-寂しそうな顔をして見送った父-
外池泰造さん(大正12年生まれ 蒲生郡日野町)
身体が弱かった外池さんは、20歳の徴兵検査の時に“外池泰造、第三乙種合格!”と言われ、「やっぱり、兵隊に行かれると思ったときは、そらぁ、嬉しかった。兵隊に行かれへんもんは、クズみたいに言われる。兵隊に受かったとき、もう日本晴れのような気持ちやった。」と言います。
しかし、両親は悲しみを隠せませんでした。昭和19年11月、出征の日、戦場へと向かう我が子への思いを断つことが出来なかったお父さんは、こっそり、大阪まで泰造さんの後を付いて行きました。
「まさか、大阪で宿を取っているとは知りませんでした。部隊に入るちゅう時にね、父がね、寂しそうな顔をして敬礼してはるねん。わしは喜んで敬礼をしてるねんけど、父は寂しそうな顔をしてて、それが最後まで目に焼き付いていたね。」
その後、戦場へと旅立った泰造さんは、騎兵隊付きの衛生兵として中国各地を転戦し、何度も生死の危機に遭遇しながら、中国のチンカンエという小さな村で終戦を迎えます。
泰造さんが両親の元に戻ったのは、捕虜生活を経た後の昭和21年5月でした。
息子を心配する余り、出征の日より床についていたお母さんは、帰国を知らせる泰造さんからの電報をうけて、すぐさま床上げをし、お父さんは「“復員”やなしに“福入り”や」と大喜びしました。