-戦病死した夫-
上田儀市さん(明治43年生まれ)
上田やすさん(大正3年生まれ)高島市[新旭町]
農業を営む上田儀市さんは、32歳のとき、やすさんと結婚しました。「3月に結婚して、9月に召集されて、いっぺんもお正月をいっしょに過ごすことができなんだ。召集令状がきたときは妊娠3ヵ月でした。産まれると、すぐに主人に手紙を書きました。」
儀市さんからも、『病気にならんように、元気に育ってくれ』とすぐに返事が届いたそうです。 しばらくは国内の部隊にいた儀市さんのもとへ、やすさんは幾度か会いにいきます。 「(戦地へ)出発する前に手紙がきたけど、見送りにも面会にも行けなんだわ。ビルマ(現在のミャンマー)に行ってからは便りはありませんでした。どこに行ったのかも知りませんでした。ラジオで終戦の玉音放送を聞いた時、口には出せませんけど、これで主人は帰ってくる、やれやれと思いました。どうか無事に帰ってきますようにと、2歳の子を連れて、毎朝近くの氏神様へお参りに行きました。うちの家は集落の中心に家がありますから、兵隊さんが帰ってくると足音でわかるんです。そのたんびにお父さんが帰ってきやはったと思ってね。」
しかし、儀市さんは、すでにビルマの病院で亡くなっていました。 「主人は戦病死やったそうですが、戦死公報がきたのは終戦後の昭和20年9月頃でした。戦死公報がきたときは、おばあさんはびっくりして腰が抜けてしもた。私はもう泣けて、泣けてね。もう望みはないと覚悟しましたけどね。」とやすさんは当時を振りかえります。