁縫を習ったりしていましたが、男性は軍事教練を中心にしたカリキュラムで構成されていました。
谷口さんも
「青年学校は、軍隊入営までの予備訓練を受けているようなもので、学校の一室にハンモックをつるし、2泊3日の泊まり込みで軍事訓練を受けることもありました。」
といいます。
そして、青年学校の校舎の中には兵器室があり、銃や帯剣などが整備されていたそうです。
青年学校在学中に予科練の試験に合格した谷口さんは、昭和20年1月、土浦航空隊に入隊しました。
レーダーで敵機を発見することなどを学ぶための「電測学校」に半年間派遣されましたが、勉強は半分で、あとは連合軍の上陸に備えての穴掘りの毎日だったそうです。
その後、舞鶴警備隊付きになった谷口さんでしたが、そこでの仕事も穴掘りで、そんな毎日を送っているうちに終戦になったそうです。