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患者さん(ご家族)の手術体験談その1

患者さん(ご家族)の手術体験談(ページ内リンク)

1. 大動脈弁置換術(80代、女性)

体調の異変を感じたのは今から3年前のことです。普段生活している時は息切れする程度であまり意識しなくても過ごせていました。しかし、朝方になると動悸が激しくなって目が覚め、眠れなくなり、布団の中で「早く朝が来てほしい」とずっと願いながら我慢する日々でした。

一度大きな病院で診ていただいた方がよいと勧められ、滋賀県立総合病院の循環器内科を受診しました。心臓の弁に軽度の異常があることが分かりました。定期的な受診を続け、年齢を重ねるうちに心臓の状態は軽度から中度、重度へとどんどん悪くなりました。

9月に、「このまま過ごせば心筋梗塞になるかもしれない状態だ」と言われ、手術が可能かどうか診ていただくために心臓血管外科の受診を受けました。このころになると、動悸は夜だけでなく日中でも起こるようになっていました。

心臓血管外科の先生は、「高齢であるということと、以前にわずらった病気があるということを考慮すると、リスクは多少あるけれども、手術をすれば元気に生活していける。手術は可能である。」と説明をしてくださいました。

手術をするか否かは、私の判断で決めることになりました。

はたして自分は大手術を乗り切れるのだろうかという心配と、いつ心筋梗塞が起こるか分からないという不安の揺れ動く気持ちの中で、私は手術をした方がよいのだろうか、やめておいた方がよいだろうかと悩みました。

親しい人に相談すると、それぞれが様々な意見を言ってくれました。しかし悩みが解決できるものではありませんでした。約1ヶ月ほど悩みました。結局は自分で決めるしかない、決めるのは自分であるということに気付きました。「自分はやる!」と決心しました。

10月末に手術を受けました。手術は成功でした。リハビリをしながら少しずつ回復し、ようやく退院の日を迎えました。

今では「手術をしてよかった」という気持ちでいます。

手術をしていただいた先生には感謝の気持ちでいっぱいです。

2. 解離性大動脈瘤(80代、男性)

私の病名は「解離性大動脈瘤」。それは当時かかっていた先生が、腹部の検査の時に見つけて下さった怖い病気。先生は、専門の先生を紹介するからとその場で、滋賀県立総合病院心臓血管外科部長の予約を取って下さった。

2日後、滋賀県立総合病院で妻と共に先生にお目にかかった。それから先は、私にとって衝撃的な時間であった。当院で追加検査を受けた胸部のCT画像ではもっとひどく傷んでいた。こんな状態でよく生きていたね、と先生。その時、80歳を過ぎていた私は何の病気で死ぬのかなあと日頃思っていたけれど、そうかこの病気で死ぬんだと、先生のお話をうかがいながら頭の中で考えていた。私には胸が痛むとか、背中に激痛がするとかの症状がなかったのが発見を遅らせたことらしい。

全体に手を付けることはできないが、大切な心臓に近い上の部分を手術することはできると、図を描いて見せて下さった。

方法として、人工血管置換、人工心肺、心停止、低体温(25~28℃)

合併症のリスク、出血(破裂)、脳梗塞、心不全、感染、多臓器不全ほか

それでも、先生やって下さい、手術して下さい、私は心から懇願した。

いい病院と信頼できるいい先生にめぐりあって良かったねと、妻と話しながら帰途についた。

長男も駆けつけてくれて同意書にサインも終わり、2泊3日の心臓カテーテル手術も無事乗り越えて、手術日を待つばかりとなった。

それにしても高齢者で糖尿病歴28年、ペースメーカー植込23年、こんな厄介な患者をよくも受け止めて下さった。

ICUで目覚めた時、ああ私は先生に生かされていたと感謝の気持ちが心に溢れた。先生がニコニコと笑顔でのぞいて下さった。嬉しかった。

もちろん、多くのスタッフの方々も加わって下さったに違いない、感謝。

たくさんのドレーンや管に繋がれて身動きならない私を、訓練され、統一され、しかも高度な技術を身につけた看護師の方々の手厚い看護を受けて、6日目に病棟に戻り、同様の看護を受けて、この度退院とさせていただいた。

