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第47回 「こんにちは!三日月です」

  • 対話相手「一般財団法人滋賀県遺族会青年部」の皆さん

「一般財団法人滋賀県遺族会青年部」の皆さん

今回は、「一般財団法人滋賀県遺族会青年部」の皆さんと対話を行いました。

一般財団法人滋賀県遺族会青年部は滋賀県遺族会の後継者として戦没者遺族の意志を継承し、遺族会の目的達成に寄与することを目的とし、平成27年4月に設立されました。

青年部の活動として、年2回の委員会開催、護国神社およびその周辺清掃、みたま祭りへの協力などを行っておられます。

今回は、一般財団法人滋賀県遺族会青年部の皆さんと三日月知事が、遺族会の活動を継承していくことや、次世代に戦争を伝えていくことなどについて語り合いました。

知事から

今回の対話について

  • 滋賀県から出征し亡くなられた方が3万人あまりいらっしゃることに思いを馳せている。滋賀縣護國神社内の滋賀県英霊顕彰館には5千人あまりの御英霊のお写真が飾られている。こんなに大勢の若い方々が、御家族を残して亡くなられたということを思うと胸に来るものがあった。
  • 昨年、遺族会の皆さんとフィリピンでの慰霊巡拝に参加させていただいた。多くの方が戦死された谷筋を案内いただいたり、現地で御遺族の皆さんと一緒に式典に参列させていただいたりした。式典では静かな気持ちであったが、遺族の方が呼びかけをされる時、気持ちが高ぶり、声にならない声を絞り出して呼びかけされる姿に私も涙した。
  • 二度と戦争を起こさない、遺族を生まない増やさないために、私たちには何ができるのか。新聞やテレビでみる、おじいちゃんおばあちゃんから聞く、学校で習う、本で読み知ることも大事だが、やはり戦跡に赴く、体験者の話を直接聞く、御英霊の写真をみることで、より分かることがあると思う。遺族会および青年部の活動はとても意味のある大事な活動だと思う。
  • ぜひ、県としても一緒に継いで行きたいし、増やしていきたい。そのための学びの場を作っていきたい。

「一般財団法人滋賀県遺族会青年部」の皆さんから

一般財団法人滋賀県遺族会青年部の活動および現状について

  • 滋賀県は比較的早く青年部を設置した。全国的に見てもまだ設置されていないところが多い。
  • 遺族会青年部世代は仕事があり、社会において柱となる立場の世代。なかなか遺族会活動にすべてをかけられない。その中で青年部は、できる人ができるときにできることをするという姿勢で遺族会の活動を継承していこうとしている。義務化されていると、できない時に言い訳を考えないと苦しくなる。来られなかったら来られなくていい、できなかったらできなくていい、来た時だけやってくれたらいいというスタンスなら仲間も増えるのではないかと思う。
  • 平成27年4月に発足し、年2回会合を開くとともに、護国神社の清掃活動も行っている。今年は県から補助を受け、研修会を青年部単独で開催した。遺族会事業においては下支えではなく、むしろ当日の司会など表だったところで青年部を起用してもらっている。
  • ほとんどの下準備は遺族会の方にお世話になっており、青年部は下地のあるところに乗せてもらっているという感じ。何にしても中身がまだわかっていない。行動することで中身を理解し、何かしていかないといけないという思いを持って活動していこうと思っている。
  • 遺族会活動を行う親の姿勢を見て、継続していくべきだという思いに駆られ青年部に入った。高い志があってということではなく、自然の流れのなかで活動している。
  • 青年部は親に言われて入った人が多く、名前だけ入っている人が多い。湖南市では、顔を合わした方が活動しやすいと思い、総会を開催したがほとんど人が集まらなかった。
  • 高島市は現状1ケタ台しか会員がいないが、同じ立場の孫世代の人はもっといるはず。戦跡に実際行って目の当たりにすると気持ちも高まって、また違うはずだが、戦争を知らない孫世代になると何をしているのだろうという感想になる。私は、夫を戦争で亡くした祖母から耳にタコができるくらい戦争の話を聞いてきたので、違和感なく遺族会に入れた。3年前にパラオに行き、今まで思っていた次元と違う感覚を味わった。引き継ぐ思いは人それぞれだと思う。
  • 今日来ているのは15名だが、青年部委員はもっといる。自主的に参加していない人が多く、顔を知らない人がほとんどである。一度も活動をしていない人に一緒に活動してもらうには見たり、感じたりする場所に行く機会をつくる必要があると思う。
  • 今後、青年部として何をやっていかなければならないか。遺族会の活動を継承していくことと、方向転換していかなければいけないところを取捨選択し、ずっと続けていけるような活動をしていければと思っている。

