-デンシャミチヤ、イケヘアソビニ 行ッテハイケマセン-
西村せつさん(大正2年生まれ 東近江市)
西村宏一郎さん(昭和12年生まれ 東近江市)
大津市石山の東洋レーヨン(現在の東レ)に勤務する西村浅吉さんは、昭和11年、5歳年下のせつさんと結婚しました。1年後、息子の宏一郎さんが生まれ、親子3人の生活が始まりました。浅吉さんは、暇ができると宏一郎さんを連れて瀬田の唐橋に出かけました。せつさんは「私は連らって行ったことはない。いつも子どもと2人やったなぁ。よっぽど、宏一のことを思てたんやろうなぁ」と当時のことを振り返ります。
昭和18年、浅吉さんに二度目の召集令状が届きました。次男の武さんが生まれて4ヵ月後のことでした。戦場へ赴くことになったことを告げられた宏一郎さんは「父ちゃん、行かんといて」と泣いてとめたことを覚えています。
浅吉さんは派遣されたニューギニアから、家族に宛ててハガキを送りました。届いた9通のうち、2通は宏一郎さん宛のもので、それは遠い戦場で子どもを思う父親の深い愛情に満ちた内容です。
「宏一郎、オテガミアリガトウ。タイヘン、ジガジョウズニナリマシタネ。…イケヤ、タケヤブナド、アムナイトコロデアソンデワイケマセン。…オ父サンガカヘッタラセンソウノオハナシヲ、ウントシテアゲマセウ…。」(※ 原文のまま)
しかし、浅吉さんの願いは叶いませんでした。ニューギニアの日本軍の部隊は、飢えや伝染病などと闘いながら連合国軍の激しい攻撃をさけ、ジャングルの奥地へと退却するだけでした。劣悪な環境のなか、浅吉さんは昭和20 年8月12日、戦病死しました。