今は50日余りの病院での日々を思い、感謝の時間を過ごしています。

3. ベンタール(Bentall)手術(70代、男性)

滋賀県立総合病院心臓血管外科の山田先生との出会いは、私にとって長い長い真っ暗なトンネルの中からパッと開けた希望の光でした。

数年前、心不全で生死をさまよい、その後治療を続けてきましたが、昨年末より症状が悪化、不整脈により呼吸も苦しく、薬を飲んでも一向に改善されなく不安な毎日を過ごしていました。当時入院していた病院で、心臓の手術が必要と言われ、滋賀県立総合病院の心臓血管外科を紹介されました。今までこんなすごい手術が出来ることすら知らなかったので、驚きと不安と喜びと期待で複雑でした。でも、先生の面談と説明を受け、信頼と希望ができると直感しました。

手術を受け、その後の治療と手厚い看護をしていただき、本当に夢のように順調に回復し、退院の日を迎えることが出来ました。

滋賀県立総合病院に入院し、先生に出会えたことは、私の人生で大きな幸せと喜びです。先生、スタッフの皆様本当にありがとうございました。

4. 胸部大動脈瘤(80代、女性)

定期健診で、胸部大動脈瘤が8cm以上にまで大きくなり、破裂の心配があると即刻入院を余儀なくされ、もう手の施しようがないと半ばあきらめていた。

何度もの大手術の経験から手術はこりごり、このまま生命力に任せて自然に人生を全うしたいと思っていました。入院後1週間目、心臓血管外科の先生が資料を見せながら、胸部大動脈瘤の手術の位置をよく分かるように説明され、手術の必要を告げられる。説明を聞いていた家族も私も「少しでも可能性があるのならもちろん手術をお願いします。」と決めた。

いよいよ手術の日。先生による執刀、たくさんの補助のおられる手術室。全身麻酔に入る説明を聞きながら、「注射しますよ。身体が少しずつ温かくなっていきますよ。」私は耳の奥の方で聞きながら、いつの間にか眠りにつく。

術後、とびらの外に出て、先生のかけ声が耳元で聞こえる。「手術は無事終わりましたよ。分かったら目をパチパチ開いて」私のうつろな瞳に先生のOKサインが映り、私も心の中で合図を送った。

滋賀県立総合病院の皆さん、ありがとうございました。

5. 冠動脈バイパス術(70代、男性)

昨年末、私の父親は小脳の脳梗塞を発症し、入院しました。

幸いなことに脳梗塞は大した後遺症も残らずに快方に向かっていましたが、以前に心筋梗塞の治療を受けていたため、念のために心臓のカテーテル検査を実施してもらったところ、心臓の動脈機能がかなり低下しており、他の病院で心臓バイパス手術を勧められ、滋賀県立総合病院の心臓血管外科の山田先生を紹介していただきました。

80歳となる高齢の父親ですが、本人は心臓のバイパス手術を決心したので、外来で診察を受け、カテーテル検査の結果を基に出た診断は、かろうじて1本の動脈は機能しているが、危険な状況で、早期のバイパス手術をする方がいいでしょうとの判断で、病名は不安定型狭心症とのことでした。

事前にネットで予備知識を得て私も診察に同行したつもりでしたが、いざ肉親が当事者になると様々な心配事が頭の中を駆け巡ります。(父親はそれ以上に頭の中が混乱していたと思います。)その日は先生が手術に100%はありませんが98%は大丈夫ですからと言われたことは記憶に残っております。その一言で患者、家族の不安がとれどれだけ安心したか図り知れません。

