-炭坑に徴用された甲賀郡の人々-
早川清太郎さん(大正9年 甲賀市水口町)
城山善三さん(大正9年 甲賀市甲南町)
昭和17年、甲賀郡で20人前後の男性が徴用工として九州・福岡県の三井三池炭鉱に行くことになりました。
当時貴生川村(現在の甲賀市水口町)の役場に勤めていた早川清太郎さんは、徴用された人々を引率して三池炭鉱まで行き、現地に一週間滞在しました。
その時には、実際に炭鉱の現場で作業もされたそうです。
「工事用エレベーターで地下1000メートルまで下がり、そこからトロッコに乗って横に入り、先山に入る。そして削岩機で穴をあけ、発破をかけて石炭を出す。炭鉱での経験が全くない徴用工の人たちも、すぐにこのような掘削作業に従事させられた。」
と早川さんはいいます。
京都の丁稚奉公先から故郷に戻り、農業に従事していた城山善三さんは、昭和17年1月頃に、三井三池炭鉱への徴用の通知を受け取りました。
ちょうど農閑期で期間も3〜4ヵ月程度だったので、城山さんは「徴用の通知があっても別に何とも思わなかった」といいます。
城山さんたちの担当は、石炭を掘り出している最先端の「切羽」というところでの石炭積み込み作業でしたが、農業青年の城山さんには、それほどきつい作業内容ではなかったそうです。
城山さんは当時を振り返り
「ただ、坑内の暑さには参った。4月のはじめ貴生川に戻ったが、坑内の暑さから逃れられたことがなによりうれしかった。」
と語ってくれました。