下阪本6丁目
琵琶湖岸に突き抜けた半島(第2室戸台風時 風が特に強い場所)
地図:地理院地図
体験者の語り
県民 男性(昭和25年生まれ、昭和34年まれ)
【台風の概要】
9月16日9時過ぎに、県下では台風が室戸岬に上陸する頃から風雨が一段と強まり、14時から15時にかけて、京都西方面から琵琶湖西方面を通って敦賀湾に抜ける頃には県下全域に暴風雨が猛烈を極め、平均最大風速は25.7m/s、瞬間は50m/s内外に達する暴風雨となり、特に台風の進路に近かった湖南・湖西では被害が大きかった。
【当時の状況】
・当時、私たちは11歳と2歳の子供でした。
・台風は朝から夕方にかけて通過しました。
・消防団が櫓に登り半鐘を鳴らしていました。(今はサイレンです。)
・近くの大宮川では、後数センチメートルで堤防を超えそうな勢いでした。その状況下で堤防を守るため、堤防に植えている木を切って「木流し」をしていました。(水の勢いを減らすためです。)
・当時、堤防に木を植えているのはその役目だと大人は言っていました。
・また洪水の時に堤防から溢れる前に、人為的に堤防を切ったと言う話も聞きました。
・大型台風であったので、前日には家の雨戸に板を張り付けて外壁の補強もして、家族は台風が通過するのを家の中で見守っていました。(雨より風、風が強く危険でした。)
【下阪本の被害】
*次の場所に被害がありました。
◎家屋倒壊エリア
・大津市全体では全壊77棟、半壊138棟の被害があったと朝日新聞に掲載されました。
・琵琶湖の近くにある公園(現在の新唐崎公園)は風が突き抜ける場所です。
・特に公園の前では、下阪本6丁目の観福寺から磯成神社までが家屋倒壊が多かったです。(当時、下阪本で倒壊家屋被害の状況の写真が朝日新聞に掲載された場所です。)
・特に、湖岸に近い家屋の被害が多かったです。またその付近では屋根瓦がたくさん飛んでいました。
・旧国道161号線より山側は窓ガラスが割れたり雨戸が外れて飛ばされましたが、倒壊するような被害はありませんでした。
・強風が怖いので、この台風を経験し建て替えた家は、木造ではなくコンクリート造りで新築したところもありました。(当時はまだまだ建物のコンクリート造りは少なかった時代です。)
◎新唐崎公園では
・この場所は海抜82メートルで、地理院の三角点杭の横に過去の浸水表示石杭があり浸水の位置に線が引かれています。室戸台風または第2室戸台風の時の浸水を示した表示杭です。(今の石杭は地中に埋もれていて頭の部分だけが見えます。)
また表示石杭の横の石碑もありましたが今はなくなりました。
◎若宮神社では
・台風で社が倒壊しました。大宮と小宮が倒壊して北側に転倒しました。
・私は神社の近くに住んでいたので、風が弱くなってから外に出ると倒れていたのをこの目で見ました。
◎大宮川橋では
・台風で大宮川橋に流木が堰き止められて、濁流が溢水して付近一帯が床下浸水しました。
◎磯成神社では
・台風で鳥居の倒壊があり半分に折れました。(今は折れた柱を使って継いでいます。)
【昔の洪水碑】
・酒井神社では明治時代(明治29年琵琶湖大洪水)に13尺の浸水があったとの洪水碑があります。
・洪水碑は両社辻の交差点にありましたが、交通に支障があり酒井神社に移設になりました。移設した洪水碑の高さは上半分になってしまっています。
現在の下阪本6丁目
(台風時 家屋の倒壊エリア)
写真:滋賀県(令和5年2月撮影)
現在の下阪本6丁目
(台風時 家屋の倒壊エリア)
写真:滋賀県(令和5年2月撮影)
現在の新唐崎公園(山側)
(台風時の浸水被害を伝える表示石杭)
写真:滋賀県(令和5年2月撮影)
現在の新唐崎公園(琵琶湖側)
(台風時の浸水被害を伝える表示石杭)
写真:滋賀県(令和5年2月撮影)
現在の若宮神社
写真:滋賀県(令和5年2月撮影)
現在の若宮神社(台風時に大宮・小宮の倒壊があった)
写真:滋賀県(令和5年2月撮影)
現在の大宮川
写真:滋賀県(令和5年2月撮影)
現在の大宮川橋(台風時に流木が橋に堰き止められて溢水)
写真:滋賀県(令和5年2月撮影)
磯成神社(台風時に鳥居が倒壊)
写真:滋賀県(令和5年2月撮影)
磯成神社
写真:滋賀県(令和5年2月撮影)
酒井神社
写真:滋賀県(令和5年2月撮影)
酒井神社の境内にある明治29年琵琶湖洪水の石碑
写真:滋賀県(令和5年2月撮影)
酒井神社の境内にある明治29年琵琶湖洪水の説明(大津市教育委員会)
写真:滋賀県(令和5年2月撮影)