-動員課の仕事は赤紙ばっかりや-
坂啓二さん(大正4年生まれ 大津市)
「伏見の師団司令部から9連隊は、歩兵を何人、輜重兵は何人という細かい表をくれよりますねん。その表に基づいて、大津連隊区司令部では 100人とか200人とか割り当てを言うてくる。それを、一人一人の名簿から選んでいって、編成を組んで送るんや。」
赤紙とよばれた召集令状の用紙には、一枚ずつ、選ばれた人たちの住所と名前が書かれました。そして、司令部から警察に渡された召集令状は、 警察から各市町村の役場に送られ、本人に届けられるというシステムになっていました。
若い男性はもちろん、50歳近くの年齢の人が召集されることもありました。「もう、こんなことしてるんやったら、戦争は負けるやろうなぁ、と口には出されへんけど思てました。」と当時の心境を語る坂さん。多いときは千人ほどが動員されることもあったと言います。
こうした仕事の内容の守秘義務を負う坂さんには、知人の召集令状を書かなければならないこともありました。
「そのときは辛かったなあ。ほんで、言うこともでけへんがな。人のことは言うたらあかんねん。秘密を漏らしたら憲兵に捕まる。憲兵が調べにしょっちゅう来よんねん。」
兵役の義務を負いながら普通に暮らす人たちが、ひとたび戦争が始まると兵士として召集されるというシステムの中枢の仕事に携わってきた坂さん。戦後、坂さんは、ご自身の職務については多くを語ることがなかったそうです。それは、語ることができないほどの辛く重い体験だったのではないでしょうか。