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第46回 「こんにちは!三日月です」

  • 対話相手「おうみ未来塾卒塾生」の皆さん

「おうみ未来塾卒塾生」の皆さん

今回は、「おうみ未来塾卒塾生」の皆さんと対話を行いました。

「おうみ未来塾」は(公財)淡海文化振興財団(淡海ネットワークセンター)が行う人材育成のための事業です。

福祉、環境、文化等の様々な分野における県民の自主的で営利を目的としない社会的活動を総合的に支援することにより、よりよい地域社会の実現を図ることを目的に設立された淡海ネットワークセンターが手掛ける当事業では、地域課題に取り組む「地域プロデューサー」の育成に取り組んでいます。

全国的にも例のないユニークなフィールドワークや、ワークショップ等を実施し、卒塾生の半数近くが塾での学びを活かして、地域で活躍しています。

今回は、おうみ未来塾卒塾生の皆さんと三日月知事が、おうみ未来塾で学んだことによる成果や気づき、それらを活かした地域での活動について語り合いました。

知事から

今回の対話について

  • どんな取組でも間に入るコーディネーターが重要であると思う。公平性の観点や予算など様々な理由で行政での実施が難しいところに、みんなでやろうと入っていってくれる人はとても大事だと思う。おうみ未来塾はそういう人たちをこれまでたくさん育ててきてくださった。
  • それぞれの方が様々な分野で活動し、活躍されていると思うので、これからの滋賀づくり、地域づくりにはなくてはならない存在だと思っている。
  • 私自身もそういう人たちとつながって、行政を動かし、みんなで盛り上げていく滋賀をつくっていけたらいいと思っている。

「おうみ未来塾卒塾生」の皆さんから

おうみ未来塾について

  • おうみ未来塾は、地域の課題に取り組む地域プロデューサーが育つ塾を目指して1999年に開校し、今年で18年になる。
  • これまでの卒塾生は、今日卒塾された14期生18名を含め325名である。
  • 塾では地域の課題を発見し、政策化し、実行するスキルを身につけることを目的としており、座学だけでなく、地域づくりや市民活動の現場に出ていって学ぶフィールドワークやグループ活動も行う。約1年半のカリキュラムとなっている。卒塾生の多くは塾での学びを活かし、地域のフィールドで活躍されている。活動分野や活動地域は様々である。

