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竜王町 昭和34年伊勢湾台風

水害履歴

位置図
位置図
水害写真
水害写真

場所:竜王町弓削
提供:竜王町役場

弓削 昭和34年伊勢湾台風

位置図
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水害写真

場所:竜王町弓削
提供:竜王町役場


体験者の語り 地元の方4名による

【内水による被害】
質問 :34年はどれぐらい浸かってたんですか?
Aさん:34年は一昼夜浸いてたんちがうか。 
Bさん:いや、2日ぐらい浸いてるやろ。
質問 :稲は大丈夫だったんですか?
Aさん:あの時は稲は大きくなってたから。これは9月に起こってるでしょ。穂が出た後やから、1等米は取れへんかったけど、2等米は取れたと思う。
Cさん:その当時は、刈り取りも遅かったし。昔は、11月に刈ってた。
Bさん:うちらでも田があるんやけど、弓削辺りでは、その年に米が取れるわけやけど、1年分は余分に持ってなあかんって親から聞いてた。
質問 :余計に持つというのは、どういう意味ですか?
Aさん:お米が取れない年もあるから。
 うちの集落では、新米を食べることは少なかった。1年ぐらいは持ってたから。
質問 :昔は牛とか飼ってたと思うんですが。
Aさん:牛は、外に放り出しとく。牛は賢いから、どこにでも行きよる。括ってると死ぬから、放しておく。
質問 :その後は、どうやって牛を見つけるんですか?
Aさん:家族と一緒やからすぐ分かる。家の一番いい場所に、牛はいた。それぐらい、牛は大事なものやった。水が浸いたら、一番先に牛を出してやる。
Bさん:堤防に牛を上げる人もいた。低い家と高い家があると、高い家に牛を預ける。昔は1軒に1頭じゃなくて、2、3軒で1頭飼ってたから、預った。
質問 :飲み水も内川の水を飲んでたってことですけど、その川も浸いたんですよね?
全員:浸いた。
質問 :じゃ、飲み水はどうしたんですか?
Aさん:ここらでいう樽桶、ドラム缶みたいなもんに砂入れて、濾してた。飲み水だけは砂で濾してた。
 1m程の砂を入れて、その中に柳の根っこや炭の入った水を入れて、濾して飲み水にしてた。
 風呂の水は、直接川の水を汲んでた。
 一番困ったのは、その当時は下水がなかったから、汲み取りの便所に水が入って、中のものが出てきた。今ではは考えられへんけど、味噌も糞もいっしょくたっていうて、昔はそんなんやった。昔はそれが肥料になってたんやけど、水が浸くと、中が全部流れてしまう。汚いって言うてられへんかった。今の若い人には考えられへんと思うけど、実際に災害にあったところは、そんなもんですよ。
Aさん:うちの集落は、34年の時に庭に水が入ったっていうのは、3軒しかない。それだけ土地が上がってる。こんなけ水が浸いても、大丈夫やった。水が入ったのは、下のほうの3軒だけやった。
Dさん:私が小学生ぐらいやから、私の家の門より上に水がきてた。ちょうど石垣の高さ。
Aさん:家の中に水が入ったら、臭いが、かなん。後で近所の人が手伝いに行って、床を上げて乾して。うちは、床上浸水はなかった。中まで入った家は3軒あったけど。
Cさん:手伝いに行ったけど、酷いもんやった。
質問 :その臭いを取る方法はあったんですか?
Aさん:そんなん、ない。時代が違う。
役所 :水が浸いたとき、自助が基本ですけど、役場から支援が来たりとかはあったんですか?
全員 :そこまではなかったと思う。

鵜川 昭和34年伊勢湾台風

位置図
位置図

 堤防より表の田んぼは、全部沈んでる。そこはいっつも浸く。
 風も強かった。当時はワラの家が多かった。その屋根が浮いたのを覚えてるわ。20メートルか30メートルの突風が吹くと、どこからか風が入ってくるやろう。そうすると、家がふわーっと浮く。飛ぶということは無いけど。怖かったなあ。


伝承・言い伝え