藤尾奥町
9月18日撮影・ 提供:県民
土砂で埋もれた家。藤尾川の橋が詰まって、溢れた流木や濁水が敷地内をどんどん走り、夜が明けてみると、家が埋まっていた。
【吾妻川の氾濫】
大型の勢力を保った台風18号は、9月15日深夜から16日にかけ、滋賀県で記録的な大雨をもたらした。
16日午前5時5分、初の大雨特別警報が発表された。この台風により、県内各地で河川が氾濫して、浸水被害が多数発生した。
吾妻川は、大津市の音羽山を水源とし、大津駅と国道1号線の間を流れ、JRをくぐる小さい隧道のところでS字型に曲がって、県庁側に出てくる。そして県庁の東側で北に向き琵琶湖へ注ぐ、市街地を流れる川である。
平成25年台風18号時には、吾妻川の上流で土砂崩れや破堤が起こり、JR大津駅東側の橋のあたりに、流木や土砂が溜まって流れなくなったため、沿川で泥水や土砂が溢れ出た。
その水が、一斉に低い所を伝って琵琶湖の方へ流れていったため、広域の家屋や道路が浸水した。
体験者の語り 男性 83歳(昭和6年10月生まれ) 聞き取り日:平成26年12月 写真も提供
【吾妻川が 溢れてる】
このあたりは、吾妻川沿いに路地があって、石垣で堤防を作ってある。
我が家は吾妻川の横なので、川の音がよく聞こえるけど、少し離れたところに住んでいる人には、川が溢れてるかどうかということは、なかなかわかりにくい。
9月15日の夜中に、川の音がすごいのでどうなってるのかと思い、2階の窓から川をのぞいて見たら、吾妻川が溢れててびっくりした。
急いで下へ下りてきたら、玄関に水が入ってきてた。こんなこと初めてです。
2階から見た 溢れる吾妻川
玄関に浸みてきた泥水
9月16日1時42分
家に植木用の土があったので、急いでそれを、家の床下喚気口のところに置いた。そこから水が入らないようにすれば、ここは坂なんで、とりあえず、うちのほうへはこない。他に何かしようにも、土のうがあるわけやなし。
土のう代わりに、換気口に置いた植木用の土
雨が激しかったし、中町橋のところから氾濫した泥水が、道を勢いよく流れていた。橋の下側から川面まで、普段は約2mやけど、その時は、ものすごい勢いで、溢れてた。
私は、雨の中、うちの近辺を写真に撮ってたけど、その時、自治会長だけが表を歩いて警戒しておられ、危ないから家に入るよう、私に注意された。外は信号や防犯灯で、明るいんです 。
中町橋を乗り越えて、氾濫する吾妻川
家の前は少し坂になってて、川から溢れた水は、家の前を通って数m先の中央3丁目の信号の方へ流れる。川の方が高いんです。
その信号から西側の方は、これまで何べんも水が入った経験がある。交差点のその先、50mぐらいの辺りが、この辺ではもっとも低い。
その低いとこに元牛乳屋さんがあって、下が土間で低いから、家の中に水が入りやすい。泥水が全部そこへ流れていって、いっぱい溜まってる。
夜中やったので、1人が誰かに起こされ、その人がまたあちこちに電話をかけて起こして、みんな起きてみたら、家の中に水が入ってきてたという状況です。
【氾濫した水の流れ】
県庁の方から琵琶湖方面へ行く道、ものすごく水が流れていたでしょう。その水は、そのまま琵琶湖の方へ流れた。
県庁前の滋賀会館の地下への入り口があって、反対側の通りにも通り抜けられるようにしてあったから、地下を水が勢いよく抜けていった。滋賀会館の地下にはものすごく水が入ったので、消防車が来て抜いたらしい。
その近所の、地下の駐車場も水が浸いて、消防車に抜いてもらったという話です。
中央3丁目の信号から大通り側は、かなり水が入ったようです。床下浸水が多かったみたいだけど、床ぎりぎりで、畳は浸からなかったけど、畳の下の板がどろどろになったと聞いた。泥水は家の奥まで入っていって、きれいな水と違うから、家じゅうドロドロであとが大変だったみたい。
そっち側は低くて、県庁の方から流れてくる水も、東側の吾妻川から溢れた水もくる。そして、下の方の琵琶湖岸側を走ってる京阪の線路がちょっと高くて、水をせき止めてたから、この地域は集中攻撃でした。それで、床上まで水が上がっていったというわけです。
うちらの方は、京阪の線路もそんなに高くないので、水は琵琶湖に逃げていきやすい。だから、通りからこっち側の人は何にも知らんかった。
僕は起きてたけど、川より高い吾妻川の東側の家の人はみな寝てて、知らなかったようです。お隣も何も知らなかったと聞いた。
大きな水が出たときには、溢れへんように水が逃げる装置ができてると聞いてたので、みんな安心してた。
(注:琵琶湖の方へ行く道路の下に、一級河川常世(つねよ)川の地下河川が埋められていて、吾妻川から溢れそうになった水は、途中からそこに導かれて流れるようになっている)
【昔のこのあたり】
僕が小さいときは、中町橋から道路へ水が溢れないように、大きな梁みたいな木が常に橋のとこへ置いてあった。戦後まもなくぐらいかな。 確か、橋の両側の欄干に沿って置いてあった。川が溢れたらその木で道を塞ぐ。橋を乗り越えてきた水が、道に流れていかないように、ちょっとでもまた川へ戻るように、用意されてたね。
昔は、吾妻川はよう溢れたんです。けどわが家には入らなかった。家と道路の段差が20cm程度あって、家の方が高かったから、それを越えるということはなかった。
その頃は、この辺に琵琶湖からたくさん魚が上ってきてたから、溢れた水とともに魚も流されて、道で魚が跳ねていた。
その後、道路改修した時に道路が高くなって、道路と家の高さが同じになった。
そして昔は、このあたり溝が多かった。
県庁前から琵琶湖の方へ行く通りも、横向きの通りも両側が溝やったので、このあたり一帯の雨水は、県庁前から琵琶湖への道まではいったけど、そこを通り越して、その先の西側にはそれほどいかなかった。道の両側の溝に流れこんでたから。それが暗渠になってふさがれたから流れにくくなって、そこへ溜まるようになった。
いろんなところに川や溝があって、天孫神社の前にも小さな川があって橋がかかってた。今も天孫神社の一本琵琶湖側の通りに、昔のその石橋がある。中央大通りから少し入ったあたり。
天孫神社の鳥居前あたりに、かつてかかってた橋。保存のため場所を移動
撮影:滋賀県
【台風が去ってみると】
家の前の道路の側溝には、泥がすごかった。
大きな丸太が、何本も中町橋に引っ掛かってた。
中町橋まで流れてきた流木 長さ約3m
京阪の線路が土砂で埋まってしまったのも、初めて。これも、大雨で、木やごみが邪魔して川が溢れたんでしょうね。
(注:大谷 - 上栄町間で京阪電鉄京津線沿いの吾妻川が氾濫、周辺の店舗などが浸水して道路も陥没した。京阪電車の線路も埋もれ、周辺の住宅地や道路にも土砂が押し寄せた)
町内みな出て、後片付け。
【吾妻川と地域のかかわり】
昔はたくさんの魚が琵琶湖から上がってきて、僕ら子どものころは、よう魚つかみしました。
今も年に何回か、子どもらが遊びに来る。1クラスぐらいずつかな、小学校や幼稚園の子が川遊びや魚取りに来る。きれいな水が流れてる川やからね。
橋の下側から水面まで約2m。前は堤防は全部石垣だったんだけど、石垣がつぶれて、コンクリートで補強したので、20cmぐらい川が狭くなった。昭和60年12月だったと思う。
そのときに、真ん中だけは自然の成りにしたいいうことで、外側3分の1ずつ、コンクリートに石を載せて砂利のようにしてもらった。真ん中だけ水が流れるようにして、子どもが水遊びができるようにしてあるんです。
両側とも川のすぐ横に家の建ってるところは、川底も全部コンクリートになってる。
こんなふうに、みなで川を大事にしています。
