蛭谷地区の倒壊家屋
撮影:滋賀県
体験者の語り県民男性(昭和22年生まれ)
【台風の概要】
神崎郡永源寺町(現東近江市)政所一帯は、8月29日夜半頃から雨が降り出し、30日16時頃から1時間に20mmの強雨になり、19時頃から50mm~70mmの強い雨が降り続いた。この間、時間最大降水量は79mmの豪雨になった。
永源寺町(現東近江市)君ケ畑・蛭谷・箕川の3地区へ通ずる県道多賀永源寺線が不通になり、これら3地区は31日朝から孤立状態となったため、食料品等が不足し9月2日に物資が空輸された。(ヘリコプター5機、隊員29名が出動し食料品・燃料等の物資を空輸)
【当時の状況】
・昭和34年伊勢湾台風からは、ほとんどこの台風まで被害はありませんでした。
・私は昭和45年4月に就職してこの家から通勤をしていまして、その翌年にこの大型台風を経験しました。
・その時代は消防団に入っていました。この地域は東部・中部・西部の3地域分団があり、中部の第一分団の分団長をしていました。
・掲載の写真は蛭谷地区の倒壊家屋です。その家族の方は無事でした。のちに倒壊した家を撤去して愛知川町(現愛荘町)に移りました。
・倒壊家屋の前に蛭谷川があり、そこからの激流が家屋を直撃しました。
・蛭谷地区はその倒壊家屋の付近も道路が寸断されました。
・君ケ畑と政所地区の各所も道路が寸断されました。箕川地区内の道路は大丈夫でしたが、他の地区が寸断されたので箕川に通ずる道路がなく孤立してしまいました。
・当初は東部の消防団だけで動いていましたが、被害が甚大なので他の地区に応援を頼みました。
・各所の消防団は道路が寸断されていたのでスコップを持ち、歩いて山・谷を超えて助けに来てくれました。
・当時の消防団は40人くらいで蓼畑・黄和田・政所・箕川・蛭谷・君ケ畑の6町分団があり、倒壊家屋の蛭谷地区に集結し、重機が入れないため人力で土砂・流木を取り除きました。
・私の住んでいる箕川地区は高台になっていて、御池川は住宅よりも下側を流れています。水害には強かったのですが、この台風時にこの地区では床上浸水が3軒ありました。
・高台なので水害には強い方ですが、逆に水源が下にあり火災の時は水を吸い上げるのが大変です。
・この時は川の水量が多かったので御池川の水位があがって、昭和橋で水が溢れ橋が流されそうになりました。
【地区の特徴・特産】
・箕川地区は30軒がありましたが、今は空き家が多く高齢化を過ぎてその先の限界集落です。
・御池川の水量は多く、地域は森に囲まれていて風は強く吹きません。
・この地区は茅葺屋根が多かったですが、火災には弱いので茅の上にトタンを載せた屋根が多くなっています。今は中にある茅葺きの材料(ススキ・チガヤ等)が少ないので、どの家でも葦を使っています。夏は涼しく、冬は茅が断熱材になっていますがすきま風で寒いです。まだこの地区で茅葺き屋根は5~6軒残っています。
・この地区は平坦な土地がないので農業はやっていませんが、林業は集団で間伐作業だけはやっています。
・『政所茶』を栽培していて、伝統的なお茶を守っています。この地域は水が美味しく寒暖差が大きいので美味しいお茶ができます。
【その後の災害】
・大雨はありますが、最近は水害が少ないです。
・この地域が晴れていても、三重県側に降った雨が遅れて滋賀県側に流れてきますので注意が必要です。
・令和4年夏にこの近くの黄和田のキャンプ場(愛知川の上流)で2人が流されてお1人が亡くなられました。今も1人は遺体が見つかっていません。
・御池川は鉄砲水がくるのでキャンプは禁止されています。
【昔の洪水】
・伊勢湾台風時、山が崩れてこの地区の谷が全部埋まってしまいました。先祖から引き継いだ山が崩れ、木が流されたので撤去・処分する作業が大変でした。
【地元の水防活動】【助けあい】【楽しいこと】
・防災倉庫は地区集会所と兼用で土のう袋・スコップ等があります。
・地域を離れた人も、非常時には帰ってきて助けてくれるようになっています。
・災害の時は助けて欲しいし、助けてと言われたらすぐに行けるようにしたいです。
・この地区は不便ですが、住めば都で30分くらいで三重県側にも行けるし、買い物も三重県に行った方が早いです。
・昔は春、秋、冬と各季節に祭りがありましたが、今は春の大祭だけが残っています。
・家の者によく話していますが、楽しいことがあれば地区を出た人も帰って来るようになります。
・地域の魚はイワナ、アマゴがあります。
・お盆には帰省された客人に、御池川に囲いをした場所を設置して魚を放流し、つかみ取りをして遊んで頂いています。
【地域活性化・知恵】
・昔のことを守りながら、新しくすることも考えています。
・未来会議を設置していて、環境省の援助を受けながら空き家をホテル化して人を呼び込むようなことを計画しています。
・琵琶湖と三重県が一望できる場所『盤石の丘』を整備して、イベント開催も考えています。
・隣りの地区では廃校の校舎を利用して名古屋・大阪から宿泊で呼び込みダンス教室をしています。
・地域を守るために、生活支援サポートもしています。
蛭谷地区の倒壊家屋
撮影:滋賀県
現在の蛭谷川(倒壊家屋の付近)
撮影:滋賀県(令和4年12月撮影)
台風被害時の御池川
撮影:滋賀県
県道多賀永源寺線
撮影:滋賀県(令和5年4月撮影)
箕川地区の街並み
撮影:滋賀県(令和4年12月撮影)
箕川地区の集会所兼防災倉庫
撮影:滋賀県(令和4年12月撮影)
現在の昭和橋
撮影:滋賀県(令和4年12月撮影)
現在の御池川(昭和橋の上流側)
撮影:滋賀県(令和4年12月撮影)
盤石の丘(箕川地区)
撮影:滋賀県(令和5年4月撮影)
盤石の丘(箕川地区)
撮影:滋賀県(令和5年4月撮影)
盤石の丘から琵琶湖側を望む
撮影:滋賀県(令和5年4月撮影)
盤石の丘から三重県側を望む
撮影:滋賀県(令和5年4月撮影)