そして、入院し、手術前の検査、主治医より手術の説明を患者、家族に詳しく丁寧にしていただき、手術日を迎えました。

手術当日、家族、身内に励まされオペ室へ、約6時間後、家族控え室で待つ私達のところへ先生が今無事に終わりましと笑顔で報告して下さり安堵と嬉しさを堪え切れず、ICUへ小走りに術後の父を見舞いました。

先生がおられ、手術の結果や術法をイラストに書いて説明していただきましたが、手術が無事終了したことの喜びが先に立ち、お礼を申し上げることが精一杯であまり耳に入りませんでした。

ICUを出て一般病棟に移り治療が始まり、主治医の回診時の患者に対する気配り、リハビリ担当医師励ましや看護師の方々の適切な対応、やさしさのおかげで、高齢の父親も日一日と快方に向かっているのが目に見えて判ります。

退院に向け術後のバイパスの血の流れの状況と、以前から閉塞している動脈をカテーテルで拡げてもらうステント挿入も無事成功し、循環器内科医、心臓血管外科医の先生方の連携に感謝、感謝、現代医学の発展のすばらしさを再認識いたしました。

約2ヶ月余りの入院生活より解放される喜びを患者本人、家族、身内で噛締めながら無事退院することが出来ました事は滋賀県立総合病院のスタッフの皆様のおかげとお礼を申し上げます。

6. 僧帽弁置換術(70代、女性)

日常生活が楽に出来るようになりました。

7,8年前に弁膜症と診断され、手術を勧められました。

日常生活では、自分のことをするのもやっとでした。その間、入退院の繰り返しでした。

しかし、なかなか手術する決心がつきませんでした。”歳だから”と手術を諦めていました。その間、心臓の方はだんだん重症になってきました。

”手術すれば、日常生活も楽にでき、仕事もできる”という先生の言葉を信じ、やっと手術する決心がつきました。

手術は無事成功し、本当に先生に感謝しています。今ではあの時のしんどさもなくなり、少しの家事もこなせるようになりました。

今思うと、1年でも早く手術をしておけば良かったなと思います。

これからも先生の温かい人柄で、多くの患者さんに”喜び”を与えてあげてください。

7. 大動脈弁置換術(70代、女性)

振り返れば、母が長らく患っていた喘息がひどくなり、詳細な検査を必要としたことから、ご縁あって滋賀県立総合病院でお世話になることになりました。

高度な設備で、まさに詳細な検査をしていただいた結果、喘息と思いこんでいた症状は、実は動脈硬化、心臓弁膜症と分かり、まさに青天の霹靂でした。

治療は緊急を要するため、迅速に治療手順の説明から手術内容、そしてそれに伴うリスクを丁寧に説明していただき、家族としては、とても受け入れがたい現実を冷静に受け止めることができました。

しかも、手術前の母に、看護師の皆様が笑顔で優しく接してくださり、母も私たち家族もとても気持ちが和らぎました。

手術当日も、手術室、ICUにすぐの家族待合室で、長時間の手術の間、体を休めながら待つことができ、助かりました。

無事手術が成功に終わり、ICUで面会した時には、心の底から安堵したのを思い出します。

大切な家族が、不意に命に関わる状態との現実と、それを治療するために、避けては通れない手術に伴うリスクへの不安で今にも押し潰されそうな私たちが、一変して穏やかな春の陽のような晴々とした今日を迎えられているのも、ひとえに先生、看護師の皆様のおかげと感謝している次第です。

私たちのような患者とその家族を、一人でも多くこれからも救っていただきますよう、滋賀県立総合病院の皆様のご健康をお祈り申し上げます。

8. 冠動脈バイパス術(60代、男性)

動脈硬化の診断を受け、初めてカテーテル検査を受けた折りに冠動脈に閉塞部位が発見された。放置しておくと大変なことになるとの説明で、直ちにステント治療を実施した。

その後、経過観察のカテーテル再検査を実施したところ、同部位の再閉塞が進んでいるとの診断がなされた。措置としては再カテーテルのステント治療もあるが、難度が高く他の選択肢として冠動脈バイパス手術の方法もあると聞かされた。恐怖と悩みの数日が過ぎた。