【防災委員を中心に、その後の備え】
土のうを用意してる。けど、市街地では土がないので、防災委員の人が精力的に動いてくれはって、いざというときには、中央小学校の砂場の砂を使っていいという許可をもらいました。
うちは、横の吾妻川が一番水害の元やから、今は土のうを用意してる。ご近所でも用意してる。今年(H26年)の防災訓練が小学校であった時に、自治会の防災委員と中央学区の防災委員さんが作り方を教えてくれて、自分らで作った。
今年の防災担当の方たちが一生懸命に呼びかけてくれはったから、参加者も多かった。うちも欲しいとか、あそこやったら20袋ぐらいいるなとか、みなでわいわい言うようになった。自分とこで欲しいだけ申込みをして、みなでいっしょに教えてもらいながら作りました。
その土のうは自治会館に、30袋ぐらい保管してある。吾妻川用にも15袋作ってもらって、私が保管してる。 各家も表や地下に保管しておられる。日が当たると、袋が劣化するんです。
水を止めるのは土のうが1番いい、それ以外は止めようがないと消防の人も言われてた。
土のうを、川の砂利を利用して作ったが、ものすごく重たい。やっぱり、柔らかい砂土でなかったらだめ。
土のうで水を止めるときは、先にシートを敷いて、土のう置いて、そしてまた土のう置いたら水は完全に止まるというふうに、訓練で教えてもらった。
段ボール箱に水の袋を入れてもいいそうです。先にビニールシート敷いて、段ボールをきっちり並べてその中に水を入れた袋を置いて。あんまり大きいと水も重たいから気をつけないと。
土のうは、水につけたらすぐに膨らんで重くなるという、簡易なのもあるらしい。
防災訓練は、これまでも毎年あったけど、火事が中心で、去年の台風のあとは、火事と水害と2回やった、日を変えて。中央小学校で。
確かに土のうは作って家に保管してあるけど、もっと簡易なものにする必要がある。土のうは、濡れたら重たいから。
ですから私は、去年の台風のあと、板で、床下換気口のふたのようなものを作った。床下に水が入らへんように。
手作りの換気口のふた
川の堤防に、下に下りるために切れてるところがあるので、そこを塞ぐ板も作った。平成25年の台風の時はそこから溢れた水が家に入ってきたので、そこを塞ぐと、家の方にくる流れはくい止められる。
堤防に差し込めるように、コンクリートで支えるものを作って固定させて。危ないときにはその板で川から溢れる水を塞ぐと、家の方に水が流れるのを少しでも防げる。道には橋から溢れた水がどんどん流れるけど。
川辺への下り口を塞ぐ、手作りの堰板(せきいた)
平成25年の台風以前は、具体的に自治会でこうしようということはなかった。長い間、大雨は降らなかったし、川も溢れなかったから、大雨は新設された常世川分流の方へ流れていくと思っていた。なんぼ降ってもそれ以上は増えないという思い込み、先入観があった。
【緊急連絡手段は】
特に決まってるわけやない。普段は表で大きな声でしゃべってたら聞こえる。
こないだの台風の時は、雨の大きな音で、何にも聞こえなかった。隣にも行けない。大雨降ってるときは、外へも出られないしね。
電話番号も、古くからお付き合いのある人は知ってるけど、最近は教えてくれない。組当番になっても、当番以外の方はわからない。
ここは昔から住んでる人が多い地域だから、お互いによう知ってるし、ちょっとしたことでも助け合いたいです。
流木などで橋の下がふさがれ、せき止められた吾妻川
撮影:滋賀県
【吾妻川の過去の氾濫写真】
1987年(昭和62年)7月19日の大雨。
道路が今より低かったので、道と家の間に段差がある。水は、橋の白い欄干のところから溢れてます。
中町橋を越える濁水ー昭和62年7月19日の大雨
9月16日10時00分頃撮影
提供:県民
石居(いしずえ橋)
橋まで届きそうなぐらい増水した大戸川
体験者の語り 男性 52歳(昭和37年生まれ) 聞き取り日:平成26年9月3日 写真も提供
★居住地ではなく、大戸川に仕掛けていた有害鳥獣捕獲用のワナを見に行ったため、大戸川沿いに移動しながら、写真を撮影
私は、瀬田に住んでいて、大津市田上の新免(しんめ)町で、有害鳥獣捕獲の手伝いをやっている。農業被害を出すので、ほぼ毎日様子を見に行っている。
【稲津橋は流れるんちがうかと思うぐらい】
大戸川には、瀬田川から上流に向かって、黑津橋・稲津橋・石居(いしずえ)橋・羽栗橋・堂村橋・荒戸橋・綾井橋というふうに橋が架かっている。
新免町へ行くときは、いつも神領方面から県道16号大津信楽線を通り、堂村橋を渡って、行く。
16日未明はすさまじい雨風やったけど、朝10時頃はもう雨もあんまり降ってなかったので、様子を見に外へ出た。
いつものように新免町へ行こうとしたら、瀬田南の交差点を越えた所で通行止めになってた。あとで考えると、どうも、大戸川の堂村橋の南側が越流してたみたい。ちょうどあの辺低いんで。
それで、戻ってきて稲津橋を渡り、大回りして新免町にいった。どうやら、その日通れた橋は稲津橋だけやったよう。
稲津橋まで来て、橋のたもとの写真を何枚か撮った。
稲津橋 溢れそうな大戸川
地元や消防の人が、心配そうに川を見ている
大戸川は、とにかくえげつない水量で、稲津橋は流れるんちゃうかと思うくらいでした。水面が、橋まであと1mあるかないかで、ごみも引っかかり、危ないとこやった。竹も流れてきて、引っ掛かってる。 ピークは過ぎていて、水が引いてきてからこんなんやから。
田上のこのあたりは田んぼやけど、ほとんどが早場米で刈り取られてたから、大被害は免れたと思う。
関津(せきのつ)はマシで、水没してなかった。関津から里・森をまわっていった。
森の集落はすぐ裏が山なんで、水路に山から出てくる土砂が流れ込み、道を埋めるように吹き出てて、それを人海戦術で撤去してる最中でした。 これは、相当水が出たんやなあと思う。
県道108号南郷桐生草津線、森バス停付近
新免にワナを仕掛けてあるんで、チェックしなあかん。 何とか行けて、ワナは幾つか水没してたが、流されることもなく残っていた。獲物は掛かっていなかった。
【荒戸橋も 危ない】
隣の中野という在所、帝産バスの車庫があるところから荒戸橋を通って、大戸川を渡れるけど、そこへ行く手前に吉祥寺川という川がある。
この吉祥寺川を越えて中野に入ったところで、もう道が半分水没してたので、行くのをやめた。
荒戸橋そのものが、そろそろ危ないというぐらい、水位が上がってた。
荒戸橋の欄干に、ごみが引っ掛かってたような気がする。いっぺん水越えてたん違うかな。このまま行ってもあかんなあと思て、戻ってきました。
荒戸橋
荒戸橋を洗う濁流
撮影:滋賀県
吉祥寺川橋の上手に、大人の身長ぐらいの段差があって、普段はちょっとした滝のようになって、大戸川に合流してるんやけど、大戸川の水位がすごく上がってて、吉祥寺川と大戸川の高さが同じやった。
吉祥寺川橋から上流を見る。
通常
滝のように段差がある
吉祥寺川はいつもは、ちょろちょろとしたきれいな流れや けど、その時は水量そのものも、1mぐらい上がってたん違うかな。
【堂町方面は 全面水没】
堂村橋から帰ろかと思ったけど、新免交差点の北側のあたりから堂村橋の方は、湖になってた。そこには田んぼと家があるんで、これはえらいこっちゃなあと思った。 遠目にも堂町方面が水没して、撮影したこのあたりも水が浸いてた。
新免町から湖と化した堂町方面を見る。
遠くに見える緑は大戸川の堤防。
新免町の転作大豆は、浸かったなあいう程度で、致命傷はなかった。水浸しの堂町とはえらい違いや。
もう少し先まで行こう思たけど、道が水没してて行けなかった。後日見に行ったら、一面泥だらけになっていた。
