平成2年と6年の水位実績標柱
撮影:滋賀県
愛知川河川敷田附町グラウンドに設置されている
平成2年の水位実績標柱
撮影:滋賀県
堤防から階段3段下、約60cmのところまで水がきていた
体験者の語り
男性 66歳(昭和22年4月生)・64歳(昭和23年9月生)・80歳(昭和6年4月生)・79歳(昭和6年9月生)・74歳(昭和12年4月生) 聞き取り日:平成24年6月8日
【聞き取り時における被害状況】
平成2年9月19日夜、停滞していた秋雨前線を刺激しつつ近畿地方に上陸した台風19号は、滋賀県を直撃して湖東を中心に大雨をもたらした。その結果、20日深夜1時半頃、能登川町今、続いて栗見新田地先(ともに現東近江市)で愛知川が決壊し、死者1名を記録した。 田附町は、破堤した今町の対岸にあたる。
★あの当時は、和歌山やとか奈良・三重県やとかで、どんどん降ったったやろ。永源寺ダムの上にもどんと降ってた。愛知川もそのときには、堤防から約1m下というところまで、水が浸いてしもた。
決壊するときは、ネズミ穴からでも拡張して、ぽこぽこぽこぽこ広がっていくねん。で、反対側の堤防があいたときも、じくじくじくじく細かいとこから水が出てきたんねん。これが危険なんや。
昔の人は、堤防は裏側から破れるゆうてはる。それがだんだんだんだん拡張されて、どーっと水が流れてくるねん。
★うちは堤防のすぐ前やったんで、庭の横なんかすごかったですわ。もう、堤防から辻まで、ザーッと水が漏れてました。湯の花井(ゆのはなゆ:愛知川からの伏流水取水施設)からしも100mぐらいまでの間。あちこちからだだ漏れで、そらものすごかったです。長靴がずぼっと入りましたもん。もう、道が川みたいになっとった。あこらへん、今でも一番やばい。
★ちょうどそのとき、堤防の張りブロックの工事が始まりかけたったんで、すぐ工事ができるように、堤防の竹を伐採して竹藪を素肌にしたったんや。そやから土がまる見えや、250mほど。
それが、19号台風の時にかかったもんで、その日、早速県の土木事務所へ行って、こういう工事直前の現場があるで、堤防の上まで水がきたら、ザーザーと洗い流しよるで、早い目に見に来てなんとか手当してくれちゅうて、お願いに行ったんや。それが朝の8時半や。
ほいで、その時、永源寺の上の三重県やらどんどん降ってるていうてるんやわ、テレビやラジオで。 ほんで、これ永源寺ダムが一気に放流してしまいよったら危険やいうて、朝早う県へ出向いて、永源寺のダム管理事務所に、早い目から余裕もって放流してくれるようお願いしてくれて、頼みに行った。われわれがダム管理事務所に直接電話してたらあかんで、県から電話してもらうため。
一気に開門したら、下手のもんは水かさが一気にあがるさかいに、堤防が破れてしまいよんねん。それでお願いに行ったわけや。
で、帰って10時頃、どうなったるやなと愛知川見たら、普段と変わらへんねん。おかしいな思てたら、ちょうどそのとき、永源寺ダムのパトロールの人が通りがかりはったもんで、まだ放流してへんのかて聞いたら、昼の1時から放流する予定やいうことやってん。
ほんで、こんだけ情報があって、これからまだどんどん降るゆうてんのに、なんでもっと早ようから放流できんのかて、やかましうゆうててん。
そのときは、最初に、午後1時に300トン放流するということになってたんや。 でその後、午後9時になったら800トン流すいうてた。わしは日記に書いてるんやけど。
けど深夜、肝心な、もう決壊しよるいうてやっさもっさしてる時にな、これから1350トン放流するいうねん。そんなん、水は湯の花井を盛り越しかけてんのに、これから1350トン放流て、完全に愛知川切れてしまうがな。
ほんで、事務所に電話かけて怒りよったんやけど、その時に今村(対岸:現東近江市今町)の日電(日本電気硝子(株))のとこが切れたもんで、こっちが助かったんや。
★うちの前の湯の花井(ゆのはなゆ)土手で、あのとき手が洗えて堤防が地割れしてましたもん。堤防が10mほど割れましたわ。で、今村で堤防が切れてから、湯の花井の前の水がずっと減りました。写真撮ったのが市役所にあると思いますわ。
★南側の堤防は、八幡橋の日電の駐車場のとこと、栗見橋の上と2か所決壊したんや。