紹介を受け、思い切って滋賀県立総合病院心臓血管外科の山田医師を訪ね相談した。結果、状況的には悪く、早く処置された方が良いとのこと、またバイパス手術もそう心配することもないですよ、とのことでやっとの決心をした。

入院し、「冠動脈バイパス術2本」について医師より詳細説明を受けた。先生は淡々と平静な口調で安心感を抱かせるような説明ぶりであったが、「説明同意書」に書かれてゆく内容は何れも不安を感ずるものばかりであった。

しかし選択肢は2つに1つ、先の命を考えると「バイパス術」を今回は選択せざるを得ない思いも強く同意書にサインの上、手術日を待つこととした。

当日家内に見守られて手術室入りで、早々の麻酔で気がついたのはICU室であった。ホッとした瞬間であった。

2本とも内部動脈を使ってのバイパス接続が完了し、手術は成功したとのことであった。そして、後の確認としてカテーテル検査を実施されたが、血流が確認されたのでやっとホッと一安心した。

今の苦しみは開胸手術をされているので、その部位の復帰の痛みが激しく我慢比べである。

心臓リハビリとあわせて完治まで2ヶ月はボツボツと頑張ろうと考えている今日この頃である。

口ではやんわりと説明されながら・・・25cmもの思い切った手術をしていただいた山田先生に、心よりお礼を申し上げて、体験談報告とします。

ありがとうございました。

9. 解離性大動脈瘤(80代、女性)

以前より、庭の草引きや菜園仕事に根をつめて頑張った時、その夜急に気分が悪くなり、隣町の病院の救急で3,4年の間に数回お世話になり、その都度、血圧降下剤と精神安定剤を処方していただき、安静にしておれば平常に戻っておりました。

その日は、午前中買い物に出かけたりして平穏に過ごしておりました。夕刻より疲れたと居間で横になっておりましたが、午後8時頃、前述のような状況を訴え、前記病院へ駆け込み、同様の処方をしていただき帰宅しました。ところが、”えらい、えらい”と呻きの連続で、背中をさすっていましたがいっこうに治まらず、翌午前1時頃、思い余って前記病院へ電話で症状を訴えたところ、先生より救急車で来院するよう指示を受け、直ちに病院へ運び込みました。

レントゲン、CTと検査をしていただき、大動脈瘤解離との診断を受け、直ちに滋賀県立総合病院へ転送手配をしていただきました。

午前5時頃から執刀医の山田先生より、状況としては既に死亡していても不思議ではなく、前述の病院や救急車で適切な治療を受けられたことと、大動脈の構造や起きている病状の説明をしていただき、救命手術であり、リスクとして脳梗塞・下半身麻痺等の危険や、何よりも80歳を超えた高齢による体力の限界等々の説明も受けました。手術時間は大動脈置換部分の位置により8時間~12時間とのことでした。

午前5時45分に手術室の前まで寝台車に乗った母親に励ましの言葉をかけ、先生より夕方にはICUの部屋に出てきますので・・・と会釈をいただき、祈るような気持ちで見送りました。

午後1時10分過ぎ、待合室に電話が鳴り、「手術が終わりました。すぐ、ICUに来て下さい。」と連絡をいただき、飛んで行きました。部屋に入ると酸素マスクを付け、多くのチューブを付けた母に再会しました。その横には先生が笑顔で待っていて下さいました。助かったのだと言葉に表すことの出来ない喜びと、先生にありがたく感謝の心が一緒になり、ただただ頭を下げるのみでした。先生から「置き換え位置が上行部のため、時間が早く終わりました。夜には麻酔も覚め、意識も戻るでしょう。その時、他症状が出ないことを祈りましょう」と笑顔でおっしゃりました。先生の笑顔から手術の成功を確信しました。

