日野川(横関橋)
9月16日7時00分 撮影:滋賀県
体験者の語り 近江八幡市消防団馬淵分団 聞き取り日:平成28年1月30日
近江八幡市消防団馬淵分団の方たちに伺いました。
【消防団の訓練】
ひと月に1度、町内設置の機材等を点検。
消火栓のふたは、砂が溜まっていたら開けにくくなるので、消火栓から水がちゃんと出るかどうか、可搬式ポンプはきちんと動くかなどを、確認。何かあった時のための準備をしている。
また、夏に近江八幡市で行われるポンプ操法大会に向けての練習。消防団はポンプを使えんとあかんので、ポンプ車や小型機の操法訓練を、実際に水を出して行う。
その他、年に1度の市の防災訓練で、月の輪工法・木流し工法・釜段工法など土のう積みの訓練を実施。
消防団は、警報が出たら、幹部が消防団事務所で待機する。
我々馬淵の消防団は、通常は日野川の安吉(あぎ)橋のところの水位で、出動かどうかを決めている。橋脚に、ここまで水がきたら水防出動という線をつけている。
今までは、危険を伴うなか、幹部が周期的に橋を見に行って確認していた。最近は県が橋のところに防災カメラを設置されたので、重宝している。あれだと各自携帯で見られるので、出なあかんとすぐわかる。
【台風18号時 深夜早朝のパトロール】
平成25年の9月15日は、夜8時頃集まって、情報確認のため、1・2時間おきに巡回していた。すでに土砂降りで、夜10時頃日野川の堤防上を走った時は、もう雨もすごかった。今から思えば怖かった。ようけ堤防が崩れとるのに、夜でわからへんかったから、走れた。
少し明るくなって気がついたら、日野川にはほんとに手が洗えるくらい水がきてた。
竜王の「妹背の里」なんかは、見る影もなく全部水没してた。あそこは山が迫って自然の堤防になっているので、そこに水を溜めて(遊水地)、対岸の集落を守ろうということで、右岸側には堤防をつくってない。
日野川の橋の上から見てても、一面浸水してて怖かった。見たことのない光景やった。
日野川野寺橋から、水没した竜王農村運動広場を見る
9月16日8時24分 撮影 提供:県民
朝方巡回してたら、あるお宅から声がかかった。見ると、裏山が土砂崩れで、家の中いっぱいに土砂が押し寄せてきてた。幸いけが人はなかった。
おじいさんとおばあさんが寝てはったんやけど、あんまり雨の音がひどいんで、気になってテレビのニュースを見ようと隣の部屋に行かはったら、後ろでガチャンと音がして、土砂が押し寄せてきてた。瞬時のことで助かったらしい。そのまま寝てたら、完全に埋もれてはったわ。
裏山の崩れで土砂が押し寄せてきて、凄まじい部屋の中
提供:県民
【六枚橋付近でタクシー水没】
朝4時過ぎ、国道8号をパトロールしてたら、六枚橋の信号のとこが浸水してて、国道を八日市の方へ曲がったとこでタクシーが水没してた。お客さんも乗ってた。
それで、普通はしないんやけど、消防車でタクシーを引っ張った。消防車にロープをいつも積んでたから、引っかけて、引っ張って助けた。
タクシーは完全に水没で、お客さんはどぼどぼやった。
それで、豪雨の中、8号線で車止めてんのに、バーッと走っていってしまう。通れへんから回って回って言うてても、行かなあかんからいうて。けど、入り口でさえ、タイヤ隠れるくらい水があったから、無理や。だんだん深くなるし。ほんまにバケツをひっくり返したような豪雨やったんや。旗降ってんのに行くから、波でこっちが、車に引きずられそうやったわ。
こんなに必死でやってんのに、わからへんのかな。
車で入っていったら、すぐ水入ってくる。「やめとき、知らんよ、どうなっても。」言うてるのに入っていって、途中で車ぷかぷか浮いてるんや。ほんで、助けてくれいわはる。知らんわ。水浸いてたら、道なんかどうなってるのかわからへんねんから。思い切り、怒っといたわ。
