-タバコの巻紙に記された戦争体験-
脇栄太郎さん(明治41年生まれ 東近江市[能登川町])
昭和20年2月、脇栄太郎さんに召集令状が届きました。栄太郎さんは37歳、妻の千代さんと安明さんら3人の子どもを残しての出征でした。
朝鮮半島に渡った栄太郎さんたちの部隊は、旧ソ連の参戦に備えることになりましたが、やがて終戦、旧ソ連での抑留生活を送らなければなりませんでした。その間に栄太郎さんはタバコの巻紙に自らの体験を歌として綴っていました。出征当時を詠んだものに「立つ日迄に田畑を人に頼まんと出発準備を後回しにせり」「安明は一人送りに来てくれぬ共に心はとけぬ思いで」「子ら抱え漸くにして植え付けを終わりし妻の事もおもへり」といった短歌があり、終戦間際の「この土地で敵の戦車を食い止めて固守すべしの命授けられたし」「この宵が最後なりとて背嚢より写真を出して見るものもあり」、そして抑留生活を詠んだ「ウラル山19日目に乗り越えて欧州の地に足を入れたり」「陽は照れど外気の寒さ身に沁みて涙水鼻たらたらおちぬ」などタバコの巻紙約50枚に記された短歌は610首あまりになります。
昭和23年、抑留生活を終えた栄太郎さんはタバコの巻紙を背嚢のベルトに隠して持ち帰ります。しかし、厳しい抑留生活で体調をくずしていた栄太郎さんは、帰国後42日目に亡くなりました。