体験者の語り
Mさん(大正14年生まれ)とKさん(昭和4年生まれ)
■記憶に残っている水害
私の記憶に残っている大きな水害は、2回。一番被害が大きかったのは、昭和45年か46年ごろのもの。床下浸水の被害にあった。
■あがり口まで水が来た
家よりも、家の前の道路の方が高いため、家のあがり口の所ぎりぎりまで、水が入ってきた。水はけ場から流れる水は、檪原神社の北側を通り、Mさんの家の横を流れて行く。家が水についた時は、集落の人や井ノ口の人が助けに来てくれた。
■水害と草刈り
かつての境川は川底が浅く、堤防で手が洗えるほどだった。また、急な流れのため、雨が降ると、すぐに境川の水位が上がった。昔は、川が溢れないように、頻繁に草刈をしていた。
Sさん(昭和4年生まれ)
雨が、3日も4日も降っていたんですよ。国道のあの辺の橋に色んな流木が止まって、それに、ごみが溜まって盛り越すさかいに、その水がまた盛り越して、どーっと、こっち向いて流れてきて、ちょうど家の小屋がそこに、あったんですけど、そこ向いて水が流れてきましたわ。
ものすごい水が入ってきて。壁に当たったら壁が落ちて水が入るから、取りあえず水を入れんようにしてました。
土嚢みたいなもんを置いたり、クワで溝を掘って、そっちに流れるようにしたり。川が裏にあったさかいに、そこに流れるように溝つけて、そんなことをしてましたわ。
Sさん(昭和4年生まれ)
■昔の境川
昔の境川は、今よりも狭く、人が飛んで渡れるくらいの川幅だった。川の土手は、あっちこっちがえぐれていて、くねくねの川だった。
■水防活動
堤防の警戒は、まずはじめに、役員が警戒に出る。それでも、危険な状態が続いたら、各組に連絡をして、人を集める。
20人から30人が集まって、水防活動をした。堤防がこける(堤防が削れていく)のを防ぐために、竹を流したり、水はけ場にいって、境川の水位を下げるための作業をした。集落のお年寄りが、川の様子を見て、危険かどうかの判断を行っていた。
■水はけ場での活動
国道にある橋よりも上流の右岸に、水はけ場があった。水はけ場での作業を、二回ほどしたことがある。10人くらいで、作業をした。木を1、2本切って、木を川に倒す。そして、倒した木で水の流れを止めて、水はけ場の方に、水を流れるようにした。流れている水の4割くらいを、水はけ場の方に流した。