参加者の自己紹介

  • おうみ未来塾で学んだ中で、1番印象に残っているのは、当時の塾長であった日高敏隆先生から聞いたチャーハンと混ぜご飯の話。チャーハンは素材を油で混ぜこぜにする。混ぜご飯は素材を一つずつ元のまま活かし酢で絡めて桶に盛り付ける。ごちゃ混ぜにして個性をお互いにつぶし合うのではなく認め合うことが大事であるという話である。地域プロデューサーの役割はこれからとても大事になってくると思っており、少しずつ世の中を変える原動力となれるようライフワークとして取り組んでいる。
    おうみ未来塾在籍中から、グリーンツーリズムや子ども体験学習をテーマにグループワークを行っていた。卒塾後、十何年経ってもまだ道半ばであるが同じテーマを追いかけて活動を続けている。
    日高先生のチャーハンと混ぜご飯の話がおうみ未来塾塾生の心意気というか、地域プロデューサーが一番大切にしないといけないことだと思う。フラットに地域に入ることを心がけるとともに、どういうまなざしで地域に入っていけばいいかを常に考え活動している。
  • 生活協同組合(生協)で働いている。生協は非営利団体の老舗で滋賀県の様々な市民活動とつながりがある。そのつながりを将来に向けてどう活かしていけばいいか悩んでいたところ、周りの人たちが「まずは自分でやってみなさい」とおうみ未来塾への入塾を勧めてくれた。地域を知らないと何にも進まない。仕事とは異なる視点をいただいたのが、おうみ未来塾の意義だったと思う。
    私たちのグループの課題は「地域家族をつくろう」であった。いろいろな団体、例えば障害者や外国人の集まりでフィールドワークを行った。2年間という短い期間では様々な人と出会うことだけで時間が経ってしまったが、その後、メンバーはそれぞれ自分のフィールドで様々なつながりをつくりながら活動している。
  • 私は定年退職直後におうみ未来塾に入った。近江八幡にある八幡山の里山が荒廃していたので、入塾後1年たった頃に「八幡山の景観を良くする会」を設立した。少人数で始めたが、13年間継続しており、約360回、延べ6600人のボランティアの方に作業を進めていただいている。
    その実績が認められたのか、昨年の5月には、個人の方から1.3ヘクタールの竹林を譲渡したいという申し出があった。「八幡山の景観を良くする会」では手におえないので、「一般社団法人秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会」を設立した。歴史的な要素が名前に入っているので参加者のモチベーションが高まっている。
    他には「八幡堀を守る会」の活動も行っており、来年30年を迎える。「認定NPO法人ヴォーリズ遺産を守る市民の会」の活動にも参加している。ヴォーリズは近江八幡市で約60年間過ごされた全国的にも非常に知名度の高い方。それを活かさない手はないということで、2009年に「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展in近江八幡」を開催した。その後、没後50年にあたる2014年に「ヴォーリズ・メモリアル50 in 近江八幡」を開催し、いずれも全国から、特に東京方面から合計2万人が来場された。
    いずれの活動も、おうみ未来塾で学んだ地域プロデューサーの知見が大変活かされていると思っている。
  • おうみ未来塾では「ひょうたんからKO-MA」というグループで活動し、「権座(「西の湖」の中にある島状の田んぼ)」でコンサートを行った。その時の学びをもとに地区の婦人会の会長や甲賀市の「黒影米」の米粉を使って開発した黒い忍者餃子の餃子屋の女将をしている。本業では甲賀市国際交流協会の事務局をお預かりしており、多文化共生の地域づくりに取り組んでいる。国際交流協会だけが国際交流や多文化共生の取組をするのではなく、地域の方々がそれぞれに多文化共生の視点を持って活動してくださることが多文化共生の地域づくりが広がっていく基礎になると考えている。まさにこのことが初代塾長の日高先生がおっしゃった“Think locally, Act locally, It becomes globally.”であり、今の活動に直結していると思う。
    多文化共生社会をつくろうと言う時の「社会をつくる」というのは大層なことのように思えるが、多文化共生の視点を持った人が地域に増えることで自ずと多文化共生の地域になるという考えを掲げ活動している。
  • 20年ほど前に、自宅の母屋を体験型の宿にできないかと思い、あちこち動いていたところ、おうみ未来塾の卒業生から「おうみ未来塾に入るとつながりが広がる」と勧められて入塾した。宿の目玉にしようとしていた綿の栽培に、県立大学や障害者施設が関わってくれていたので、それをグループ活動にした。
    「おうみこっとん夢つむぎ」という名前で栽培から商品化まで取り組んでいる。去年、丸9年のイベントを終えたところ。休耕地はたくさんあるし、元気なお年寄りもいっぱいいらっしゃる。いろんな分野のいろんなことを得意とする人が集まってきて参加してくれている。年3回種まきと綿摘みのイベントをしており、他府県からの参加者も多い。最近では、和歌山県で開催されている定年後の生涯学習のイベントや大阪府で開催されている子ども向けの科学教室のプログラムとして取り入れられている。石川県でも障害者やひきこもりの方の仕事として取り入れられ始めている。
