-初めて弾がヒューンヒューンと来た時はびっくりした-
峯森清夫さん(大正12年生まれ 高島市)
昭和19年2月に現役で入隊した峯森さんは、新兵教育もそこそこに、ビルマ戦線に向かいました。すでにビルマ(現ミャンマー)は英軍に制空権を握られており、峯森さんの部隊は、装甲車や戦車で進んでくる敵に対して、歩いて防御しながら、インパール作戦から下がってくる兵隊達を収容していきました。 補給もなく、マラリアと栄養失調で骨と皮だけになった兵隊達は、もう助からないと思い、手榴弾で自爆する者もたくさんいました。
だんだんと戦いは熾烈を極め、峯森さんの鉄かぶとの真上を弾が飛び交います。
「敵の観測機が陣地を観測して、皆向こうの陣地に連絡しよる。枝でうっとうしいなるくらい偽装して、木のかたまりのとこへ身を寄せてても、向こうは知っとるさかい、弾が飛んでくるんですわ。何時敵が来よるかわからんで、手榴弾も安全栓抜いて、銃口を立てて。ほしたら、戦車砲の砲撃を食ろたんや。ものすごい爆風や。」
死んだと思った峯森さんが気がつくと、偽装は吹き飛んでしまい、胸のあたりまで砂に埋まっていました。
初年兵ですさまじい野戦場に身を置いた峯森さんは、「戦争ちゅうなもんはせんこっちゃ。ほんなもん、ひどいもんや。」と断言します。