平和祈念式典について

  • 竜王町の平和式典が今年で第7回になる。今までは社会福祉協議会が開催していて戦没者追悼法要だったが、町が主催することになり、やり方を変えて平和祈念式という形になった。町には戦没者が333柱いらっしゃる。すべての方に遺族がおられるわけではないし、案内を出しても全員が来られるわけではないので、遺族の参加者は140~150人。あとは、区長さんや議員さん等が160人ほど来て、だいたい300人弱の平和祈念式が行われる。しかし、一般の方の参加がなく、恒久平和や戦没者遺族の想いを引き継ぐという面からいうと残念に思う。例えば、平和祈念式の前後1週間ぐらいを平和について考える週間にしてほしい。
  • 草津市は人権集会と平和祈念式典を合わせて開催している。それでも若干一般の方が来られる程度である。
  • 守山市は、8月の法要と合わせて前後1週間、遺族会で平和祈念展示をしているが一般の方はなかなか来ない。
  • 高島市は、平和を誓う市民の集いをしている。以前は市の遺族会が中心でやっていたが、公が責任を持ってやっていくべきという市遺族会の要望もあり、市主催となった。遺族会は後援している。
  • 長浜市は11月に湖北文化ホールで平和祈念式典を開催している。実行委員会方式で、市・市遺族会・関係先などで運営する。当日は追悼式だけでなく長浜小の合唱団に参加いただき、平和に関する歌の斉唱、ピアノ演奏などを行った。保護者の方が来るので、一般の方の参列につながった。市の広報誌やホームページでの周知もしている。
  • 竜王では沖縄に修学旅行に行った中学生や、知覧に行った小学生に作文を読んでもらったり、戦争の語り部さんにお話をしてもらったりしており、9時~12時くらいまでの長い式典となっている。来ていただけるよう工夫はしているが、一般の方への周知が足りていないと感じている。
  • 東近江市は平日に追悼式方式で実施している。参加者は遺族中心である。
  • 近江八幡市は市と合同開催で、今年は安土で開催した。知覧に行った子に作文を発表してもらったり、小学生に劇をしてもらったりした。
  • 戦没者追悼法要に限らず、法要のあとは故人を偲んでご飯を食べながらお酒を飲み、思い出話をする。追悼式や平和祈念式と言うとその場に行って終わりという感じがする。月間なり週間で考える期間を設けないと、1日だけの式典では、行事というだけで終わってしまう感がある。
  • 県の追悼式参列に一般の方も参列できるという情報が一般に伝わっておらず、当日の参列がない。遺族会としても一般の方の参列が広がっていけばいいと思っている。
  • 県として取り組めば、市町にも広がる。戦争の悲惨さを伝えるのも大事だが、悲惨なことをしてはいけないということを伝えていくのは、私たち遺族だけではなく、各自治体での責任でもあると思う。みんなで考えていかないといけない部分をなんとかできないかと思っている。

