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第49回 「こんにちは!三日月です」

  • 対話相手「冨田人形共遊団(とんだにんぎょうきょうゆうだん)」の皆さん

「冨田人形共遊団」の皆さん

今回は、「冨田人形共遊団」の皆さんと対話を行いました。

県の無形民俗文化財にも選択されている冨田人形は、江戸時代に巡業に来た阿波の一座が、路銀代わりに道具全てを置いて帰ったのが始まりといわれ、百数十年の伝統を誇る人形浄瑠璃です。

その伝統を守るため、昭和54年に再発足した「冨田人形共遊団」には、市内外の人形を愛するメンバーが集まり、日々の練習に励んでおられます。

近年は地元の小・中学生や地域住民、さらには海外からの留学生を迎え、文化交流、後継者育成にも力を入れておられます。

今回は、冨田人形共遊団の皆さんと三日月知事が、冨田人形共遊団の取組や冨田人形を通じて生まれた人と人とのつながりについて語り合いました。

知事から

今回の対話について

  • 一昨日から長浜市木之本の杉野に短期居住させていただいている。この地域に短期居住させていただくのは知事に就任してから3度目となるが、今回は産業や文化を体験させていただいている。
  • 冨田人形を継承していただいているとともに、子どもたちにも伝承していく取組、国境を越えて良さを広めていく取組をしていただいていることは、とても大事なことだと思う。教育的、文化的な面からも長浜市とも連携し、一緒に取組を進めていきたいと思っている。今日お話を伺ったことも糧としながら、これからにつなげていきたいと思う。

「冨田人形共遊団」の皆さんから

冨田人形共遊団の活動について

  • 江戸時代に阿波の一座が雪で足止めされた時に、村の人だけで衣食住を世話しながら、面倒を見た。帰りの旅費も世話してもらったから、お礼に人形を置いていかれた。雪で動けない間は、村人を寄せて人形浄瑠璃を教えた。それがこの地域の文化になり、ずっと今日まで伝わっている。
  • 冨田人形共遊団が長年にわたり冨田人形保存・継承の活動をしてきたが、一昨年、「冨田人形保存会」を立ち上げ、冨田人形の保存は保存会で担っていこうとしている。
  • 保存会には、とても良くバックアップしてもらっている。保存会1年目は会員数55名だったが、今年は125名にまで増えた。びわ地域協議会の中に冨田人形保存会を位置付けて活動している。
  • 冨田人形は一時期、活動が途絶えていた。人形はあったが、収納庫に眠っていた。団長が「やろうか」と声をかけたのが現在の冨田人形共遊団の始まり。
  • 共遊団の定期公演は7月と11月の2回。以前は年3回やっていた。公演自体は20回以上行っている。保存会の取組で敬老会、文化祭などに無償で出演もしている。無料で出向いて、地域の方に見ていただく。お金は保存会から共遊団へ補填するかたちでサポートしている。資金があまりないので、出前講座や公演を見ていただいた方に保存会に入会していただくというパターンをつくりたいと思っている。
  • 保存会の会員が増えた関係もあるかもしれないが、昨年の定期公演の動員数は250人で、会場が満席になった。昔は100人も集まらず、公演しても寂しい時があったが、3年程前から増えてきた。
  • 他の地域の人形浄瑠璃と比べると、冨田人形は市のバックアップがあり、保存会もできた。そういった体制があるのは稀有だと思う。
  • 昨年から長浜市に協力してもらい、文化庁や総務省など国の補助金に申請している。今後も様々な補助金を活用しつつ活動していきたい。できれば県の方でも活用できるような補助金をお願いしたい。首(かしら)をつくるにも30~40万、衣装も20~50万はかかるので、なかなかお金が回らない。百何十年経った首(かしら)は非常に傷みやすくなっているので、修理代も必要。
  • 阿波人形芝居の一座から人形を伝承したのが天保6年(1835年)なので、首(かしら)は、それよりも前のものがたくさんある。昭和32年に滋賀県無形民俗文化財に選択されたことをきっかけに5年かけて大修理を行ったが、その後もかなり年月が経っているので傷みやすくなっている。大規模な修理はできていないが、市の補助をもらって傷んだものから順に修理しているという状態。徳島や大阪で修理している。
  • 保存会の会費だけではなかなか大変なので、今年は寄付金を一緒に募らせてもらおうと思っている。保存会は個人会員で、年会費1000円だが、125名会員がいても年間12万5千円の収入である。
  • 冨田人形がテレビ番組で取り上げられた時は反響があった。イギリスのメディアから取材が来たこともあった。もう少しメディアとつながりを持って広報できると、もっと来てもらえると思うのだが、広報があまり得意ではないのでできていない。
  • まだまだ発信力が不足しているのは事実だが、かなり認知度は高まってきたと手応えを感じている。例えば大阪や名古屋、和歌山、広島などから毎回ここまで見に来てくれる人がいる。
  • 昔は、13年続いた人形浄瑠璃のサミットがあった。全国の人形浄瑠璃団体との関係がその時から続いている。サミットではお互いに高揚しながら浄瑠璃の話をして面白かった。会場さえあれば、のぼりも再利用でき、何もお金はいらないので、また開催できると良い。
  • 人形浄瑠璃は、人形遣い、太夫、三味線で成り立つ。太夫を17年ほどやっているが、未だに満足な語りができない。それが伝統文化の奥深さなのかと感じている。アメリカ公演に2回、ドイツ公演に1回、種子島公演にも出させていただいている。非常に楽しんで活動している。
  • 文化産業交流会館とびわ湖ホールで、京都フィルハーモニー室内合奏団と一緒にオペラ調にアレンジした公演を行った。オペラ調の語りと人形のコラボという公演であった。
  • 中村美律子さんとNHK歌謡コンサートにも出演した。全国放送の生放送で、中村さんが『壺坂情話』を歌われるのに合わせて演じた。
  • 今、公演できる演目は14ある。これからもう一つ新しい演目を復活しようと思っているが、公演できるようになるまでは、稽古などでだいたい2年くらいかかる。

