体験者の語り
【 ジリ北になったら警戒せよ】
消防に入って5年経過したところで、この災害に遭うた。
あの晩はかなり雨が降っていたんやけども、僕が水防に出る時には、隣町の甘呂町の消防団も、開出今に応援に来てくれた。こういう決まりになっとったんです。川が切れたら、開出今だけではない、甘呂町も危険だということで。
そして、犬上川側の開出今の方に詰めてもらってた。今は道路に拡張されて撤去されたけども、今のお宮さんの隣に村の集会場があったんです、2階建てでね。そこの2階が水防の時の詰め所になっとったんですよ。
切れた時は、宵のうちには、辰巳の風いいますか、南風できつかったんですよ。きつかったけども、そのわりには雨は少なかったんですわ。だから、甘呂町から応援に来てもらった人なんかは、その2階に休憩してもらって。仮休みっちゅうことですな。
だけどそのうち、だんだんだんだん雨がきつうなったで、みんな堤防に出とったけど、まだ水は増えてこない。普段は、魚が棲むほどで、もっと水が多かったんですよ。だから、それからみたら、台風にしてはそないに警戒することもないなあということで、2名ずつくらいが交代にこの堤防に出てね、今橋が架かってますとこに見に行くんですよ。
交代で見に行ってるうちに、だんだんなんか水が増えてきた。それから、ちょうど12時くらいからですか、風雨がきつくなってきました。これはもう、ウロウロと寝ててはいかんということで、各配置に着いた。今橋・南青柳橋、それから庄堺橋と、3点を重点的にして。1人で動くのは危険だということで、2名ずつ配備されて警戒にあたった。見に行ったんです。
そうこうしているうちに、ちょうど2時ぐらいだったか、台風の風がコロッと変わった。昔の方の知恵といいますか、開出今は、台風の時に「ジリ北になったら警戒せよ!」ということが、消防でも先輩より伝わっとった。ジリ北になったら危険だということは、今までに水害に遭った方の言い伝えであったんだろうと、僕は思うんです。
で、ジリ北になってしばらくしたら、水がものすごく増えてきた。この堤防が歩けんのです。それで、この堤防がグサグサなりかけたと同時に、今度は、「寺の鐘を突け!」っちゅうことですよ。もう、サイレンとかそんなもん聞こえるもんではありません。かなりの地獄です。風と雨が凄まじい。そこへカッパ着てますから、その音とでもう何にも、よっぽどそばへ行かんと、話す言葉もわからんぐらいでしたわ。
で、お寺の鐘を突きに行かんならん。とにかく、早く町内に知らさないうことで鐘を突いて、村中総出で。
私は、消防に入って5年も経つんで中ぐらいの立場でしたから、作業せえちゅうことで、その時すでに一番上の水門を見に行っとったんですよ。そしたら川の水が、見てる間にダーッと下がったんです。1mか、もっと下がりましたな。ほんまに見てる間ですよ。
それでああ、やれやれと思いました。水が下がったらやれやれや。昔は上流がよく切れたらしいですよ。ですからどこが切れよるか。まあ言いようは悪いけんど、もうこんな大水やったら村のどっかが切れんと。上流が切れよるやろなと。
ほんだら、一報が入ってきたんですよ。「大変や!村のお墓のとこから下見てみ 。真っ白や!」ちゅうことで。それからみんな、また あのぐたぐたの堤防をですね、ダーッと橋のとこまで下がって見たら、真っ白でしたんや、田んぼが。
なんの、自分とこの堤防が決壊して水が下がったんや。喜んでる場合やない。様子見に行けっちゅうことでね。今度は区長さんがハッパかけられて。私も20いくつですから、、「消防の先頭に立っていけ!」っちゅうことで。暗がりですよ。
それはもう、台風ってこわいもんですな。ものすごいジリ北で大雨やったのが、青空見えてまんねんで。明け方ですから。それに、行け行け言われてもねえ、もう怖あてな。足が堤防にズカズカ入るんですわ。
で、お墓のとこまで10人ぐらいが来たんですよ。そこの巡礼街道から50mか100mくらい下がりますかな。そしたら堤防が無いんですわ。「ええ!こんなとこが切れたる。もう行けんがな。」いうて。で、そこが切れたるやろうなあと思とったら、だんだん明け方になってきたら、堤防の藪が、10mほど田んぼの中にぶーっと、ひとかたまり、いっとるんですわ、根っこがついたまま。