今後の取組と課題について

  • 青年部が肩書を外して、本会を引き継ぐ時が一番難しい。実際に活動するには資金が必要なので、そこをどう引き継いでいくかが難しい。遺族会を存続させるためだけに大きな事業をせず、好き寄りで活動することになれば、遺族会存続の意義がなくなるので、そのあたりを上手にするにはどうしていくかが課題である。その点は滋賀県だけでなく、日本遺族会も同じ状況である。
  • 遺族会を宗教のように捉えている人もいる。遺族会は宗教や政治と結びついていると思い、一線を引く方もおられる。政治とつながらないと、遺骨収集にしても何にしても前に進まないので、確かに政治とはつながっているが、一般の会員で政治的つながりまで意識して活動している人は少ない。
  • 我々は今、当たり前に生活しているが、戦後は戦没者の名誉回復、遺族の生活のために政治との結びつきが不可欠であった。政治とのつながりがなければ、遺族の生活は悲惨なものであった。恩給の支給にしても政治との関わりの中で生まれてきた。
  • 宗教ではないが、国会では元祖圧力団体と言われていたそうだ。今後どうしていけば良いか話し合うためには、正しい理解が必要であると思っている。
  • 戦争については、つくられたA級戦犯という見方もあるし、他にも様々な見方や説がある。
    最終的に史実に基づいて自分の歴史観をつくるという教育ができれば良いのではないかと思う。
  • 歴史を極端に美化する必要もないし、極端に卑下する必要もないが、史実をきちんと理解して自分なりの歴史観を持つというようなことを教育の中でしていく必要があると思う。そうでないと、「かわいそう」で終わると思う。「悲惨でかわいそう」だけではないということを伝える機会を持てると良い。
  • 平和祈念館を教育の場で活用するよう教育委員会に提案したことがあったが、教育委員会の立場としては、学習の一つに組み込むよう指導はできないので、それぞれの学校の判断に任せるとのことであった。学校現場とは温度差がある。3月末の春休みには子どもたちを戦跡に連れて行くという事業がある。遺族会が長年続けてきた事業で、最近、子どもたちの親世代である青年部も随行させてもらうようになった。事業には毎年、40人くらいの小5~中3までの子どもたちが参加してくれている。今年は鹿児島の知覧に行った。
  • 今年の鹿児島知覧での戦跡慰霊に参加した。自分は祖父が戦死しており、祖母や父親から戦争の話を聞くことはあまりなかった。ずっと辛抱してくれていたのだなという感じを受けている。祖母、親を見ていて何となくどういう苦労をしてきたのかわかっているつもりでいたが、実際、戦跡に赴くと、ほとんどわかっていないことに気付いた。小中学生くらいの子どもに本当のものを見てもらいたい。戦争を体験している人の話を聞き、本物の資料を見てもらうことは子どもたちにとって大事だと思う。
  • 戦跡訪問の第1回に参加した子どもが、今は中学校の社会の先生になっている。自分が学校で習わなかったことを知覧に行って勉強できたので、このことを生徒に広めたいということで社会科の先生をしている。
  • 自分の祖母も父も人生のほとんどを遺族会の活動に費やしてきた。私もその後ろ姿を見てきているので、亡くなった方の魂と今おられる方の魂とで何かやっていかないといけないと思っている。知事という立場であるがゆえにできることとできないことがあるかと思うが、研修の場などを与えていただけたらと思う。
  • 孫、ひ孫が青年部で年齢制限はない。もともと青年部で頑張っておられた方々が、現在、本会で活動されている。その際に発展的解消という形で一度青年部がなくなった。この時に青年部の枠を残しながら、本会の活動を徐々に青年部にずらしていくということをしておけばよかったと思っている。これは滋賀県だけの話でなく、日本遺族会でも同じ。我々が本会を引き継ぎながら次の代へつなげていきたいと思っている。
  • 滋賀県遺族会館が老朽化しており耐震化が必要だが、耐震工事は費用がかかる。費用をかけて耐震化するよりは、小さい建物を建てたほうが良いのではという意見もある。どうするかは親会の遺族会が考えるが、県も遺族会とともに戦争の記憶を引き継ぐための活動を行うのであれば、話し合いの場所等に遺族会館が必要になるかと思う。県からの補助があればありがたい。
  • 英霊顕彰、恒久平和を掲げて遺族会として活動していくにあたり、遺族会会員だけでは先細りで、この先やっていけないことは目に見えている。オープンにしていくことが必要であるので、行政の中でも考えていただいて、良いコラボができたらと思う。

