愛知川決壊箇所付近駐車場
提供:東近江市
場所:東近江市栗見新田町
提供:東近江市
体験者の語り
【愛知川栗見新田地先 決壊】
栗見新田は、かつて集落内には堀がたくさんあり、田舟による交通が盛んであった。そして、愛知川の堤外地は現在の公園ではなく、栗見新田の人々の田んぼ(約200反)や竹藪(50戸~60戸が2畝程度ずつ所有)があった。
時代と共に、水上交通から道路交通へと変わっていくなかで、集落の堀は埋められ道となったとき、平成2年台風19号が襲来した。
平成2年台風19号の大雨により、栗見新田自治会役員などが集落の会議所に集まり警戒。一時間おきに堤防に見まわりに行っていた。「まだまだ大丈夫。どうもないわ」と、役員たちは各自宅の戸締まりをしに一旦帰宅。
だが、一旦帰宅するとすぐに役員から消防出動命令が発令され、会議所に再度集まった。そして、役員達が堤防見回りに行った時、ヨシや藁といったゴミが左岸側の竹藪に引っかかり、堰のような状態となっており、渦巻きが発生していた。栗見橋からは手が洗え、水は堤防から溢水し始め、そして愛知川栗見新田地先の堤防が決壊した。
決壊したのは、9月19日23時か24時頃。
決壊した理由は、決壊した箇所はもともと堤防の幅が細く、また北風が吹いていたため、水嵩が上昇し排水できなかったためではないかと言われている。
そして当時、彦根側(右岸)の堤防の方が高く、栗見新田側(左岸)とは60センチも差があり、堤防が低かったとも言われている。
決壊後、集落は数軒が床下浸水の被害を受けたが、自宅から避難するほどでもなかった。
しかし、集落内を流れている南川では溢水し、田んぼの方へと水が流れ冠水。そして、田んぼの先にある防火用水から排水が出来ない状態になると集落内が危険が高まるため、消防の人が用水路の堤防を切り、排水を行った。
水が引いた後は、道路にゴミがたくさん溜まり、ゴミを廃棄するため業者を呼んで処理を行ったという。
ドリームハイツ 字の入り口 9月20日撮影 提供:東近江市
【愛知川決壊の状況】
愛知川の霞堤内に造成された住宅地である種町『ドリームハイツ』と、今町の日本電気硝子(株)は、ともに愛知川沿いに位置する。
愛知川からの逆流でドリームハイツが浸水し始めたのち、愛知川今町地先の堤防が決壊し、すぐそばの日本電気硝子(株)駐車場をはじめ、工場内外に濁流が押し寄せた。
【「平成2年台風19号出水記録」(滋賀県河港課発行)から抜粋】
平成2年 9月19日
平成2年 9月20日
体験者の語り1 女性(昭和59年6月生) 県職員 聞き取り日:平成26年6月2日
当時、私は幼稚園児でした。夜中に起こされて家族みなで長靴をはき、車に乗って、少し離れたところの当時の能登川町役場のやわらぎホールへ避難しました。近所の人もたくさんいました。
詳しくは覚えてないけれど、家の周りは、浸水はしてませんでした。
浸水したところがあると聞いたので、避難所から帰ってから見に行ってみると、道には木などがたくさん落ちていました。そして、その辺りの家の塀などに、浸水した水跡が残ってました。しばらく、消えてなかったと思います。
体験者の語り2 男性(この女性の父親)
夜中に、愛知川の永源寺ダム放流のサイレンが鳴り響いていました。何度もサイレンがなるので、我が家は愛知川のすぐそばなので、心配で、堤防上の道へ川を見に行きました。
すると、道まであと2mぐらいのところまで、川の水が迫ってきていて、非常に身の危険を感じました。少し、低いところにある家の方へは、川の水が逆流してきていました。
避難する決意をし、急いで子どもたちを起こして、車に乗り込みました。夜中1時頃だったと思います。字の人たちもみな、車で、避難場所になっていたやわらぎホールへ向かいました。
逃げ道は3ルートありましたが、そのうちの2つは、すでに川の水がきていて通れず、残り1ヵ所の道も、台風の強い風で吹き飛ばされた長い竹などが散乱し、非常に危険な状態だったが、なんとか避難することができました。
川の水が溢れてないか、家がどうなっているか心配しながら夜を明かし、次の朝帰ってみると、幸いにも我が家は無事で、ほっとしました。
愛知川決壊箇所(現東近江市今町)横 日本電気硝子(株)駐車場
押し寄せた濁流に流された車や倒木が、駐車場の端に折り重なっている
9月20日撮影 提供:東近江市
【愛知川決壊の状況】
種町ドリームハイツと今町日本電気硝子(株)は隣接し、ともに愛知川沿いに位置する。
愛知川からの逆流でドリームハイツが浸水し始めたのち、愛知川今町地先の堤防が決壊し、すぐそばの日本電気硝子(株)駐車場をはじめ、工場内外に濁流が押し寄せた。
【「平成2年台風19号出水記録」(滋賀県河港課発行)から抜粋】
平成2年 9月19日
平成2年 9月20日
体験者の語り 男性(当時、決壊箇所今町日本電気硝子(株)に勤務していた皆さん) 聞き取り日:平成26年6月2日
会社では24時間シフト体制で勤務していたので、台風19号接近のテレビ放送で、社内では、朝から厳重警戒態勢を取っていた。
19日、夜10時過ぎから、徐々に愛知川の水位が上昇し始めたため、社内では、30分置きぐらいに愛知川の水位の上昇を確認していた。
そのうち、「もくもく川」と呼ばれている会社の中を流れている川の水が溢れだしてきたため、その頃から徐々に緊迫感が社内を覆ってきた。
深夜1時頃には、とうとうすぐそばの八幡橋の真下まで水位が上昇してきた。
その直後、会社駐車場横の堤防が決壊し始めた。水は約30m~40mにもなる決壊箇所から、濁流となって駐車場に流れ込んできて、大きな渦となって、止めてあった車を巻きこんでいった。夜勤者と、定時で終わって警戒態勢で残っていた人たちの自家用車がすべて流され、破壊された。
濁流はさらに、会社の事務所に流れ込み、ついには食堂の中にも猛烈に流れ込んできたため、逃げ場を求めて食堂の屋根に上がった人たちもいた。
工場内にも深さ1mぐらいの濁流が押し寄せ、浸水したため、パソコン等も飲み込まれた。
社内では、春と秋の年2回、火災訓練を行っていて、避難場所も決めていたが、水害対策はしていなかった。
すさまじい体験で呆然としていたが、翌朝駐車場を見ると、流された自動車が折り重なっている無残な状態で、それを見ると、さらに絶望感が襲ってきた。
その後、1週間ぐらい会社は操業停止となり、破壊された車や溜まった土砂を運び出すなど、後始末に明け暮れた。
警戒のために残ってくれていた仲間1人が犠牲になり、本当に悔しい思いをしたことが思い出されます。
体験者の語り 40代
農業。朝起きたら、切れていた。TVでやっとった。消防は卒業したけれど、水防はない。友人の家や田が浸かった。
地域の水は、エンジン3台と予備1台でかき出している。国任せなので、くわしい事がわかりません。
もし、ポンプが止まったら、私の所は低い新田なので、水に浸かります。