-学徒動員中に被爆-
石井義雄さん(大正10年生まれ 大津市)
現在の甲賀市水口町出身の石井さん。
広島高等師範学校(現・広島大学教育学部)の学生だった昭和20年、石井さんは三菱造船所に学徒動員中でした。
8月6日午前8時15分、広島に原爆投下。
石井さんは爆風で割れた窓ガラスの破片で頭や顔を負傷しましたが、翌日には、 広島高等師範学校附属中学校の生徒の救援にあたりました。
「救援といっても、屋根の下敷きになってしもて、みな死んでるんです。燃えて熱い熱い瓦を除いて発掘する作業を私たちはやってたんですわ。」
石井さんたちは、少年たちの身元を明らかにするため、遺体を掘り起こし、ゲートルや帽子などに書かれた名前を探し続けました。この1日の救援活動のため、石井さんは二次被ばくを受け、原爆症を患うことになります。
『背骨まで炭化していたという中学生たち』
『造船所の診療所へ運ばれてくる重傷の火傷をおった人たち』
『市電の線路に横たわる負傷者たち』
『川の中で亡くなっている被爆者たち』…。
当初は、何が起こったのかわからなかったという石井さん。
原爆投下直後の広島で石井さんが目撃した悲惨な光景は、たった一発の原子爆弾がもたらしたものでした。