【石居橋も、通ったけど、こんなに危険】
結局堂村橋が渡れなかったので、帰りは石居(いしずえ)まで戻ってきた。
水面が橋まで、1mあるかないかの石居(いしずえ)橋
石居橋は、この時は通れた。水が越えたような跡があった。 橋脚はどっぽり水に浸かってた。こんな危ないのに、車を通していいのか、思うぐらい。
それでもたぶん、下がったんでしょう。雨がやんでから、だいぶ時間経ってるし。
天神川と大戸川が合流するこの石居橋のあたりで、ヌートリア(外来種の巨大ネズミ)が捕れてたんです。前の年に6頭捕ったので、それがどうなったか、見たかった。 石居橋の横の、天神川にかかる古川橋のところに住み着いてたんで、どっかいってくれたかなと思ってたけど、きっちり避難してたみたいで、後日、泳いでた。
この天神川は川岸にヨシとかが生えてて、普段水がほとんど見えない。けどその時は、もうドーッと流れてた。
古川は、ここから大戸川へ流れ出てるんやけど、逆流したんやろね。
越水して、見渡す限り、完全に湖になっている。
何町(ha)あるんやろいうくらいの湖。
古川橋付近から 南東を見る
天神川の堤防の道は、入ったら抜けられへん状態になってた。避難勧告が解除になったから、たくさんの車が天神川の堤防を走ってた。
次の日また田上方面を見に行ったとき、堂村橋の付近の人が外にごみを出していた。このおうちは、家の中が川になって、水が流れてたらしい。
向こう岸のこの公園はきれいさっぱり流されて、まあ見事に持っていかれてました。
堂町 大戸川沿いの児童公園 (9月22日撮影)
【堂町は昔、浸水で移転してる】
郷土史を見ると、堂町の集落は、昔、今の田んぼの辺りやったのが、水が浸いたときに山側へみな引っ越したそうやね。堂町で大戸川がぐるんと曲がってるとこが切れたと、地元の人に聞いたことがある。
道もそのあたりに向かって、低くなってる。それ見たら、田上中学校は、避難所に使えんなあと思う。水浸かりで移動のしようがない。
堂村橋の石山側、県道16号が通行止めになってたから、堂町は孤立状態やったらしい。
次の日荒戸橋の方から牧に行ったら、牧の旧道が、この雨で崩れてなくなっってた。
羽栗橋の西側の水田の越水跡
(9月22日撮影)
この下手の辺りも、駐車場が水没してました。石居橋の手前なんですが、運送会社の駐車場がどっぽり浸かって。
【9月15日・16日 瀬田自宅付近】
直接被害はない。ずっと降ってたから、これは災害級の雨になるなと思ってた。
うちは坂道の途中にあるんで、降ると側溝の一番下でドバドバと水が溢れるんやけど、その一歩手前まできてました。音でわかる。ドッバンドッバンて激しい音で。
あくる16日は、起きたときは降ってたので、外には出なかった。
9時過ぎぐらいに、雨がやみかけてたので出てみたら、家の周りは、「雨、ようけ降ったなあ。」いう程度で、さしたる被害はなかった。 けど、名神高速も電車も新幹線も、みな止まってた。
9月16日6時30分撮影
提供:県民
家の裏の大戸川の堤防越水により、敷地内を横切って、滝のように道路に落ちる洪水
【聞き取りにおける被害状況】
大型の勢力を保った台風18号は、9月15日から16日にかけ、滋賀県で記録的な大雨をもたらした。16日午前5時5分、初の大雨特別警報が発表された。この台風により、県内各地で河川が氾濫して、浸水被害が多数発生した。
大戸川においても水位が上昇、氾濫し、周辺に広範囲の浸水被害が発生した。
体験者の語り 男性 53歳(昭和36年生まれ) 聞き取り日:平成26年7月15日 災害写真も提供
【江戸時代に3分の2ぐらい集団移転している】
ここに50年以上住んでますが、このような状態になったのは初めてのことで、大変ショックでした。
あの日は、3連休の真ん中の日の夜でした。家が農家で、9月に入ってから雨が多くて、なんとか前の週に刈取りを済ませたところでした。
15日日曜日の晩、雨の降り方が激しくて、「しらしがメール」(注:メールで知らせる滋賀県の安全・安心情報)を見てたら、大戸川もかなり危険な状態みたいやったから、ちょっと様子を見に行こうと、子どもと車で、大戸川の周りを見に回りました。
そしたら、もう今までにないぐらい水が浸いてきていて、もういっぱいいっぱいで、このまま降り続けるとひどいことになると思いました。
堂の集落は江戸時代からあるんですが、過去の水害記録からみると、前はひとつのところに固まってたのが、集落のほとんどは移転してて、うちのとこの7・8軒が移転しないで残ってる場所なんです。
お宮さんも寺もみな、そのときに移転したと聞いてます。江戸時代1802年の水害後です。
私の家の前の、現在田んぼになってるあたりに昔集落があったんですが、その時大戸川が切れて、みな流されてしまったんです。(1802年―江戸時代の享和2年、堂村23戸のうち20戸が流失)
それでみな、川向こうの山側に集落を移しました。うちのあたりだけが流されずに残ったので、そのまま移らず残ってるんです。
うちはそうやって昔から残ってるとこなんで、やっぱり、大丈夫やろという気持ちがあって、そのときもなんとかなるだろうと思ってました。
【明るくなってみたら、一面浸水】
9月16日の朝、5時ぐらいに明るくなったので様子を見たら、もう、あたり一面水が浸いてきてました。
うちの家は、少し高いんで大丈夫やったけど、小屋に、取れたての新米を置いてたので、びっくりしてそれを高いところへ動かしました。
その時の水量は、まだ膝まではいってなかったと思う。まだ間に合うと思って、一生懸命上に上げてたから。一番底にあったものは浸かってたけど。
車はガレージから出して、急いで高いところへ移動させました。
お墓のあたりからこの農道の辺は少し高いんですよ。田んぼは海になってますけど、道だけ残ってたんで、そこへ車を移動させました。
こどもたちは、トイレが流れないと騒いでいました。周りが全部浸かってるから、下水道も水でいっぱいで流れないんやね。それどころか、家の土間にあるマンホールは逆流してきて、ボコボコ下から水がくる。その水がそのまま溜まって家が浸かると大変なので、家の中で必死でバケツリレーしました。家族みなで必死で櫂出した。
外からの水も、なんとか玄関先ぎりぎりで止まったんで、家の中は幸い大丈夫でした。
起きてから1時間半ぐらい、バタバタとそういういろんなことをやって、ちょっと落ち着いたんで、写真を撮る余裕が出てきました。
6時半頃のこの頃が、ちょっと水引いてきたなという頃やったと思います。
隣の家は裏が川で、大戸川から溢れた水の通り道になってしまって、家の中を水が流れて、滝のようになってすごい勢いで田んぼへ流れ出てました。だから、道も田んぼもだんだんだんだん水が浸いてきて。
うちの裏の家は、場所が高いので、大丈夫でした。
まあ、その時やれることはやりました。
小屋に置いてた新米は、空っぽのドラム缶の上に置いたけど、そのドラム缶が浮いてしまったので、お米は水を吸ってだめでした。ドラム缶も30kgの米も重いのに、浮くんやね。
外にあったいろんなものは、ずっと遠いとこまで流れていってて、あとでトラックで拾いに歩きました。
【川の改修で危険なところが変わるのでは】
大戸川は、何度も切れたり溢れたりする川ですけど、家の周りだけは、これまで床上も床下も水が浸いたことはなかったんです。だから、ここは残ってるんですけど。川の流れがカーブしてるから、水はこちらには来ない。
昔の人は川の水の通り道を知っていて、この川の筋からいうと、こっちに大きい田んぼがずっと広がってるので、たぶんここで切れて、この田んぼに水を収めたんだろうなと思う。