冨田人形の保存・伝承と後継者育成について

  • ジュニアクラスは去年の5月24日から開講した。現在6人在籍している。第2・4水曜日の月2回練習し、11月にあった秋の公演でサプライズ出演してもらった。共遊団団長と団長の奥様が中心に指導している。
  • 今年も小・中学生を対象にジュニアクラス受講者を募集予定。びわ地域の子どもたちが伝統芸能に触れ合う機会をつくって、その子どもたちが冨田人形を継承してくれたらという思いを持って活動している。
  • 2年生と6年生の子どもがジュニアクラスに通っている。まだ始めたばかりなので上手ではないが、公演に出演させてもらい、とても楽しかったようで次も続けたいと言っている。どんどん頑張ってもらおうと思っている。
  • 息子たちがジュニアクラスに通っている。習い始めて間もないが、所作を指導いただいているので、生活面にも良い影響が出てきて嬉しい。また、外国の方との交流などもあり、そういうことも含め、子どもたちはすごく楽しく通っている。伝統芸能は学校でも少し習うが、学校以外でも教えていただくことで、出掛けた先で伝統芸能を見た時に「これは、こういうことだよ」と解説してくれるので会話が生まれている。
  • ジュニアクラス用に『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』の人形を新しくつくった。首(かしら)も特殊なもので非常に軽くつくってもらった。
  • びわ北小学校では年1回子どもたちが発表会をしている。5月頃から団長達が指導に入り、オリジナルの演目をやる。びわ南小学校では、ここ2、3年ほど出前講座をしている。今年は『寿式三番叟』を子どもたちに体験してもらった。授業時間は2時間。びわ中学校にも出前講座で行っている。このようなつながりが縁でジュニアクラスの受講生が少しずつ増えれば良いと淡い希望を持っている。
  • これからの課題は後継者。若い人にもっと入ってもらえるようにしたい。中学校や高校には冨田人形のクラブがない。働きかけも行っているが難しい。部活のない日があるので、そういう時に文化の一つとして冨田人形を組み込んで受け継いでいけたら良いと思っている。ただ、共遊団側も仕事をしている人が多いので、平日はなかなか指導に行くのが難しいというところもある。
  • 後継者の人材不足は痛切に感じているが、何といっても人形が高い。小学校で出前講座をやって、首(かしら)を傷めると修繕費に10万かかる。気軽に操るためにレプリカをつくるにもお金がかかる。学校も限られた予算の中から修繕費を負担してくれるが、そういったことが続くと敬遠されてしまう。費用面の一部でも良いので県の方から補助してもらえるとありがたい。どうしてもお金が避けられない。保存会としても、一生懸命資金を集めるが、今日まで続く長い歴史を今後200年守っていくにはどうすれば良いかということも指導いただきながら資金的な援助もお願いしたい。
  • 小学生の頃に父親と公演に見に行った時に、「ちょっと足持って」と言われて、持った覚えがある。そういう記憶があったので、年を取った今も興味を持っていられたと思う。小学生の時に聞いた太夫や三味線は印象に残っているので、ジュニアクラスの子にも経験は残っていくのではないかと、ささやかな期待をしている。小さい時の体験は貴重だと思う。
  • 小学生だった昭和20年代後半に講堂で冨田人形を見たことがある。人形もきれいだったが、顔を真っ赤にして語りをしていた姿がものすごく印象に残っている。それで今、退職した自分が語りをやっているので、小さい子どもたちに見せることは大事だと思う。

