-戦後にわかった夫の戦死-
大隅宇蔵さん(大正4年生まれ 松阪市)・龍さん(大正7年生まれ 湖南市)
昭和15年4月に結婚した大隅宇蔵さんと龍さんでしたが、その7ヵ月後、宇蔵さんへ召集令状が届きました。1年後の昭和16年11月、宇蔵さんのいる部隊が大阪を出発することを知った龍さんは、養父母たちと生後1年足らずの娘を連れ、宇蔵さんに会いに行きます。歩哨の兵隊に何とか取り次いでもらいましたが、宇蔵さんはなかなかやってきません。時間だけがどんどんたちます。正式の面会ではありませんから、あきらめかけた養父母に「もうちょっと待って」と頼む龍さん。そこへ暗闇の中から宇蔵さんが現れました。
ほんの2,3分立ち話するだけでした。「これで十分やろ」といって立ち去る宇蔵さんは夏服姿でした。面会に行った龍さんは、その姿から夫の行き先は南方だろうと想像しました。
「ビルマ(現在のミャンマー)で生死不明となったため、健否の判定は(生死については)ビルマ復員完了後の予定」とあります。
「昭和18年8月8日ビルマで戦病死」とあります。