うちがあるところは高いのでなんとか無事で、下の方は全部田んぼですから、水はこの田へ流れる。
いつも切れるところは決まってたから、田んぼにしとくと、切れても田んぼが浸かるだけで、浸かってもまた耕作できるというふうに、うまく考えてたんだなと思います。
昔はそうだったけど、今はそういう危ないとこに家が建ったり、ハウスができたりと田んぼも変わってきてる。
実はそこは、こういうときの川の流れる道になってたということが、後からわかる。
田んぼだったところに家が建った
(NHKニュース画像)
それを、川を改修してきれいにすると、今度は川の逃げ道が変わって、大戸川は狭いですから、ぶつかり合ったりする。
人為的に水の道を変えることによって、うちのあるこの辺りの安全性も、変わるような気がする。それも怖いなと思う。水の道が変わると、危ない個所も変わってくる。
昭和57年の台風10号の時は、私とこの家から少し離れたところが決壊した。
その時は、田んぼがもうちょっと低かった。 平成5・6年ころに圃場整備をして、田んぼの区画整理をしたときに、家の前の田んぼの深さが浅くなって、家に近くなったように思う。昔の田んぼは、もっと低かった。だからその分、今は水が溜まる量が少なくなったかんじはします。
やっぱり、昔からのことは、意味があるのかな。今回も、浸かったとはいえ、別に家が流されたわけじゃないし。
昔のままがいいということではないけど、やっぱり川も生き物なんで、溢れてきた水を逃がすところがあってこそ、自分たちのとこが守れると思います。
開発もそれを考えながらすると、そんなに大きな工事をしなくても、災害は防げるのではないかな。
【道が陥没で、うちのあたりは孤立】
前夜10時ぐらいに川の周辺を見に行ったときは、すでに今までにない水量でした。河川敷にある児童公園が海になってた。けど、その向こうにある県道まで、50cmぐらい余裕がありました。
ところが夜の間に、道を越えて水が出てきた。それは初めてです。
この児童公園はよく水が浸かるんです。おととし(平成24年)の8月もここは海になって、フェンスは全部流されて、市が直してくれたとこのフェンスが、また持っていかれた。ここ、よう浸かって危ないけど、公園やから大丈夫。
大戸川右岸の児童公園
平成25年9月17日撮影
近くの堂村橋は大事な生活道路で、どこ行くのも、この橋渡って行かなあかん。
この橋は昭和60年にできた橋で、けっこう古いけど、大丈夫でした。いろんなもの流れてきたし、相当負荷がかかったと思うけど、流されなくてよかった。
うちからは、橋につながる道が陥没したり、冠水してるところがあったので、半日は孤立状態でした。
これは家から堂村橋へ通じるいつも通る道やけど、この流れがすごい急で危ない、とても通れない。水が膝上まであって。水が引いて裏から見ると、こんな状況で。 この道が直るまで、半月ぐらいかかりました。
あちこちからの水が荒れ狂う、家から堂村橋へ通じる道
水が引いて見たら 、こんなに基礎がえぐられていた。
【平常時に、災害に対する備えができない】
おととし平成24年8月の時もそうやって、毎年、ちょっと怖い思いをしてるわりには、備えはしてない。去年(平成25年)もあれだけ、土嚢があったらいいのにと思いながらも、平常時では土嚢を作って置いておくという作業をする気にはならないですね。
【近辺の被害】
残った泥を掻き出すのがまた大変で、毎週土日に作業して1か月ぐらいかかりました。泥は何cmも溜まったわけじゃないけど、粒子が細かいため、乾いたらものすごい埃やし、水に浸かったらべちょべちょで、スコップですくいにくい扱いにくいもので、大変やった。
うちは、しんどかったけど、なんとかおやじと二人で始末しました。捨てるとこも敷地内にあるから。
隣の家はもっとひどかったので、ボランティアの人に来てもらってはった。
ここの家の方がうちより高いんやけど、裏から水が堤防を越えてきたんで、敷地内が川になってた。 家から道に水が流れ出てたでしょう。びっくりしましたわ。
けど、隣は2階で寝てたので全然知らなくて、起きて、びっくりしたと言うてました。若い人やから前のことは知らないでしょうし、よそから来てる人なんで、危機感は、ぼくらよりずっと少なかったと思う。
その向こうの家も、床上までいったと思いますよ、水の流れ道やったから。ここ一番ひどかったと思いますわ。
この2軒は、川が近いんで、敷地内を洪水が流れて、家の中は床上浸水だったけど、家は流されないで済んだ。
このあたりは川のそばなんで、ふだん湧き水もあるんです。今は河床が下がって、水はだいぶ少なくなったけど。うちの井戸は、僕の小さいときは、雨が多い時期になると、手が浸かるぐらいまで水が溜まってた。けど、今回の台風ではだめでした、水は真茶色で。
今回は、引いたなと思えるのに、夕方までかかった。台風の前にも雨が多かったし、その上にまたドカンと降ったから、よけいに被害がひどかった。 水が引いていくのが、けっこう遅かった
私の家は築50数年で、中2階です。本2階ではないのは、台風対策と聞いてます。東向きに建ってるので、風当たりが強い。昔の人は、台風を想定して、屋根の上に土を載せて、その上に瓦載せて、重たくして飛ばされないようにしてた。
けど、私が生まれた年は第2室戸台風の年で、家も新築やったけど、瓦が全部飛んだ言うてました。風の強い台風でね。 そういう家づくりをしてたけど飛んでしまったので、やたら瓦を家の周りに置いてあった、飛んだ時に直せるように。
そういうふうに、風の方は心配してたけど、水対策は、うちは昔から残ってるとこやので大丈夫やと思って、してなかった。
錦鯉が田んぼの排水路に迷い込んでて、水が引いた後も、しばらく泳いでましたわ。洪水といっしょに流れてきたんやね。
【この調査は、関西大学環境都市工学部マネジメント研究室と協働で行いました】
住民の方たちの体験から、「地域の特性」「昭和28年多羅尾豪雨の水害」「昭和28年台風13号の水害」「昭和57年の水害」「平成25年台風18号の水害」をマップにまとめてあります。
【石居の概要】
・大戸川を挟んで、右岸は石居1丁目と3丁目。山地から大戸川への坂地で、集落の地盤標高は付近の集落より高い。そのため、地域には《石居橋まで大戸川の水位が到達しない限り、水害被害はない》という認識がある。
・1丁目と3丁目の間は山地が道路に迫っていて、集落は繋がっていない。坂の下付近は、大戸川が増水したら溢れやすい。
・左岸は石居2丁目。平地で田地。大雨が降って大戸川の水位が上昇すると、農業用排水路である古川に集まった多量の水が排出できなくなるため、梅雨の頃など、浸水しやすい。
体験者の語り 男性・ 聞き取り日:平成29年10月12日
・9月15日、昼過ぎより雨が降り続いていたので、石居1丁目の、堤防前にある我が家は危険だと思い、午後11時前に、車を石居自治会館へ避難させた。この時、堤防道路は、歩くことができた。
16日夜中3時過ぎ、自宅前の道路が30cmほど冠水してきたので、土のうを積んでもらったが、危険を感じたので自主的に避難して、よかった。堤防道路は水没し、自宅は床上50~60cmの浸水被害にあった。
少し離れた山際では土砂崩れがあり、2mほど土砂が堆積していた。
同じ頃、3丁目の四の谷川が溢れ、大戸川付近の家屋が5軒床下浸水した。堤防道路は、1mほど冠水した。
・左岸の農地は、すべて冠水。
・少し上流の堂は、深さ1m以上の浸水被害にあった。
・雨が上がってから、避難勧告が出された。
・うちは家を建て替える時、1mほどかさ上げした。