で、そういう人がすぐ警察やら市役所やらに電話するから、回線がパンクしてたわ。全然繋がらへんかったみたい。そんなん、なんともならへんのやから、自分で注意せなあかん。ポンプで排水したらいいというレベルではないんや。全面浸水やから。
土砂降りの雨は、朝5時頃まで降ってたと思う。それから、小雨になった。
国道8号 六枚橋交差点付近
16日8時35分 撮影
提供:県民
県道から六枚橋を見る
「このあたりは30~50cm冠水してたが、センターラインが見えていたので、行けると判断して進んだ。」(写真提供者談)
16日7時27分 撮影
提供:県民
六枚橋交差点から東を見る。
だんだん水が深くなっているのがわかる
提供:県民
軽トラックの荷台が沈み、ベンチの背もたれがかろうじて見える
16日8時37分撮影
提供:県民
六枚橋あたりの一番ひどいときで、水の深さは7~80cmだったと思う。だから、あの辺は、みな床上浸水です。
角の家では、自転車が浸かってた。
浸水してる家の人からは、車を入れんといていうて怒られたわ。車が動くと波で、家の中にどんどん水が入ってくる。
この六枚橋の信号のとこは、昔から、よう水に浸かってたと聞いてた。
「六枚橋」という名前の発祥が、それだけ橋がかかってたということで、昔から水害が多かったんですよ。
水に浸かった自転車
16日6時45分撮影
提供:県民
【過去の浸水箇所】
国道8号では、馬淵の信号のあたりがいつも浸かってた。白鳥川が拡張工事されたので、今はなくなったけど。
信号の角からちょっと入った家の石垣は、一段高くなってる。そのあたりが昔は一面水浸きやったから、馬淵の村の中に水が流れへんように、その家の石垣には堰(せき)を作ってある。いざというときにはそこに板をはめて、水門みたいに水をせき止める。今も、その跡が残ってる。
馬淵町信号近くに残る 堰板をはめる溝
撮影:滋賀県
【避難勧告~避難指示】
朝5時過ぎ、激しい雨から小雨に変わってたけど、市の危機管理室から避難勧告の発令があった。
初めての避難勧告の経験で、緊張と使命感で張りつめた気持ちで消防車で伝達していった。特に日野川沿いをマイクで言うて回ったけど、住民の方々に状況を伝えなあかん、もうどう言うたらいいのかわからへんけど、とにかく必死で逃げてくれと言うてた。
避難勧告巡回中に避難指示に変わり、いっそう警戒して日野川沿い堤防横を走行して行った。
しかし、川沿いの住民は、不安げに小学校やらに避難してきはったけど、日野川からちょっと離れたところは、避難しはらへんかったわ。
【月の輪工法で、水漏れの堤防の補強】
堤防はモグラの穴とかで、水が吹き出るところがある。堤防から水は漏れてくるもんやけど、泥水が出てきたときは要注意。濁り水が出てきたら、すぐ連絡です。
この、月の輪工法をやったとこも、吹いてるという連絡がきたのですぐ行った。もう明るかった。 行ったら、地面からポッポポッポ泥水が吹いてる。びっくりした。アスファルトの切れ目からも吹いてたから。
この写真は、堤防の側面から吹いてるんじゃなく、道からですわ。横から吹いてるんやったらわからんこともないんやけど、もう、完全に水が下に回り込んで、下から吹いてた。
この月の輪工法は、土のうの中に水を溜めて、その圧で吹いてくる水を抑えようというやり方。これ以上溜まった水は、パイプで逃がす。
連絡がきた時は、六枚橋の混乱はちょっと収まってたので、消防団と、建築業組合から出た。
土のうは、土建屋さんが持って来てくれた。市と協定を結んではると思う。土は、土建屋さんの倉庫とかに置いてある。それを持って来てくれはったんや。ここには置いてない。自治会によっては、水防倉庫があってそこに置いてあるけど。
日野川堤防での月の輪工法実施
提供:県民
16日10時14分撮影
提供:県民
【堤防崩れたら死ぬん違うかな―携わった消防団員の話】
