-終戦後の苦悩の日々-
神戸幸子さん(大正10年生まれ 米原市[伊吹町])
滋賀県満州報国農場は昭和19年、旧ソ連、朝鮮との国境近くにできました。それは満州で食糧増産をすることを目的につくられた農場です。昭和20年4月、16歳から20歳までの男女合わせて90名の引率者として、神戸さんは満州に渡りました。その4ヵ月後、8月9日ソ連参戦の日をむかえました。
ソ連軍の攻撃のなか神戸さんたちは逃げました。逃避行は終戦後も続きました。神戸さんたちがたどり着いた吉林から帰国したのは昭和21年10月でした。
左)報国農場勤労奉仕隊旗
右)吉林からの遺送団旗
この二つの旗をあげ報国農場の隊員たちは吉林から引き揚げました
昭和20年8月9日ソ連の参戦から、帰国して隊が解散するまでの昭和21年10月19日までを記録した日記の一部。
日記のすべてを持ち帰ることを禁じられため、こっそり重要なページを破ってお腹に巻いて持ち帰りました。
(上のノートは移動中に書きためたものを、帰国後すぐに書き写したもの)
避難生活の後半、日々の糧を稼ぐために裁縫をする隊員たちと神戸さん