増水している大戸川。石居橋から下流をみる
県撮影:H25.9.16.6:16
越水して道路と川の境目がわからない、大戸川右岸、石居橋上流
提供:大津市
撮影:H25.9.16.10:30
水の迫る石居橋
県撮影:H25.9.16.6:16
古川橋より見る、一面冠水の、森・堂方面
県撮影:H25.9.16.6:15
体験者の語り 男性・ 聞き取り日:令和3年5月26日
平成25年9月15日に台風が接近する天気予報の情報が入ってきた。大きな台風である。
私は9歳で小学3年生の時に、名古屋で伊勢湾台風を経験していて、川が決壊し通過後の翌朝、現地およびニュース等で状況を確認したら家が倒壊とか死者も多く出て、すごい台風を経験した。
今回の台風はそれに匹敵する台風だとテレビの天気予報が言っていた。
16日の午前3時半くらいまで起きていたが眠くなって少しうただ寝した。
それから1時間するかしないか(午前4時30分頃)ぐらいの時に、家の外から防災の方たちが腰あたりまでに水に浸かりながら○○さん○○さんすぐに避難してくださいと叫ぶ声が聞こえてきた。しかし、目の前の道路はすでに水位が高く怖くて外には行けなかった。
私の家の玄関を見るとブクブクと水が入って来て、靴が浮いてくるのが見えた。
浸水状況を見ながら仏壇・テレビ等は1階から2階に上げて、台風が通過して行くのをひたすら我慢していた。
その時間が長くて長くて、台風が過ぎ去っていくのをあまり覚えていなかった。それほど怖かったイメージが強く残っている。
床上浸水で冷蔵庫も危なかった。畳は浸かって全部取り替えた。
エアコンの室外機が浸かり全部駄目になり、その後の対策として室外機をその時の浸水面より上にあげてもらった。(壁に取り付ける事で音がうるさくなったけど。)
車も水没し2台駄目になり、買い替えの費用もかかった。保険金も全額は出ない状況であった。
その後の改修費・家具調度品等の予算も考えておく必要がある。
その時浸水になるとは思っていなかったので、車の退避はしなかった。それ以後は大雨が降るたびに高台の家の方に一時的に車を退避させてもらっている。
信楽で降った雨が1時間後くらいで石居のこの近くに丁度流れてくる。信楽でもたくさん雨が降ったのだろうと思う。だからこんな大洪水になったのではないか。
地域の人は色々と経験しているので皆さんは良く知っていると思う。
その前の時間帯はもっとすごくて、道路が川になっていて木とかが色々と流れてきた。
私の家の前には5本の木があり、その後ろの木が2本流されて行った。道路が川みたいで、川と道路の隔たりがわからない。どこを見ても道路面が見えない。
避難すると言っても、ここらへんは田上小学校、市民センターまで遠く2.6kmある。また途中で峠を越えて下りて行くとゼオンポリミクスの会社があり、その前の道路は周囲より低くすぐに浸水する。その場所を通っての避難は非常に危険な箇所である。
その近くの家は土地も低くほぼ全壊に近かった。
私の隣の駐車場も水没して何も見えなかった。
私の家の付近は上の方から水が流れて来る。高台から水が用水路に流れて来てここらへんに集まって来る。
私の家の付近も床上浸水して畳もぐしゃぐしゃ、道路沿いの10軒くらいは床上浸水だったと思う。
南部衛生プラント・市民運動広場のグランドの位置は山になっていて、またゴルフ場からも水が集まって来て四の谷川と前の道路の合流地点に溜まるので余計にひどい。
石居2丁目は田んぼだから全部浸かる。大戸川の支流から逆流して来る。浸水したら水は捌けない。
台風の次の日が良い天気になり後片付けをしていた時、大津市の職員の方が浸水状況調査に来ら
れ、調査後早くに罹災証明を出して頂いた。
その午後に大津市長が現地視察に来られた。流れが酷かった状況や浸水で大変な状況等をお伝えした。
台風通過で浸水した後の掃除が大変で、被害を経験した人し
かわからない状態であった。
私と長男で床下に潜って、取り除いても取り除いても泥が残り、汚いし暑いし、30分やっていたら狭いし疲れた。
建坪40坪足らずの家でもどんなにくたくたになったことか…。
ボランティアの方に本当に助けられ、どれだけ感謝しているか!精神的にもすごく感謝している。
バスで沢山の人が来てくれた。若い人達も多く、ボランティアの方がどれだけ尊いか。
心配して、水を持って来たり、心配されてご挨拶に来てくれたり、ボランティアの方には今でも感謝している。
次の日、泥が乾燥するとバス等が通る毎に埃が舞う。
近隣には子供さんがおり、畳・ごみ・浸かった物等が道路の路肩に捨ててあり危険で腐敗した物もあり親御さん達も注意はされていたが、浸水後の衛生管理が重要になってくる。
災害復旧の作業は、当時はまだ60代で大丈夫だったが、今だったらしんどいであろう。
申請して市の指定された業者さんが浸かった箇所を消毒してくれた。
また家の床下まで消毒を一杯撒いてくれた。手際は良かったと感謝している。
感謝を言っても言っても言い足らない。
去年一昨年に熊本で地震・水害があったが被害に遭われた方の気持ちは非常に良くわかる。
避難した時にトイレとかの衛生管理は当時どのようにしてくれるか全然知らなかった。また着替えを貸して貰えるとかもわからなかった。
田上支所・田上小学校に避難するときは石居橋で濁流により流される可能性もあり通れない。
稲津の市民会館へ避難するにも遠すぎる。山伝いに行って橋を渡らなければ行けない。
近いのは田上小学校だけど、橋を渡らずに行くには大分大廻りして行かなければならない。
この地域の避難場所は遠い。避難には難しい場所である。
つい先日の大雨の時にも消防署の方が来てくれて避難してくださいと言われるが、こんな状況では躊躇する。
どこまで皆さんがどのように危機管理を意識しているか疑問だ。私たちは経験しているから分かるんだがこの水位ならまだ良いとか。
つい先日の大雨の時も傘をさして川を見ている人がおり、もしその時に濁流が来たら助からないと思う状況であった。
大雨で道路が冠水したら、長靴を履いたら駄目、靴を履く。(長靴では水が入り自由に動けない。)
ゼオンポリミクス会社の前の道路は、つい先日も土曜日の雨で、低い位置にあり、川の濁流がすれすれまで迫っていた。
河川水位はいつも見ている。危険水位になりましたとか行政の緊急連絡メールが来る。瀬田川の危険水位とかも入って来る。天気予報だけでは心もとないので助かる。
家の前の大戸川で危険を感じるのは信楽で大雨が降った時。(前の台風の教訓から。)
【後世に伝えたいことは】
どんな時に避難したら良いか、家族で話し合っておくことが大事である。
妻は保存用の乾パン・トイレ用品・衛生品・消毒液・お茶・薬を定期的にチェックして入れ替えている。
被害があった時、家族が1週間から2週間生きて行くようにする。その後はなんとか助けに来てくれるだろう。
風がすごい時には洗濯竿とか物が飛んで来たら大変だから飛ばないようにするとか。
災害はいつ起こるかわからない。
災害は忘れた時に来るとの思いを持つこと。(台風水害の経験の教訓から。)
自宅前の道路と大戸川の台風通過直後
撮影:県民
自宅前の道路と大戸川の通常
撮影:県民
自宅前の交差点が冠水
撮影:県民
自宅前の交差点通常
撮影:県民
自宅前冠水状況
撮影:県民
(この冠水状況の動画もありますので視聴を希望される方は、県庁流域政策局まで問い合わせてください。)
自宅前通常
撮影:県民
【藤尾奥町の概要】
大型の勢力を保った台風18号は、9月15日から16日にかけ、滋賀県で記録的な大雨をもたらした。16日午前5時5分、初の大雨特別警報が発表された。この台風により、県内各地で河川が氾濫して、浸水被害が多数発生した。