土のう積みに行け言われた時は、堤防崩れたらどうするの、死ぬん違うと思って、ものすごく怖かった。もう水がぽっぽぽっぽ吹いてるから、これが堤防崩れの始まりやし、土のう積んでる時にバーッと吹いてきて、堤防が崩れ始めたらどうしようかと思った。
堤防には、建設業組合と消防団で20人ぐらいいたので、土のう積みはすぐできた。写真を見ると、作り始めが朝9時54分で、作り終わった写真が10時14分撮影やから、あんがい早う30分もかからんとできた。
1年に一回でも毎年練習してるし、土のうが作ってあったから、すぐ積めた。それと、訓練と違うから、みんな必死。気持ちが全然ちがう。訓練やったら、しゃべりながらやったけど、これは必死やから。
その間も、僕ら、ここでこんなことしてていいのやろかと、すごく心配した。もう、雨も止んでたけど、ぼんぼんぼんぼん泥水が吹いてくるし、ものすごい恐怖でした。そやから、出来上がったらすぐ、その場を離れた。怖いもん。
そこの近所の人やらも、たくさん来てはった。危ないな思てたんやけど、軽トラに乗って、ようけ見に来てはった。役員さんやろね。またここやいうことで、状況確認に来はる。
【昭和28年台風13号時】
月の輪工法してたのは、浄土寺町。
昔、そのすぐ近くで堤防が切れて、旅の芸人さんが亡くなってはる。
親から聞いた話では、その時切れたのは浄土寺で、日野川決壊箇所そばの、仮設の芝居小屋で寝泊まりしてた旅の芸人が、濁流に呑み込まれて亡くなった。洪水は馬淵の方まで押し寄せてきてる。
しかし、災害がないと、そんなこともみんな忘れていくからね。滋賀県は、そういう意味で防災意識が低い。
【反省と対策・日頃の構え】
平成25年の時は、消防団の指揮系統がばらばらで、何をしたらいいのかわからなかった。幹部でも、みなどこにおるのか、何してるのかわからない。携帯で1人ずつの連絡では、時間もかかって。
それでその後、トランシーバーを買うことにした。5km~7km届く性能のいいやつを、今幹部9人みんな持ってる。車の中でもどこでも届くので、重宝している。誰が誰にどういう指示をして、どこにいるということも、いっぺんに全部わかる。
まあ、このあたりの人は、災害に対する気持ちが薄れてたね。
それで、平成26年度に、水防メインで、馬淵学区全域の避難訓練を、学区一斉にやることにした。大勢参加して、3~400人集まったと思う。
各自治会に配備されている車いすも全部持ち出して、訓練した。そのあと、AED(心肺停止状態の心臓に電気ショックを与えて、正常なリズムに戻すための医療機器)の使い方を練習するグループや、蘇生・人工呼吸をやるグループ、水害のビデオを見るグループに分かれて研修し、最後にわれわれ馬淵消防団がポンプ操法を披露した。
28年度の訓練は、各町でする。
山手の町だったら山の点検をする、川がなくて水害があまりない町は、屋内消火栓の訓練をするとか町に合わせて進めていこうと考えてる。そして最後に代表者が集まって報告会をして、また来年へつなげていこうと計画している。
それから馬淵では、日頃から自治会で川掃除や堤防の草刈りをしてる。草刈りは絶対せな、堤防が崩れてもわからへん。
堤防は、竹や草の根が張って保ってる。除草剤を撒いたら根が枯れて堤防が崩れるから、絶対、上だけを草刈りをせなあかん。馬淵では日野川沿いの自治会は、みんな堤防の草刈りをやってる。
あれは大変や。斜めの土手で、草刈り機を動かさなあかん。けど、何があっても最優先でせなあかん。草ぼうぼうやったら、堤防が崩れててもわからへんから。
危ないのは、新興住宅のとこは何もしはらへんこと。堤防も草ぼうぼう。
今一番危ないのは、篠原の駅の手前の日野川の橋のとこや。あこらの両側は新興住宅地やから、何もしはらへん。そやけど、あこら、怖いんや。僕らの子どもの時には、ここは天井川で危ないということを、絶対教えはった。ちょっとでも何か経験してたら、水害の意識を持つんやけど。
