一人は万民のため。万民は一人のため。これ天下大吉なり。
冷酷非情で打算的な人物として語られる近江の戦国武将・石田三成。
しかし、本当にそうだったのでしょうか?
石田三成が戦国の世の中で掲げた旗印は「大一大万大吉」。
その意味は、
「一人が皆のために、皆が一人のために動けば、
人生は吉となり、この世に平和が訪れる」。
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石田三成の人柄や功績をさまざまな角度から伝える総集編。
いわば石田三成のグレイテストヒッツです。
現在の滋賀県長浜市に生まれた三成は、当時長浜城主だった豊臣秀吉に気に入られ部下となります。織田信長が本能寺の変で亡くなったあと、天下人となった秀吉のもとで三成は、ついには五奉行と呼ばれる重臣に登りつめます。戦乱を治め、世の中の平和を実現しようと太閤検地など多くの政策に携わったといわれ、制度を整えていった時代の立役者でした。その心は、旗印に掲げた「大一大万大吉」にも表れていました。
秀吉が亡くなると、徳川家康が次の天下人になろうと動き出しますが、豊臣家を支え続けた三成は、忠義の心から家康の天下取りを阻止するために立ち上がり戦いを挑みます。これが有名な「関ヶ原の戦い」です。
最期は敗軍の将として処刑されましたが、三成の生き方には強い信念が感じられます。それは「相手を思いやる心」と「自分のやり方を貫くこと」。
三成の叶えたかった夢は何だったのでしょう。三成の魂は今の時代にも受け継がれています。現代に残る三成のエピソードや足跡をこれから一緒に辿ってみませんか。
一人は皆のために、皆は一人のために
「大一大万大吉」
初対面でのおもてなし
「三献の茶」
智将・三成出世のはじまり
「賤ヶ岳の戦い」
秀吉にも遠慮しない物言い
「忍城攻め」
名士・嶋左近を部下に
「君臣禄を分かつ」
同志を想う心遣い
「大谷吉継との絆」
三成が作った天下の基準
「検地尺」
死ぬ間際にも信念を貫いた
「三成と干し柿」
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