山に囲まれた藤尾奥町は、山のすそ野に沿って点在する細長い、古くからの集落。
集落内に、大津長等からの流れと、隣接する京都大文字山からの流れが合流する、藤尾川が流れている。川の傾斜がきついので、集落は何度か水害や土砂災害等に遭いながら、住んできた
平成25年9月の台風18号時には、記録的な豪雨による流木や土石で藤尾川に架かる橋が詰まり、川が氾濫して、あたりを濁流が覆い流れた。上流の3軒は、1階が浸水し、家の周りには約1.8mもの土砂が堆積した。
体験者の語り 男性 74歳(昭和16年8月生) 聞き取り日:平成27年5月28日 災害写真提供含む
【見てる間に水が押し寄せてきた】
このたびの災害の、後始末を手伝って下さったボランティアの方・地区・消防等関係の方々には、大変感謝しています。
平成25年9月15日は、朝から雨。午後からさらに強くなり、夜7時頃外へ出ると、藤尾川は泥水で、水かさが上がっていた。
午後9時半ごろ川を見に行ったら、橋まで40~50cmぐらいのところまで、水が来ていた。
川はちょっと雨が降ったら、ゴロゴロと音がして、石が流れてるのがわかる。私ら、小さいころからそれに慣れとったけど、この時は普段の雨の時よりもっと大きい音がしてた。音がしてるということは、まだ流れがあったんやけど。
午後11時半ごろ、消防署の人が来はった。川が危険になっているので、すぐ避難するようにとのことで、すぐ見に行ったら、もう手の届くとこに水が来てた。あたりは泥臭い臭いがしていた。
川に近い勝手口の方を出ると、水がもうすぐそばまで入ってきていて、そのとき見てた1~2分の間でさらに水が増えた。
これはあかん、浸水すると思い、1階にある大事な物を、家内と2人で2階へ上げた。その間に、土間に15cmぐらい浸水してきて、そこにあった靴やら浮いてきた。
これは危険だ、隣に避難しようと、2人で長靴を履いて玄関の外へ出ると、もう40~50cmの水がきていて、長靴が全部浸かってしまった。膝ぐらいまで浸かって、もう長靴もぼとぼとやけど、鍵だけ閉めて出た。
逃げるときは、水はひざぐらいまで来てたけれど、まだ濁流ではなかったと思う。12時過ぎやったと思う。
隣は、うちより1m50cmぐらい高いんです。いとこなんで、そこに避難して窓から一晩中、どうなるんやろうと見とった。
そしたらもう、見てる間に水がザーッと流れてきて。ちょっと先にエアコンの室外機があったんやけど、それが舟のように浮いて動いてた。
うちと隣の間の通路に、川からの濁流が暴れて流れてて、どんどんどんどん水が走って、すさまじいんや。
川が、流れてきた土砂でいっぱいになったから、水が溢れて低いとこへ逃げてきたんやと思う。うちはちょっと低いから、一晩中ずっと流れてた。その水がそのまま、下流側の家の方へ流れていくんや。
避難したこの隣の家にも、あと30cmぐらいのとこまで水がきた。これ以上になったら、この家も危ないと思てたんやけど、なんとか収まった。よかった。
夜中じゅう一睡もできなかった。明るくなってまわりが見えてきたら、濁流が家の周りをぐるっと一回りして、流れていた。
生まれてこの方、家がここまで浸水するいうのは、初めての経験です。
藤尾川が溢れ住宅が浸水。道と川の区別がつかない
通常
撮影:滋賀県
【土砂が家の周りに堆積して、入れず】
翌9月16日正午過ぎ、雨が上がった。
隣りの家の周りを流れる水の勢いは、午後2時過ぎぐらいから少しずつ弱くなってきた。この濁流はみんな、うちの周りから下流の方へ流れていっていた。水が勢いが強いので、外へ出られなかった。
流れがおさまってきた夕方4時過ぎに外へ出て見たら、土砂が我が家の周りに1.5mぐらい溜まっていて、うちの玄関が開かない状態。家の中に入れないんですわ。
土砂に埋まった家
藤尾川に堆積している、大量の土砂
庭にあった物干し台も、ほとんど埋まってた。土砂の上に立つと、もう屋根に手が届くぐらい、土砂が溜まっていた。川の方が高いから、家の方へどんどん水が入ってくるんです。昭和28年の経験といっしょや。
家に入れへんもんやから、なんとか少しだけでも玄関前の土砂をのけようと、近所の人たちがスコップやらつるはしで、のけてくれはった。
それから、家のまわりの土砂が壁になって、家の中の水がはけへんので、近所の工務店の方がユンボを持って来て、土砂の山に水の通り道を作って流してくれはった。
玄関前 9月16日 午後4時半頃撮影
家の中の水を流す水路
埋もれて、竿掛けの部分しか見えない物干し台
そうやって17日の夕方、やっとのことで家の中に入った。雨戸を閉めてたから、幸いにも家の中には土砂は入ってなかった。水は流れてたけど。大きい冷蔵庫は立ってたけど、小さい方は倒れてた。畳は、床下から水が持ち上げたのか、浮きあがってた。
片づけるとき、水を含んで重たくて、1枚を男4人でやっと持てたという状態やった。
壁についた浸水の跡
撮影:滋賀県
床下の泥を掻き出しているボランティアの人々
壁に泥水の跡がついていた。畳から80~90cmぐらい、土間からやと1立方メートル~40cmぐらいのところに、今も跡がついてる。
そんなで、家の中は散々たるもんでした。3年前に家全体をリフォームしたとこやのに。
藤尾川は、上流の橋が落ちて、流れてきた土砂や竹・流木でうちの橋を含めて下流の橋が3つ詰まったので、水が溢れてここらへん全部浸水した。うちの家は1m80cmぐらいの浸水。ふだん川底まで1.8mぐらい下やから、合わせて、3.5~6mぐらいの水がきたんやと思う。
近所の人やボランティアの方が大勢来て、一生懸命やってくれはったおかげで大変助かり、感謝の思いでいっぱいです。
裏の藤尾川に堆積する、流木や倒木・流石等
流れてきた木やゴミの詰まった橋
【先祖からの家やけど、引っ越した】
うちは先祖代々ここに住んでるけど、道路より家の方が低い。おそらく60年か70年に1回は、こんな目に遭うてると思う。
記録にはないけど、母親から、私の生まれる直前の昭和16年6月に、全く同じような被害にあったと聞いている。それから72年経ったんが、平成25年の今回や。
それから私の小さいころ、おそらく昭和28年頃の話やと思うけど、藤尾川のとこへ出て、もう水に手が届くなあいうのを経験してるんです。だから、ここはたびたびこんな水害経験をしてると思う。
このあと、私は先祖からの家はこのままにしておいて、安全な所へ引っ越しました。
【藤尾奥町の概要】
大型の勢力を保った台風18号は、9月15日から16日にかけ、滋賀県で記録的な大雨をもたらした。16日午前5時5分、初の大雨特別警報が発表された。この台風により、県内各地で河川が氾濫して、浸水被害が多数発生した。
山に囲まれた藤尾奥町は、山のすそ野に沿って点在する細長い、古くからの集落。
集落内に、大津長等からの流れと隣接する京都大文字山からの流れが合流する藤尾川が流れている。川の傾斜がきついので、集落は何度か水害や土砂災害等に遭いながら住んできた
平成25年9月の台風18号時には、記録的な豪雨による流木や土石で藤尾川に架かる橋が詰まり、川が氾濫してあたりを濁流が覆い流れた。上流の3軒は、1階が浸水し、家の周りには約1.8mもの土砂が堆積した。
体験者の語り 男性 70歳 (昭和20年3月生) 聞き取り日:平成27年5月28日
9月15日の夜11時くらい、雨足が相当強くなったように感じてた。
私は70才で、過去にも藤尾川の怖さというものを経験してるので、寝ずに監視してた。
そしたら、まず川の水が濁り、泥水になって、今度は土臭がした。そしたら、川の音が石の流れる音になった。もう16日になってたと思うけど、ゴロゴロゴンゴン、相当な音やった。