崩れた日野川堤防。
このような大きい崩れはわかりやすけど、小さい崩れは、背の高い草が生い茂ってるとわかりにくいので、草刈りは大切
日野川堤防倉橋部町地先
提供:県民
避難訓練は、毎年続けていこうと考えている。
馬淵学区は、学区全域が日野川の堤防に沿ってるので、水防に関しては力をいれていかなあかんと思ってます。
六枚橋信号東側
9月16日5時00分頃撮影
提供:県民
体験者の語り 男性 58歳(昭和33年生)と妻 聞き取り日:平成28年6月2日
【平成25年9月16日夜明け】
朝4時半頃、子どもに、家に水が入ってきてると起こされた。玄関に水が入ってきて、靴が浮いていた。
その後5時頃帰ってきた息子が、車では家に近寄れないという。道路がだいぶ浸かってて、水をかき分け、離れた駐車場から歩いて家まで帰ってきたけど、浸水してるので、戸が開けられないという。
その時水は、軽自動車の下、すれすれぐらいやった。
息子が、友達を2人連れて帰って来てたので、大急ぎで冷蔵庫なんかを上へ上げてもらったり、家の前に置いてあるバイクをどけてもらったりした。
家の前の駐車場が一段低いので、もしかしたら、水がくるかもしれないと思って、車は前日に、少し土地の高い方の駐車場に置いておいたけれど、そこも危ないかもしれない状況になり、5時過ぎ、さらに土地の高いところに移動させた。その時車は動かせたけど、置いて戻ってきたときには、うちの前は、膝ぐらいまで水がきてた。
まだ朝方で薄暗かったので、寝てて浸水してることを知らないお宅もあったので、ピンポン鳴らしたり、シャッターを叩きながら、近所の人を起こして回った。反応ないとこは帰って家から電話したり。このあたりだったら、どこの家に誰がいるというのを把握してるので。
男性の膝ぐらいまでの浸水の中、なんとかバイクを避難させたいと動かす
9月16日5時15分頃 撮影
提供:県民
【低い方の建物は、床上浸水。 車は浸かってだめに】
家の前の駐車場によく水が溜まるから、大雨が降りそうなときは、いつも高いところへ車を動かしてる。寝てる間に浸かると困るから。
よくいうバケツをひっくり返したみたいな雨というのが、30分以上続くと、もうここには水が入ってくる。家は無事でも、車は浸かる。家の前の小さい水路がいっぺんに溢れるから。
少し離れたところにも駐車場があって、そこは少し高くて浸からないので、いつもそっちへ移動するけど、この朝は、そこも10cm以上溜まってて、水は流れてるし、止めてあった車2台はマフラーが浸かってだめになった。100mほど向こうの家は土地がグッと上がってて、そこに置かせてもらった車1台だけが助かった。
そしてあの時はお隣の車も浸かったから、その後、お隣は家の前の駐車場をコンクリートでドンと上げはった。
うちは、建物が3つ道沿いに建っていて、隣の建物が1番古くて、低い。今いるこの住居は、こういう水害があるので、少し高くしてある。
それでも、このときは1階の畳ぎりぎりやった。もう、あかんかもしれんと思いながら畳上げてたら、その下の板まで浸かって、畳はぎりぎりで助かった。隣の古い方の家は、畳が全部浸かった。床上浸水やね。
9月16日 5時00分頃
提供:県民
【進入車の波で、ガラスが割れた】
当日、消防団が交通整理してはったのは、知ってます。警察かと思てたけど、消防団やった。
行けるやろ思て突っ込んできた車が3台、このあたりで水没してた。溝に脱輪してたのもあった。消防団の人が押してはった。そのときは、膝上ぐらいの水で、水のないところまで押してもらって、行きはった。
水が溜まってるてわかってるのに、みんな突っ込んでくる。
けど、でっかいトラックは、ゆっくりでも動けるんです。すると、波が起こって、その波がワーッとこっちへ押し寄せてくる。
それで、うちの玄関のガラスが割れた。引き波で、ガラスが割れて、サッシが外れた。
