日野川が決壊し、住民総出で堤防の復旧作業をしている。
提供:万里川平氏
体験者の語り
【母親から聞いた大正6年の水害の話】
大正6年の竹町地先が決壊した話を、 母親から聞きました。
「フチノセ」というところに堤防があるんですけれど、大正6年の10月1日に、日野川が大決壊を起こして。そして、何軒かは床上まで土砂が来てしまって。もちろん田んぼも全滅です。ずっと土砂をかぶってしまったんです。
ここに、氏神さんの神社があったんですけど、この神社も土砂に流されてしまって、氏神さんのかげも形もなくなってしもうたんです。
その時のことを、私の母親が話してくれました。母親が、6歳か7歳のときだったそうです。母親は、土砂をかぶってしまった家の娘やったんです。
避難をさせてもらった家があるんですが、そこの家の屋敷は大きいですわ。そこはもともと土地が高いんです。家が立派なんで、ここへ避難させてもろうたと母親が言っていました。
集落に流れてきた土砂は、埋め立てに使うたり、畑にしたり。
宮さんがあったんやけど、皆流されてしもうたで復興が出来ず、失くしてしもうた。今では考えられんことです。
大きな宮さんやってん。太鼓もあったし、渡り太鼓もあったし、狐とかもいた。宮跡というてる。立派な宮も社もあった。
【堤防復旧工事の様子】
決壊した日野川の堤防を、住民総出で復旧しているところ。当時は、地元住民が使役で工事に当たっていた。
【写真提供:万里川 平様】
堤防の上に、丁張り(ちょうはり:ここまで土を盛るという
立体的な目印ー写真の三角の木)を設置し、壊れた堤防を盛っている様子。
当時は重機がないので、線路を敷設し、トロッコで土などを現場まで運んだ。
三角の設備は、盛った土を重しなどで叩いて、固めるためのもの
作業現場に敷設された、トロッコのレール。(画面を斜めに横切る線)