私は過去の経験から、また溢水するんと違うかなと思ったので、消防署に電話して、土のうを300ほど持って来てもらうことにした。
で、出動してくれたらしいんやが、水が道路に溢れてて、急な坂やから消防車が動かれへん。うちは上流の方やので、そっちまで行けんという連絡がきたんや。
それと、消防車に載せてきた土のうは、下流の人たちが、家が浸きかけてるので欲しいというので、みな下ろしてしまったからもうない、言うんや。で、土のうはなかった。
そのあと、常備の西消防署から分隊が来て、川を見とった。
そしたら、16日未明やと思うんやけど、消防署が来て、1番上の橋が今落橋したので、高台へ避難してくれ言うんや。
けど、家も心配やし、なかなか逃げられない。古い家やから、仏壇から何からあって。まあ、2階は大丈夫やろから、とにかく2階へ上がれいうことで。
それまでは、家の中に水が入ってけえへんように努力した。事前にシーツやらタオルやら、家にある止水できるもんはすべて用意して、窓や玄関のサッシのとこにみな詰め込んで。ほんで濡れたら絞ってまた置いて。床下の換気口もふたしたし。
そうこうしてるうちに、消防署は、手立てがないから我々はもう引き上げるというて戻りよった。消防署員も消防車も危ないしな。
で、親と息子1人を離れに避難させて、本家には仏壇があるから、私と家内ともう1人の息子が残った。
ほんまに水が怖いのは昔から知ってるし、川が溢れて水がくるいう予測はしとった。それで消防へ電話をしたりしてる間に、もうそんな状況やろ。落橋やいいよるし。
で、限界が近づいた時に、明るなってきて、助かったちゅうことや。
外が白々としてから表を見たら、すさまじい状況ですわ。家の周りには、土石が1m以上堆積してる。泥と石や。大きな石もころがってる。橋には流木が詰まってるし、家の方へ逃げてきた水が家の間を通って、流れていってる。庭の灯篭やらもあらへん。流されたんかと思てたら、おったわ。土砂に埋まっててん。
ここが坂やなかったら、家全部浸かってたかもしれん。まあ、坂やなかったら、あれだけの流木は流れてけえへんかったやろけど。
高低差のある隣家との間を走る泥水
提供:県民
通常
撮影:滋賀県
庭の灯篭ーここまで埋もれていた
撮影:滋賀県
家の間を走る水
提供:県民
今回は、一番上の橋が落ちて、次の橋が詰まって、その次が詰まって、またその次の橋も詰まったから、ここらあたりが大惨事になったんやけど、下の方も、坂やから川も道もわからんぐらい水が走って、床上床下浸水してる。
まあ、ここで詰まらんと流れてても、どっかで詰まってる。
災害の怖さは、みんなある程度、知ってると思う 。
うちも、私が知ってるだけでも、2回浸水被害に遭ってる。昭和16年もおんなじように、藤尾川が氾濫して泥水が押し寄せてきて、今回とおんなじように、近所3軒が床上浸水して、泥だらけになってるんや。流域の下流の方もひどい被害やったいうことや。
ここらは水が怖いとこや。堤防のかさ上げはなかなかしてくれへんから、昔から、自らが家の前やらに建てる防災壁やら石積みで、1m余り上げてた。川が溢れても、水は道路は走るやろけど、家の中は大丈夫なように対策をとってたけど、こないだは想定外や。家と家の間を水が走ってくるんやから。
で今度は、壁がしてあるもんやから、逃げる水も逃げへん。そんなことはまさかと思てた。川からの水だけを考慮してたらいいと、対応してたから。
撮影:9月16日 16時頃 提供:県民
氾濫した藤尾川の水が、川と道の区別なく上流から流れてきている。
運ばれてきた石や土砂が道路にも堆積。
【藤尾奥町の概要】
大型の勢力を保った平成25年台風18号は、9月15日から16日にかけ、滋賀県で記録的な大雨をもたらした。16日午前5時5分、滋賀県に初の大雨特別警報が発表され、県内各地で河川が氾濫して、浸水被害等が多数発生した。
山に囲まれた藤尾奥町では、記録的な豪雨による流木や土石で藤尾川に架かる橋が詰まり、川が氾濫してあたりを濁流が覆い流れた。上流の3軒は、1階が浸水し、家の周りには約1.8mもの土砂が堆積した。
体験者の語り 男性 73歳(昭和17年7月生) 聞き取り日:平成27年5月28日 災害写真も提供
【藤尾奥町の被害状況】
私は当時、藤尾学区社会福祉協議会長で、藤尾学区自主防災会の副会長でボランティア対応班担当だったことから、9月16日午前1時頃、消防署職員から災害の連絡を受け、様子を見に行った。
しかし、闇夜であり、豪雨で道路は川となっていたので、どうすることもできなかった。
災害は、藤尾川上流の集落から下流付近までの約800mの間に、5箇所の橋が流木や大きな石等で詰まったため、その水が家屋周辺と道路に流れた。上流の橋は耐え切れずに、15日深夜に崩壊した。
藤尾川は数か所直角にまがっている箇所があり、その箇所の橋が詰まって、土砂等で川底が高くなり、川の水が流木やゴミ等も一緒になって道路に流れて、歩くことが出来なかった。
私たちが把握している家屋災害は、床上浸水1軒・床下浸水4件で、道路は7箇所寸断され、約1週間車は通行不能であった。
藤尾川左岸の国道161号バイパス側は、土地が高いので流水は心配ないが、小さな山崩れが数か所あった。
藤尾川氾濫の始まり地点
氾濫した水が川と道路を流れる
濁流に覆われた上流の道路・住宅・畑・川
勢いよく水の走る道路
うちの裏の沢も、想像もしてないほど大量の水やった。ここも直角に曲がったところで、溝が詰まって水が溢れ、田んぼに土石と流木が大量に流れた。野菜等が栽培できるよう整地するのに、1年半ほど費やした。
この沢からの水や流木等は、集落の奥に隣接する京都の大文字山から、流れてきたと思われる。
小さい川や谷間の沢でも、水害が起きる。
下流の集落は、住民と消防団員とで土のうを積んだので、床下浸水から免れた。
ここで土のうを積んでなかったら、もっと多くの家が床上浸水、床下浸水に遭ったと思う。上流で要請のあった土のうだが、ここで積んでもらって良かった。
上流へは、夜間で、豪雨であり、道路が寸断されていたので運ぶことが出来なかった。
一人暮らしの高齢者から、家に濁流が流れ込んできたので助けてほしいとの電話があったが、道路の寸断で、助けに行くことが出来ず、2階に避難するよう伝えた。
道路は20cm程度の冠水だったが、坂が急で、激流で流されそうになり、危なくてとても歩けなかった。
小さな沢からの大量の出水が道路に流れる
大きく崩壊した護岸
この台風ですさまじい被害に遭った藤尾川上流の家は、昭和16年の台風時も、同じような大きな水害被害に見舞われていた。
今回、床上浸水の被害に遭われた1軒の家族は、「もうこんな怖い目に合うのはかなわん」と転居された。この家は、江戸末期から住んでおられた由緒ある家なので、残念である。
【何度も災害研修会に参加してたので、スムーズにできた】
9月18日に、藤尾支所に災害ボランティアセンター本部を開設したが、被害家屋からは遠方なので、サテライトを開設した。被災者にしてほしいことを聞き、ボランティアを被害家屋に振り分け、同時に機材も振り分けて、活動を開始した。
こういうことは、大津市の災害研修会に何度も参加して勉強していたので、出来たと思う。
災害ボランティアは、15日間で800人以上の方が来てくださった。地域の方も、小型重機を持込み活動してくださったことで、復旧活動はスムーズに行えた。大変ありがたかった。
【自分で情報を収集して 対処すること】