トラックに通るな言うてるのに、通っていきよるし、国道側には人がいてはったけど、反対側にはいなかったから、ドンドン車がくる。
波で戸のガラスが割れるて、びっくりしたわ。
近くの家の納屋は、扉が4枚あったけど、波で、それが全部浮いてはずれたので、中の物が全部出て来た。波とともに、冷蔵庫とか洗濯機とか保管してあるものが流れてきて。 もう、いろんなものが押し寄せてきたわ。
ちょうど、刈取りをしはったあとやから、田んぼのわらもいっぱい流れてきて、それが大変やった。
水が引いていくのがわかったときは、そんなん残ってもらったら困るから、流れていってくれって、押してた。
まわりの人は、各自、家の中で同じようにやってたと思う。うちは子どももいたし、その友達もいて手があったけど、向かいは女性1人で、消防の人に助けて言うてはった。ここら、みんな畳浮いてきてたし。
うちは、隣の古い方の家で畳から23cm。床上23cmの浸水でした。こっちのちょっと高くしてある家は、玄関のたたきの高さぎりぎり。あと、2~3cmで、床上になるとこやった。
古い方の家は、一番低い。昔からの家はみんなそんなもんやけど、周りがどんどん高くなるし、道もどんどん高くなる。今度8号線が高くなるから、よけい溜まりやすくなる。
あの時近くの三明(さんみょう)川は工事で、う回路のために、今までの川に橋を架けて、そこを盛り上げてあった。そこがかなり高かったので、水はそこに妨げられて、向こうへは行かなかった。そっちへ行った水は、またこっちに戻ってきてた。道路の浸水は、7~80cmぐらい。女性だと腰ぐらい。
雨は、6時半ごろには上がってて、増水も止まってた。
私たちは、どうしようもないし、3階から外を眺めてた。
冷蔵庫が無事やったので、ちょっと何か飲もかというかんじやった。水が引くのを待つしかないし、引きかけたらまた忙しくなるし。
そしたら、そのときに、緊急速報がきたんや。私らが一段落したころに。3階でみんなの携帯が一斉に鳴った。
写真
9月16日6時45分頃撮影
提供:県民
避難勧告は知らんかった。こっちは、いつものこっちゃいうかんじやし、畳上げたり忙しかったから。
水は一気に来たけど、あっという間に引いた。昼には水がなかった。
で、とりあえず、ホースで外を洗い流して掃除して、そこに家の中の物を出した。
家の中も、汚い水が入ってきてるし、ホースで水洗いした。玄関のサッシには長いこと跡がついてた。
【水害に対する心構え】
ある程度はいつも準備するけど、庭の鉢植えを上げるとか、車を土地の高い方へ移動させるとかぐらいで終わる。
この前は、みるみるうちに水がきた。ここまで水がくるのかというかんじでした。
家の前に小さい川があるので、これが溢れたらすぐ入ってくる。強い雨が30分降ったらもうあかん。 そしてもっとひどくなったら、向かいの家の方からも水が流れてくる。うちが一番低いから。
【よく浸くけど、過去の水害の話は聞いてない】
過去の大きな台風としては、覚えてるのは、伊勢湾台風(昭和34年)ぐらい。その時も、水が入ってきてた。
昔の家の玄関で、土間に石の靴置きがあって、上に上がるという玄関やったけど、下には下りられへんぐらいやった。やっぱり深いところで、6~70cmぐらいかな。家は床下浸水やったと思う。小さいときやから、はっきり覚えてないけど。
昭和34年8月台風7号時の、六枚橋付近。田んぼが湖と化している。
昭和34年は、8月の台風7号と9月伊勢湾台風の2回、大水害を経験している。(写真:県資料)
そのほかは、川が溢れたら、玄関の石畳にじわっと入ってきたなというのが何回かあった。
伊勢湾台風の前にも、大きな台風があったと思うけど、親から話は聞いたことはない。他の人からも、過去の水害については聞いてない。
一度、20年か25年ぐらい前かな、畳上げたことがあった。(平成2年台風19号?)