冨田人形の保存・伝承と後継者育成について

  • ジュニアクラスは去年の5月24日から開講した。現在6人在籍している。第2・4水曜日の月2回練習し、11月にあった秋の公演でサプライズ出演してもらった。共遊団団長と団長の奥様が中心に指導している。
  • 今年も小・中学生を対象にジュニアクラス受講者を募集予定。びわ地域の子どもたちが伝統芸能に触れ合う機会をつくって、その子どもたちが冨田人形を継承してくれたらという思いを持って活動している。
  • 2年生と6年生の子どもがジュニアクラスに通っている。まだ始めたばかりなので上手ではないが、公演に出演させてもらい、とても楽しかったようで次も続けたいと言っている。どんどん頑張ってもらおうと思っている。
  • 息子たちがジュニアクラスに通っている。習い始めて間もないが、所作を指導いただいているので、生活面にも良い影響が出てきて嬉しい。また、外国の方との交流などもあり、そういうことも含め、子どもたちはすごく楽しく通っている。伝統芸能は学校でも少し習うが、学校以外でも教えていただくことで、出掛けた先で伝統芸能を見た時に「これは、こういうことだよ」と解説してくれるので会話が生まれている。
  • ジュニアクラス用に『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』の人形を新しくつくった。首(かしら)も特殊なもので非常に軽くつくってもらった。
  • びわ北小学校では年1回子どもたちが発表会をしている。5月頃から団長達が指導に入り、オリジナルの演目をやる。びわ南小学校では、ここ2、3年ほど出前講座をしている。今年は『寿式三番叟』を子どもたちに体験してもらった。授業時間は2時間。びわ中学校にも出前講座で行っている。このようなつながりが縁でジュニアクラスの受講生が少しずつ増えれば良いと淡い希望を持っている。
  • これからの課題は後継者。若い人にもっと入ってもらえるようにしたい。中学校や高校には冨田人形のクラブがない。働きかけも行っているが難しい。部活のない日があるので、そういう時に文化の一つとして冨田人形を組み込んで受け継いでいけたら良いと思っている。ただ、共遊団側も仕事をしている人が多いので、平日はなかなか指導に行くのが難しいというところもある。
  • 後継者の人材不足は痛切に感じているが、何といっても人形が高い。小学校で出前講座をやって、首(かしら)を傷めると修繕費に10万かかる。気軽に操るためにレプリカをつくるにもお金がかかる。学校も限られた予算の中から修繕費を負担してくれるが、そういったことが続くと敬遠されてしまう。費用面の一部でも良いので県の方から補助してもらえるとありがたい。どうしてもお金が避けられない。保存会としても、一生懸命資金を集めるが、今日まで続く長い歴史を今後200年守っていくにはどうすれば良いかということも指導いただきながら資金的な援助もお願いしたい。
  • 小学生の頃に父親と公演に見に行った時に、「ちょっと足持って」と言われて、持った覚えがある。そういう記憶があったので、年を取った今も興味を持っていられたと思う。小学生の時に聞いた太夫や三味線は印象に残っているので、ジュニアクラスの子にも経験は残っていくのではないかと、ささやかな期待をしている。小さい時の体験は貴重だと思う。
  • 小学生だった昭和20年代後半に講堂で冨田人形を見たことがある。人形もきれいだったが、顔を真っ赤にして語りをしていた姿がものすごく印象に残っている。それで今、退職した自分が語りをやっているので、小さい子どもたちに見せることは大事だと思う。