★その時、今村の日電の社宅なんか、寝てたら頭冷たいな思たら、水がきたったいうてたな。
★管理事務所が言いよるには、ダムに80%かの水が溜まらんと放流できんてなったるんかな。そんな決まりがあるらしいてな。(注:永源寺ダムは利水ダムで、農業用水用などに水を常に貯めておくだけで、治水のための操作はできない)
★そんなん、朝から放流してたら、なんのことなかったんや。あんなもん、人災やゆうことはわかってんねけどな。そんな状態や。
ほんで、せっかくダムができたんねやから、治水にも間に合わしてもらわんと。あんなもん、日電のあこが切れなんだら、えらいことやってん。間違いなく、こっちが切れてる。
もうな、避難してもらおうか、連絡やなんやかんやでやっさもっさしてんのに、これから放流量を増やすて、どういうことや。
★ほんで、ここが一番危険やゆうことで、田附町の公民館に自警団の災害本部を設置してくれたんやけど、それが動きがないねやわ。 本部から出動の指令がないから出られん、とかな。そんなん、村民はみな出てるんやで、応援に行ったってくれ言うててんけどな。
★ああいうとこは固いから。土のう積んだりもわしらだけでやったもん。ここまでは来てくれたんやけどね。 けど、消防のもんは出とったで。
★わし、村の消防やってたんよ。夜、公民館から消防に出えと命令がきたんで出ていったら、大きいトタンがバーっと飛んできて。震えたわ。あんなもん、ガーっと当たってみ、首でも飛んでしまうで。足震えてたわ。
★19号は、風がきつかったんや。土手の上に立ってたら、愛知川へ飛ばされるぐらい、きつい風やった。
★あれ、北風に変わった時点やでな。神崎郡(対岸:現東近江市)の方が分が悪いんや。風があっちへ水を押しよるでな。あんだけ風がきつかったら、波が30cmは高い。ほんで川向こうが、分が悪いんやわ。
★隣の本庄は、自分とこの堤防の下に土のう積んで大変でしたわ。水が上がってきたら土のう積む「月の輪方式」か。あれをいくつも作って。
田附町の堤防下はどんどん漏れとるけど、誰も積んどらん。むしろ、堤防が切れる切れるゆうてそっちに一生懸命で。
僕らも、土のう積むのに必死やったけど、そんな知恵もなかった。ただ積むのが関の山でした。
土手がひび割れしてね、堤防下から鉄砲水が突き出とる。あんなん見たら、もうほんま、あと10分とか15分で切れるというかんじやったし、向こうが切れるかこっちが切れるか。あのままやったら、30分も持たんかったと思うわ。
堤防があって、竹藪があって、竹藪の下にセメントの護岸がしてあって、丸く穴あいてますね。あれに無関係でダーッと鉄砲水が出てました。ほんでここに、「月の輪」工法で土のう積んで、水の高さがここまでくるのを待っとって、きたらまた土のう積むねん。 初めから積んでたら、あかんねんて。
あれも怖いもんで、こっちの水面とおんなじ位置を保ちながら積んでいかなあかんもんで、こっち側だけ高う積んで待ってるゆうのは危ない、よけ切れるということ聞きましてね。それも夜中ですけど。
本庄は、それを2つか3つやってました。田附町は、どんどん漏れとるけど、誰も積んどらん。
★土やら土のう袋とかは、グラウンドの横に小屋があって、砂利をいつもそこへ置いときますねん。
平成2年の時は、お墓の横に業者の土地があって、そこに水防用に前もって砂利を運んだったんや。毎年、こうやって置いたったとこが何箇所かあった。いつも、湯の花井あたが危険ゆうことでな。
★土をビニール袋に入れる人、縄でがーっとくくる人があって、一輪車に載せて運んだ覚えがありますわ。雨の中風の中ね。
★ただし、避難命令が出たとたんにみんなバアーっと引いてね。もう、土のう積んでる場合やないと、もう、避難が先や、家に帰って、じいさんばあさん連れて逃げる用意しなあかんいうて。みな、家ほったらかしで出てたしな。
★1軒に1人出えゆうてたやろ。
★平均そのくらい出てたけど、命令はしてないわ。地元の人は自分とこが危ないから、昔から自発的に出るわな。
★確か組長さんを通じてやわ。出られたら出てえなゆうことやったと思うわ。ほんでも、みな出てくれはったと思うわ。
★あのときはみな、家ほって出たもんな。
★正式に避難命令出したんは、平成2年だけや。完全に組長さん通じて避難せい言うたんは、19号台風だけやわ。