知事から

対話を振り返って

  • 私は国会議員時代から、膳所公園で行われていた夏の戦没者慰霊追悼式典に行っていた。暑いときに皆さん熱心にお参りされている。その時に遺族会の方が「だんだん私たちも年をとってくる」とおっしゃっていた。ちょうど私が知事になった年から、式典を県で主催させていただくことになった。これは責任重大で、毎回きちんとやろうと思いをこめて開催している。
  • 県が主催する平和祈念追悼式は大事にしたい。大事にするというのは、当然、続けることもそうだし、やり方も含め大事にしたい。戦没者に思いを寄せる、遺族会の方のいろんな活動をみんなに知ってもらう、やっぱり戦争をしてはいけないと思える、そんな場にしたい。そのためには、一般の方がもう少しいらっしゃってもいいのかもしれない。その場だけでなく、週間や月間として平和について考えたり、例えば、図書館などで関連図書を平積みして紹介するような企画とあわせて行ったりもできるかと思った。
  • 8月15日は国にとって特別な日。天皇皇后両陛下御臨席で「全国戦没者追悼式」が日本武道館で行われる。私も可能な限り伺っている。遺族の中でも若い方が参列できるように県として参列者の青年部枠を設けている。
  • 私も実際に戦跡を訪れて、改めて分かったこと、一段と思いが変わったことがある。知れば知るほどもっと知らないといけないと思う。もっと伝えないといけないと思う。そういう機会を、参加しやすいかたちでどう作るかということが課題。
  • 県の平和祈念館では遺族の方から資料を提供いただき、展示を行ったり見学、研修会を行ったりしている。このような施設や機会は大切だと思っている。
  • うまく言えないが、本物を見て、それを教えるとき、先生もどう子どもに教えていいのかわからないというのもあると思う。美化して伝えるのか、間違いだとするのか。あまり間違いであったと伝えると、命を落とした方々に対して命を軽んじるのかということもある。日本において残念なのは、戦争なり戦後が十分総括されていないことかもしれない。その一つに、御遺骨がまだ戻せていないということがある。国が法律を作って遺骨収集されているところではあるが。
  • 教育で子どもたちに教えることも大事だが、私たちの世代が学びなおし、自分たちの目線で考えることも大事だと思う。知事として一県民として一父親として、私たち自身がもう一回学び直そう、知らないことが多いので行ってみようということが大事だと思う。そういう機会をいろいろつくりましょう。それもできる人ができるところからとあまり無理なくやるのがいいのかもしれない。
  • 補助については、遺族会の活動に公的な役割があれば、公的に支援できる。遺族のためだけの遺族会を貫かれるのであれば、遺族会でやってくださいとなる。例えば、平和祈念財団を創りみんなで活動を行う、その中核を遺族会が担うのであれば、公的に関与することも可能ではあると思う。ただ、それだけでは割りきれない方々も大勢おられるのであれば、その整理をどうつけていくのかは難しいとも思う。
  • 知事である私の遺族会への参加、関与のしかたも一定整理しながらやらないといけないところがあるが、県民の方がたくさん戦争で亡くなられているので、その方たちのことを思い、平和教育につなげるという使命があると思っている。
  • 10月にフランス・ナント市に行ったとき、市立の奴隷博物館があった。三角貿易に携わった奴隷の博物館である。博物館を作るにあたり、市では侃侃諤諤(かんかんがくがく)の論争があった。市が負の部分を展示することに抵抗する市民もいたが、このことを学び、伝えるべきだという意見が通った。あまり日本にはない考え方だと思った。歴史の勉強は難しい。歴史にはいろいろな見方、説がある。難しいからこそ、一緒に学びましょう。
  • 沖縄の県人会には、近江の塔を建てるときに御尽力いただいた方がおられる。その方は旧余呉町から出征し、生きて終戦を迎えられた。沖縄で散った多くの仲間のために沖縄に残り、滋賀県から来た遺族の案内などをされた。その方はお亡くなりになったが、息子さんが今も沖縄滋賀県人会を大事にしてくださっている。こういう思いは、代々、人と人がつないでいくしかないものだと思う。そういう意味では、今日このようにつながれたことを大事にして、私たちが継いでいく役割を次の世代の人と一緒に担っていけたらと思う。
  • 私も考えるので、一緒に考えましょう。遺族の方がだんだん高齢化し、お孫さんの世代になってきたら気持ちが薄れてくる。おそらく年月が経てば経つほど御遺骨を戻さないといけないという気持ちさえもなくなってくると思うので、急がないといけない。それが担いきれなくなった時、行政とのコラボでどうしていくのか、よく考えないといけないと思う。ぜひ、青年部の皆さん、一緒に考えましょう。