-日赤救護看護婦の出征-
西浦一ゑさん(明治41年生まれ 甲賀市[信楽町])
西浦一ゑさんは幼い頃から看護婦になろうと心に決めていました。それは、看護婦なら兵隊さんと同じ戦地に行くことができるからでした。昭和3年、日赤の看護婦になった一ゑさんは、終戦のときには婦長として中国大陸にいました。夫の武夫さんの待つ懐かしい滋賀県に帰ったのは昭和28年のことでした。中国で日本に手紙を出すことを許された一ゑさんは「武夫さんは再婚していませんか?」とたずねます。そして武夫さんが待っていることを知らされます。
昭和12年9月 の出征の記念写真、
一ゑさんが胸につけている赤十字の記章
下の写真は、県庁前での歓送風景