避難場所は圓廣寺(えんこうじ)と小学校。お寺はちょっと高いゆうことで。小学校は本庄町の稲枝西小学校が近くにあるねやわ。小学校は、耐震性に強いように補強してもうたんや。2階もあるし、水害には強い。
★僕ら隣近所・家族避難さして、お寺の前まで車2・3台出して、エンジンかけたままライト点けたり消したりして。北向いて学校向けて。車だけパカパカしといて。
ほんで、湯の花井が切れたらもう逃げるぞと、土のう積みやってましたんや。家もほって出てた。ほんなやったら、どこかで切れたぞいうて。
そしたら、ガーっと一気に水が引きました。その流れは、ものすごう早いもんね。
で、悪いけど、「万歳万歳」や、正直な話。向こうには悪いけど。それは、覚えてます。
そやから、次危ないのは絶対に湯の花井ですわ。平成2年の経験をしてるから対岸側は、工事で川幅が広なってますからね。おんなじような水かさやったら、今度は間違いなく湯の花井やと思てます。
湯の花の堤防が突き出してるさかい、水が突き当たる。愛知川の流れからいうと、ない方がスムーズに流れるんでそこを取ってくれゆうてるんやけど、ここは由緒ある歴史あるところやさかい、そんな簡単に取ったらあかんゆう声もあって、歴史あるのでそう簡単につぶされへんていうのが現状です。
水が少なくて、川底に突き出てきた「湯の花井堰」
撮影:滋賀県
平常の田附町グラウンドと水位実績標柱
撮影:滋賀県
参考
【台風19号(平成2年)来襲時の愛知川流域状況と能登川町の対応】
―滋賀県土木部河港課発行「平成2年台風19号出水記録」より抜粋―
◆平成2年9月19日
●11時45分・・・ 大雨洪水警報発令
同時刻に、災害対策本部を設置(職員15名待機)
●20時00分頃から・・・ 主要河川(愛知川・大同川・瓜生川)を中心に巡視。消防団も、自主的に集合場所に待機。
●22時30分頃・・・ 大同川の今地先が氾濫。町道を通行止め措置。愛知川JRのガード下が50~60cmの冠水のため、通行止め措置。
●23時30分頃・・・ 愛知川ガード下は、手がつけられない状況である。堤防から水面まで2.0m。
●23時45分頃・・・ 永源寺ダムから放流量の変更(800t→1330t)の通報があり、愛知川流域の地区に対し、避難の体制を取るよう、有線で放送を行う。
◆9月20日
●0時30分・・・ 町からダム管理事務所へ、放流制限の要請
愛知川流域住民に対、し区長を通じて避難するよう指示する。(株)日本電気硝子にも警戒するよう指示する。
JRガード付近からの逆水、でドリームハイツ団地が浸水したため、消防団等が救出活動を実施。
ドリームハイツ住民にも、ハンドマイクで避難を呼びかける。
●1時00分頃から・・・ 愛知川流域の地区の避難を確認。
●1時30分頃 ・・・一部を除き避難完了。
●同時刻 ・・・八幡橋下流堤防決壊の連絡を無線にて受ける。
八日市土木事務所には、県道大津能登川長浜線の通行止めを要請。巡回中のパトカ―にも通行止めの要請を行う。
決壊箇所は濁流で、あたりは暗いため、その規模は不明。 川南地区でも越水し、区民が土のう積みを実施する。
能登川町職員全員に出勤命令が出される。
現場付近にいた巡視車のコメント「水が轟音を立てて、日電駐車場に流れ込み、県道を横断して上流部へ流れ込んでいる。県道が川となり、南方向へ流れている。
●2時00分頃・・・ 栗見新田地先の堤防が決壊する。浸水のため、北小学校以西は、全面通行不能となる。
栗見新田区民は、西広寺に避難。水位は床下から床上ほどに上昇している。
●2時30分頃・・・ 被害が広域に及ぶ恐れがでてきたため、八日市警察署長を通じ県警機動隊の派遣要請を行う。 同隊は直接、新田決壊箇所へ向かう。
●3時00分過ぎ・・・ 愛知川の水位が次第に低下。ダム放流量は650トンになる。
●3時40分・・・ 洪水警報を残し、大雨強風注意報となる。
●5時00分頃 ・・・ダム放流量は430トンとなる。
●5時30分・・・ 避難者から帰宅要請あり。巡視後、避難解除する。炊き出し(握り飯)状況としては、日赤奉仕1000個、役場200個であった。
●6時00分~・・・ 今後の作業について会議を行ったあと、直ちに作業につく。