-サイパンで戦死したお父さん-
駒井宇之助さん(明治37年生まれ)
まきさん(明治43年生まれ)文子さん(昭和9年生まれ)高島市(安曇川町)
駒井宇之助さんは、太平洋戦争が始まる直前の昭和16年10月に召集されました。宇之助さんの出征をいちばん悲しがったのは、当時小学校1年生だった娘の文子さんでした。
2年後サイパンから舞鶴に帰ってきた宇之助さんは、3泊4日の休暇をもらい懐かしいわが家に帰りました。再び宇之助さんが出発したあと、妻のまきさんは火鉢の横に紙に包んで置かれた宇之助さんの抜けた歯を見つけます。それは、宇之助さんが形見のつもりで残されたものでしょう。
昭和19年4月、宇之助さんは再びサイパンへ発つことになり、家族4人は舞鶴の旅館で最後の夜を過ごしました。無事に上陸したという知らせが届きましたが、7月のある日のことでした。「その日は、あつい日で、夕方家に帰ったら、この人(文子)が『今日馬場であそんでいたらみんながサイパン玉砕したって言うてる』いうて泣いてるんです。それを聞いて私はドンと腰を下ろして、もう立たれませんでした。」とまきさんは語ります。