その時は、床ぎりぎりやった。子どもがトイレを使ったら、水が溢れてきた。そういう時は、逆流するから使ったらあかん。下水がいっぱいになってるから、ふた開けたら逆流してくるということや。
子どもは幼稚園ぐらいやったかな、雨がやんだので、大きな庭石の上に乗って釣りをしてた。玄関前が、一面池みたいになってたので、魚がきた言うて。近所の人が笑ってはった。
【浸かったのはこのあたりだけ】
平成25年は、考えられないほどの大雨やった。
けど、ここがこんなに浸かったのに、あんまり世間では知られてない。ただ単に、この辺の家が浸かって、終わったというだけで、ちょっと離れたら全然知らない。いつも、うちだけが、誰も知らない間に水が増えて、沈んでと繰り返してるだけで。 うちはこんな悲惨な状態になってるんだけど、ここ一帯だけで、向こうの道は車が通ってるのが見えてたしね。この道を通らない人は、知らない。
うちが、水が引いてから外に畳やらを出してたら、何してんの、というかんじやった。浸水したのは、このあたりと、瓶割山(かめわりやま)の下だけやから。車突っ込んで水没してたとこ。
とにかく電気系統があかんようになったから、テレビもつかないし、携帯しかなかったから、情報がわからなかった。
停電は、家が浸いて、コンセントに水が入ってショートするから。コンセントって床に近いところにあるでしょう。水浸くところは、低いとこにコンセント設置したらあかんね。
【床上浸水は5軒―片付けは自分たちで】
水が引いた後の片付けが大変やった。1週間は毎日、朝から晩までやって、へとへとでした。子どもも会社や学校を休ませてもらい、家族でがんばった。
汚れた畳やらは、自分らで処分場まで持っていかなあかんのよ。取りにきてくれへん。
テレビで見てると、前に出しとけば、持って行ってくれはったでしょう。そのつもりでいたら、出してるのはうちらだけやし、自分らでクリーンセンターに持って行かなあかんかった。
うちは、子どももいて、も借りられたのでよかったけど、高齢の1人暮らしやと、そんなことでけへん。どうするのいうかんじやった。
床上浸水は、近所では5軒かな。消防団の人が、大丈夫かと声かけてくれはるけど、大丈夫じゃないよと言ってた。
泥水は、黄色い田んぼの土。基礎を囲んでるうちは、基礎の中に土が溜まった。昔の、そんなことしてない家は、ザーッと流れていってた。
水は汚くて、衛生面でよくないから、掃除にかかったときに、うちから消毒液をご近所に配った。仕事柄、たくさんあるので。
そしたら、長福寺町の自治会長は市に連絡したので、この区は早くに消毒液がもらえたらしい。ここの人が、市から配布されたからと、消毒液を返してくれはった。
まあ、市もその頃は忙しかったやろしね。しばらく、こんなことなかったから。
うちの駐車場の近くで、8号線を挟んでの向かい側は、今まで水害なんかなかったからびっくりして、お宅の駐車場から水が流れてるよっていうてきはった。こっち側に溜まってる水が、うちの駐車場を越えて国道へ流れてたから。そしてその水が、国道の向こうに流れてる川に向かっていって、そこの家の前の道をザーッと流れていったから、びっくりしはったんやね。しかもその家は、玄関が国道に向かってるから、流れる水が玄関に当たって。
それで、市の人に頼んで、土のうを持って来てもらいはった。うちのように浸かる水じゃなくて、流れてる水やから、土のうを置いたら水の方向が変わって、家には入らなかったということやった。
大変やったけど、後始末するのに、ご近所の方や息子の友達も声をかけてくださって、ありがたかった。まあなんとか、家族でできました。
【体験の伝承】
当時、妻は地域の主任児童委員をやってたので、体験を小学校で話した。5年と6年生対象。子どもたちが危険度マップを作っていたので、それについて回って。
子どもの反応はというと、同じ馬淵学区やけど、このへんには子どもがいなくて、水害に遭った子がいないんでわからない。ここは馬淵学区の中でもポコッと離れたところなんで、よけいわからない。大人もここを通らない限りわからない。
当日の写真を見せると、「えーっ!こんなになったの!」と、ものすごくびっくりしていました。
【日頃からの備え】
うちは土のうを置いても、10個や20個では間に合わへんしね。水が引かへんかっても困るし。
このあたりは低地やから、少しずつ基礎を高くしていくしか、ないですね。
そういう経験があるので、この家も、古い隣の家より少し高めにしたし、その向こうに建物を作った時も、もっと高くしました。
町内でも、ここはちょっと土地が高いなということがわかってくるので、もしもの時は車を置かせてもらえるように、お願いしています。