台風18号の時は、被害に遭われた家が各自で対応されていたが、今後災害が想定される時は、藤尾奥町自主防災会が対応の準備をするべきだと思う。また、隣近所で助け合いが出来るよう、日頃から話し合いが必要だろう。
水害に対して個人で出来る事は、家屋に土石流が入らない工夫を、平時から準備しておくこと。
土のうが大きな役割を果たすことが体験できたので、自治会や、水害の恐れがある家屋は、個人ででも、土のうを準備する事が大切だと思う。幸い、藤尾学区自主防災会では200袋以上保存しているので、申し出ればもらえる。
最近の情報収集は正確なので、防災準備がしやすいと思う。
今後、この台風18号の経験を生かすとともに、危険な箇所、山崩れ土砂災害は、「大津市災害マップ」を参考に防災に努めることが必要だろう。
今は自分で情報収集できるので、情報提供がないとか、あっちが悪いこっちが悪いというのでなく、自分で情報を収集して、もし災害が起きたらどうするかという準備をしておくことが大切。
どんな災害にも、『自分の命は自分で守る』『隣組の助け合い』が必要だし、また、助けてと言える間柄が必要だと思っている。
【平成25年台風18号 被害状況】
大型の勢力を保った台風18号は、9月15日深夜から16日にかけ、滋賀県で記録的な大雨をもたらした。16日午前5時5分、全国で初の大雨特別警報が発表された。この台風により、県内各地で河川が氾濫して、浸水被害が多数発生した。
大津市南西部を流れる百々川や吾妻川も、大雨のための増水や、上流でくずれた土砂や流木が押し寄せてせきとめられたため、あちこちで氾濫し、多くの家屋や道路が浸水した。
体験者の語り 男性 47歳(昭和42年3月21日生) 聞き取り日:平成27年1月 災害写真も提供
私はJR堅田駅付近に住んでいます。
台風当日の9月16日は非常に強い雨風だったので、台風通過直後に、家から50mほど離れたところにある、堅田内湖に通じる小さい川の様子を見に行きました。すると、いつもより1m程度も、水位が上がっていました。
私は過去に、川が氾濫し、一晩で倉庫が浸水して中の物がすべてぐしゃぐしゃになり、大変な思いをした経験があるので、川の様子が非常に気になり、見に行ったのです。
台風が通過した翌日の平成25年9月17日、堅田から自転車(ロードバイク)で京都駅付近まで行き、途中で2枚の写真を撮りました。
17日の朝8時頃、近くの天神川を見ると、水位が非常に上がり、泥水が河口付近に広がっていました。あたり一面非常に土臭く、不衛生な状態でした。
走っていると、ずっと道は泥などで汚れていましたが、途中から景色が大きく変わりました。
浜大津の赤十字病院付近からは、まだまだ土砂が道端に多く残っており、後片付けに携わる人も大勢いて、堅田とは景色がまったく違うことに非常に驚きました。
近くにいた住民に話を聞くと、台風当日は、排水溝から約1mほど泥水が吹きあがっており、手がつけられなかったそうです。
そんなことを聞きながら、浜大津から国道161号線を国道1号線の方へ上がっていきましたが、溜まった土砂の上を、まだまだ泥水が山手の方からザーザーと流れてきていました。
そして京阪電車の踏切に近づくと、写真の光景が広がっており、いっそう驚愕しました。
小屋は流されてきて線路をふさぎ、踏切の線路も道路も、土砂で埋もれていました。周りは土臭く、異様なこれらの光景に思わずカメラを向けました。
流されてきた小屋や石、泥で線路が埋もれた、京阪電車踏切内 逢坂1丁目付近
台風通過のあくる日
土砂で線路が見えないほど埋まり、さらに、どこからか流されてきた小屋が、載っている。
それからそのまま山科方面に行くと、大谷町の民家横の幅1mほどの川が氾濫して大きくえぐられており、今にも玄関付近が崩れ落ちそうな様子でした。国道はそれほど汚れてはいなかったので、被害の大きさに驚きました。山からの川の水は増量していたのでしょう、白く泡立って流れており、やはり土臭いにおいが漂っていました。作業員の方が確認作業をしていました。
民家の横や玄関前の土砂崩れを確認する作業員 大谷町
さらにその先の交番付近では無人の京阪電車が止まっており、京阪の作業員がレールの復旧作業をしていました。
山科に入ると、京都市営地下鉄の御陵駅の入口が封鎖されていました。京阪電車はバスへの代替輸送が行われており、大津市大谷のバス停留所やその他京都山科付近の停留所では、京阪の社員が整理にあたっていました。
あとから知るところによると、地下の御陵駅に雨水が流れ込み、レールが50cmも浸水して不通になっていたということです。
堅田とは全く違う光景を見て、災害への認識を改めて考えさせられる一日だったと記憶しています。
【参考―国道1号沿線のその他の被害写真】
京阪追分駅地下道
提供:T.Oさん
横木国道1号線下アンダーパス
提供:県民
京阪電車の踏切
平成25年9月17日
提供:吉田信介様
国道161号 逢坂1丁目付近
平成27年2月
撮影:滋賀県
「押し寄せた水が、通路奥の京阪電車の線路に当たって、また戻ってきた。」
1年半後の今も、浸水痕はくっきりと残っている。 浸 水深は、約1m
京阪線路の高さと、壁に残る浸水痕の高さが同じ。
平成27年2月
撮影:滋賀県
体験者の語り 男性 65歳(昭和25年生まれ) 聞き取り日:平成27年2月3日
平成25年9月16日火曜日、台風襲来時のこと。2階で寝てた。朝5時頃目が覚めて、下へ下りてきてびっくりした。1階が水浸しで、畳は浮いてる。仏壇も冷蔵庫も、台所や部屋に置いてあるいろんなものが浮いてたし、玄関に置いてある自転車は、サドルまで水に浸かってるのが見えた。もう、階段の途中から下へは下りられなかった。
本当にびっくりしたけどどうしようもなく、また2階へ戻って、水が引くまでがまんしてた。
近くに止めてあった自動車は、窓のすぐ下まで浸かってた。
このあたりに流れてきた水は、京阪電車の線路に行き場を閉ざされ、線路の盛り土にあたって、また戻ってきてた。浸水の深さは約1m。2階で寝てたから、助かった。
水は徐々に引いて行ったけれど、家の中も泥のにおいやらで臭く、冷蔵庫も漏電していて、さわるとビリビリした。家具も何もかもぐしゃぐしゃで、みんな買い直しや。
しばらくして、浸水したところは大津市がきてみな消毒してくれた。けど、水浸しになってたから、床を乾かすのがたいへんで、2週間ぐらい扇風機をずっと回して風を送ってた。畳はきれいにしてくれたのでよかったけど、壁やふすまはそのままなので、今も跡が残ってる。床から40cmぐらいのところ。
ふすまに残る浸水痕
撮影:滋賀県
家の外壁も、浸水した地面から1mぐらいのところから下は、色が変わって今も水跡がついたまま。
撮影:滋賀県
子どもの時からここに住んでるけど、こんなひどいのは初めてや。 何度か浸水したことはあるけど、地面から数cm程度。
中学ぐらいの大雨の時、10cmぐらい浸水したことがあるけど、それは家の前の溝が溢れて、家に水が入ってきた。
(注:昭和40年9月台風24号のこと―県東側を北東方向に進んだ雨台風で、9月17日朝から降り始め、終日暴風雨となったが、18日1時頃にはおさまった。この台風は比良山系で400~600mm、鈴鹿山系で500~700mm、平野部でも200~400mmの雨をもたらした。琵琶湖は18日に+104cmを記録し、洗堰は17日には下流枚方で警戒水位を突破したため全閉操作もなされた。)
けど、大津合同庁舎前道路の地下に、常世川の地下河川が設置されてからは、そんなことはなくなった。
盛土で通路より上を走る京阪電車の線路
撮影:滋賀県
線路横の浸水した家。住めなくなって引っ越したという張り紙が貼ってある
撮影:滋賀県