-滋賀県満州報国農場先遣隊員として-
竹村元伸さん(昭和4年生まれ 京都市)
竹村元伸さんは、昭和20年3月、滋賀県満州報国農場先遣隊員として満州に渡りました。琿春の報国農場では、何町歩あるか分からないほど広い農地に、コウリャンやトウモロコシ、アワ、ダイズなどを栽培しました。
宿舎は電気もなく、夜はランプとローソクで明かりを採りました。そんな報国農場での生活が突然大混乱に陥ったのは、8月9日の朝でした。ソ連軍が、当時のソ満国境を越えて侵攻してきたのです。報国農場を後にした竹村さんたちは、琿春の町から図們を越え、吉林に向かいましたが、途中の延吉で列車が停まり、先には進めませんでした。しばらくして終戦になり、とにかく日本へ帰ろうとしますが、帰国の道は閉ざされてしまいました。竹村さんは、昭和21年7月にやっと復員することができましたが、それまでに吉林から団を離れて1人で向かった新京では、16歳の竹村さんにとって苦難に満ちた生活を過ごさねばならないのでした。
「同じ働くのやったら町の飯店か飲食店で働いたら、おいしいものを食べさしてもらえるゆう頭があったんですね。飯店の大きな石臼をロバが廻している。そのロバの代わりに石臼を廻す仕事を1ヶ月しました。」その当時の竹村さんの生活の一端を表す話です。
報国農場へ行く前に通信学校へ入隊する時に送られたもの。友達や国民学校や青年学校の校長先生など多くの人たちの署名がみられます。当時少なかった女性の署名もみられます。
帰国前に受けたのが最後です。
原籍、現住所、氏名・年齢接種月日が書かれています。