-戦争末期の竹やり訓練-
北川多喜造さん(昭和9年生まれ 彦根市)
終戦の年、北川さんは鳥居本国民学校(現・鳥居本小学校)5年生。
農業を営むお父さんが、手作りの竹やりを持参し、訓練に出かけたという記憶があります。
戦争末期、連合軍の日本本土上陸に備えて、武器が不足 していたため国民は竹やりでそれを迎え撃つことになり、そのための訓練が全国各地で行われました。
「竹やり訓練用の竹は、夏の土用がすんで、闇夜周りに切った竹は虫がつかんでよいということでしたが、まだ土用は先やったで、その時あった竹を切ってきてこしらえました。先端がかたくなるように、油をつけて、火であぶっていました。」
お父さんは、自宅から7、8キロ離れた訓練場所まで竹槍を持って歩いていきました。そんなお父さんを見送りながら、北川さんは「そんなもんでええのかいな、ちゅうなもんですね。」と不安な気持ちになりました。