冨田人形を通じた国際交流について

  • 留学生の受け入れは平成14年から行っており、これまでの参加人数は約300名にのぼる。長浜市では冨田人形を学んだ外国人留学生に「長浜国際観光サポーター」を委嘱している。帰国後も長浜へ行く観光客のサポートをしてもらうのが役目である。
  • 留学生受け入れの費用は市の予算や保存会の補助でまかなっている。県外で研修を行う際のバス代等は保存会からの補助である。
  • 留学生と琵琶湖一周バスツアーを年1回開催している。滋賀は環境県だということを分かってもらうために琵琶湖の水を飲む体験をしてもらうことにしているが、留学生は琵琶湖の水を飲めることにびっくりして、水を飲むことに慎重になる。
  • 今まで参加してくれたのはアメリカ、イギリス、イタリア、フランス、ロシア、中国の大学生。インターネットで募集する。全員ホームステイで2か月滞在し、最後に舞台に出演する。2カ月間で日本語も結構上手になる。基本的に日本や日本の文化に非常に興味を持った子が来るのでとても積極的である。できるだけ日本の文化を吸収しないと損だという心持ちの留学生が多いので、帰るように言っても帰らずにずっと練習している留学生もいる。今は、食事の写真を撮ってすぐにアップできるので、過去に参加した子たちから「自分の時よりおいしそうなものを食べていてずるい」というような反応がすぐ返ってくる。留学生が参加するのは、日本でも冨田人形くらいだと思う。
  • 最近は国際情勢が不安定なので、参加を見合わせる留学生も多い。東日本大震災の時は、参加者はいなかった。その後参加した留学生は「瓦礫はどこにあるのか」と聞いてきた。小さい国なので、日本全域に被害があったと思っていたようだ。
  • ホームステイで受け入れた学生とは今も交流がある。今はインターネットで交流ができる。ほとんどの留学生が日本から帰るのが嫌だと言って感動して帰ってくれるので喜んでいる。
  • ホームステイは1回で5人くらい預かる時もある。最低でも3人くらいは受け入れる。食事は特別な料理は出さない。天ぷらをすると、留学生が全部食べてしまうので、私たちの分は残らない。日本なので布団で寝てもらい、食事も私たちが食べているものを食べてもらう。特別扱いをすると疲れてしまうので、自然なかたちでやっている。

知事から

対話を振り返って

  • 奥深さの一端の一端もまだ分かっていないかもしれないが、皆さんの活動が御苦労の上につながってきたことを実感した。これまでの活動がどんどん花開いてきて、保存会の皆さんの様々な支えもうまくかみ合ってきていると感じる。ぜひ県としても文化財を継承する、世界や次の世代への継承・伝播していくという観点から関わっていきたいと思う。