その後、3,4日目に胸水が溜まったり、発症時の胸水が残っていたためと、血圧が低下したり不整脈が出たりで苦しさを訴えしんどがりましたが、その都度、適切な治療をしていただきました。

先生は手術終了直後から「私の仕事はほとんど終わりました。あとは自分の口から物を入れ、力をつけて体力の回復を図って下さい」と仰せでしたが、点滴だけで物が食べられず、10日間過ごしました。その間、「このような大手術を受けたのだから、あと5年は長生きしなあかんで」と看護師さんより励ましと手厚い看護をいただき、本人も食べることを念頭に頑張り、少量ですが食事も摂れるようになり、一般病棟へ移りました。

やがてリハビリも始まり、食事も徐々に多く摂れるようになってきました。初めはベッドから起き上がることから始め、歩行器による歩行まで、楽しく面白おかしく指導していただき、約50日程度要しましたが、杖だけで伝い歩きが出来るまで回復しました。毎日リハビリを楽しみにしておりました。

そして、この度めでたく退院の運びとなりました。爆弾を抱えた老体ですが、退院後のケアにつきましても親切かつ丁寧なご指示もいただきました。気力も体力も回復と共にまだまだ衰えず、数年後にはあろう孫の結婚式を思い浮かべるようでございます。

最後となりましたが、執刀医の先生の卓越した技術と豊富な経験、スタッフの皆様の笑顔と手厚い看護等々信頼で結ばれたチームワークのお陰と感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

10. 解離性大動脈瘤(80代、女性)

「これは一体どうしたんだろう?」朝、その日も舅の入院している病院へ付き添いに行くつもりで、いつもと変わらず起きてきてお便所へ座っている姑。夫が出勤する直前にお便所へ入ろうとして、何だか様子がおかしいと気付いてくれました。だんだんと力が抜けて、顔色が青ざめ、唇の色が変化していく姑を抱きかかえ、救急車の来るまでの5分間を必死の思いで待ちました。救急隊員さんの手際のよい手配で、滋賀県立総合病院へ搬送してもらいました。大勢のスタッフの方々が待ちかまえて下さり、アレヨアレヨと対処して下さり、結果、”大動脈瘤解離”ということで、大動脈が爆発寸前だったということです。姑は高齢でもあり、手術のリスクが高いということで、その日は大量の血を抜いてもらって、ICUにて手厚い治療・看護を受けることとなりました。ちょうど10日間、 ICUにてお世話になっている間は、もうどうなることかと夫と二人で肝をつぶす毎日でした。

その後、一般病室へ入れてもらえてホッと一息ついたのもつかの間、血栓で治りかかっていた解離が、再解離しているので、思い切って手術(大動脈を人工血管に付け替えるそうです)をした方がよいとの説明でした。本人は、「全て主治医の先生に命をお預けする。この年まで生かせてもらったのだから。もうどちらへ転んでも悔いはない」と、はっきりと意思表示をしてくれました。夫も私も一か八か手術しか命を救う方法はない!と決断しました。滋賀県立総合病院だったら大丈夫という信念もありました。もう一つは息子の(姑にとっては最後の孫)結婚式を目の前に控えていて、その子の小さい時から「結婚式までは生きていたい」と口癖のように言っていたので、その強い気力もあったと思います。もう一つ、気力・体力を支えたのは舅の入院です。寝たきりの夫を残して先立つことはできないという強い思いだったと思います。

手厚い医療の力、本人の生命力、家族の生かせてやりたいという願い、この3つが融合し合っての命だと思います。

無事退院の日を迎え、5ヶ月経ちますが、本人は毎月の検診の日を待ちかね、「先生から命をいただきました。助けていただきました。」とお礼を申しております。

本当にあの時は、舅と姑2人の命を守るために死にものぐるいでしたが、思い切って手術をしてもらって良かった。なかった命をもう一度いただけたと感謝している日々です。先生や看護師さん、リハビリの方々他、お世話になった病院の皆様方に、心からお礼を申し上げます。