-早稲田大学の学生から士官に-
熊谷直孝さん(大正12年生まれ 長浜市[湖北町])
熊谷直孝さんは、早稲田大学2年生だった昭和18年12月、学徒出陣によって学窓を離れ、陸軍に入隊しました。その後陸軍予備士官学校に分遣され、昭和20年には後期教育のため南方に向かい、マライの南方軍下士官候補者隊に入隊します。昭和20年3月卒業後、任地ビルマに向かいますが、途中マラリアなどに罹患し、任地のビルマ、タンガレーに到着したのは、昭和20年8月16日でした。しかし、現地では戦争は終わっていなかったのです。熊谷さんたちが武装解除になったのは9月下旬で、終戦から1ヶ月以上も経ってからでした。
その後、約9ヶ月間の収容所での生活が続きますが、熊谷さんは日本に無事帰ることができ、妻登美恵さんと長男に会うことが出来ます。しかし、病床にあった直孝さんの父親は既に他界していました。直孝さんの帰りを待ちわびていた父親のことを、妻登美恵さんは、今もはっきりと覚えています。
「主人が戦地から戻ってくる前の、終戦の年の11月に、お義父さんは亡くなったのです。あちこちの家に復員兵が戻ってくる頃でね。老衰で寝込んでいたお義父さんは、誰々さんが戻ってきた、あそこの家の人も戻ったと聞くもんですから、『直孝は、まだか。直孝は、まだか。』言うてね。毎日、毎日、待ちわびて、待ちわびたまま、亡くなったのです。」
年老いた父親の願いもあって、直孝さんは出征が分かった半年前に、結婚することになります。
写真は、お見合いを兼ねた観劇の後で撮られたもので、前列向かって左が登美恵さん。その後ろが直孝さん。右側はお姉さんとお兄さん(昭和17年秋撮影)
早稲田大学の教授などによる寄せ書き。金田一京助、本間久雄、西条八十、窪田空穂等の名前もみえます。