    「おうみこっとん夢つむぎ」では、種から布の商品を作っている。種を布にする工程は近江上布の技術屋さんにサポートしてもらった。畑では白と茶と緑の綿を栽培している。サイクルが出来上がって収入が得られるようになったら、すごいことだと思っている。うちの商品は普通の木綿と全く違う。木綿は堅い冷たいと思われがちだが、うちの商品は柔らかく暖かい。このことを分かってもらえるよう説明を続け、やっと彦根市のふるさと納税の返礼品に採用してもらえた。「ここ滋賀」にもおくるみを納品している。危ないものは何も含まれていないので「布を使い古して、雑巾にして最後は土に還してください」と言って売っている。衣料品は縫製する方の収入が低いので、みんなが公平に収入を得られるように変えていきたい。
  • 私は在学中にアートで福祉を元気にしようと、湖北地区でアール・ブリュット展を開催したり、作業所の商品をみんなでかわいくおしゃれなデザインにして売ったりする取組をしていた。今はその時関わってくださった作業所にアート活動の指導に行ったり、公民館や小学校でアート活動をしたりしている。「+nico(プラスニコ)」という活動を行っていた時には、大きなことはできないけれど、活動する中で、誰かが笑顔になればいいと思い活動していた。「笑顔をプラスする」ということで「+nico(プラスニコ)」と名前をつけた。今も活動する時には皆さんが少しでも笑顔になるようにということを基本に思っている。
  • 私は県外の大学に行っていたが、卒業後は滋賀で暮らしたいと思い、Uターンで帰ってきた。滋賀に帰った年に、大学時代から気になっていたおうみ未来塾の募集があり入塾した。塾でグループ活動を行うにあたり、仕事で関わっている地域で何かできないかと思っていたところ、情報誌の営業で回っていた甲賀市水口町周辺で動きがあり、そこに関わらせてもらうことになった。「鹿深deござれ」という多文化共生をテーマとした活動を始めた。4年前に卒塾したが、その次の春に市の協働事業に応募し、甲賀市との協働事業の形で引き続き3年間活動を行うことができた。その3年間の活動が去年終了し、今年から自分たちの足で立って進めていかないといけないので、ハラハラしながら取り組んでいる。
    私は守山市出身だが、水口出身のメンバーもいて中の人と外の人が関わり合いながら活動している。5年間続けてこられたのは、合意形成の方法などおうみ未来塾で学んだことが活きているからだと思う。
  • 「チーム北之庄」の代表をしている。活動のテーマは近江八幡にある北之庄菜の魅力を活かして人と人、人と地域をつなぐこと。北之庄菜は色合いが日野菜に少し似ているが、大根のようにぷっくりした姿が特徴のカブの一種。北之庄菜の栽培を「北之庄郷の会」という地元農家の方がやっておられる会と一緒にやっている。地域の食文化と豊かな自然環境や景観を継承することを目的に活動している。北之庄は水郷が非常にきれいで、最近ではラ・コリーナ近江八幡があるところとして有名。
    北之庄沢という水郷の清掃活動もしており、「北之庄沢を守る会」という地域の方がやっておられる会で一緒に活動している。
    北之庄菜は江戸時代末期から昭和30年ごろまでに栽培されて、保存食として活用されていたが、食生活・ライフスタイルの変化で生産されなくなった。地元の方が20年ほど前に偶然たばこ屋のマッチ箱の中から種を見つけ、復活されたという本当に貴重な伝統野菜。おうみ未来塾での活動がきっかけで種を分けていただき栽培している。
    近江八幡市内の学校給食に年に2回ほど出荷させていただいている。地元の飲食店、主に日本料理屋さんにも出荷している。
    水郷の清掃活動では、田舟に乗って水郷一帯を清掃するが、大雨や台風の後には、1回でゴミ袋20袋分くらいのゴミがとれる。水質保全のため、ヨシ刈りやヨシ焼きも、地域の方と一緒にしている。北之庄菜と水郷のきれいな景観を次世代につなぐという思いを込めて今後も活動を継続していきたい。
  • 「キモチカエル@兵主」というグループの代表をしており、2015年に野洲の兵主大社で「兵主マルシェ」を開催した。兵主大社は2018年に御鎮座1300年を迎える。1300年祭を食で盛り上げるためのプレイベントの位置づけでマルシェを開催した。2016年も開催し、2017年も10月に開催を予定していたが、台風で延期になった。5月26日に延期分を開催する予定。回を追うごとに出店者数も増え、3度目は兵主大社さんにも拝殿でのライブを手配いただくなど、多大なる協力をいただいている。
    地元に住んでいる私が中心となり、宮司さんとの事前打ち合わせなどを行っている。遠方のメンバーもいるので、SNSでのミーティングが中心となるが、マルシェ当日はメンバーそれぞれが持ち味を活かして、それぞれの役割で力を発揮してくれるという信頼感があるので、今まで続けて来られたと思う。
    3年計画なので再来年以降のことは未定。今は第3回マルシェを無事終えることで頭がいっぱいだが、兵主マルシェ実行委員にはおうみ未来塾生以外の地元のスタッフも関わってくれているので、今後のことは地元スタッフや兵主大社さんと話し合って決めていきたい。
    野洲でママサークル「MOMOやす」の代表もしている。3年前に野洲で子育てをしているママたちと「野洲でおもしろいことしたいね」という話になった。当時は子ども連れで楽しめるイベントや講座は市外での開催ばかりだったので、それなら私たちが近場で開催して野洲に来てもらおうということで意見が一致し、「MOMOやす」を立ち上げた。「MOMO」という名前は「MAMA」の「A(エー)」が「O(オー)」ということで「MAMA(ママ)」が「エーがオー(=笑顔)」でいられるようにという思いを込めた。野菜ソムリエの資格を持っており食に関わって活動しているので、そのつながりを活かし、親子で野洲市内の生産現場を訪れて体験する食育ツアーの開催や、赤ちゃんが生まれたばかりのママが気軽にワンコインで参加できる講座「ママ活」を開催している。先日は地元の麹屋さんにお願いして、お正月用の白みそ教室を開催した。メンバーや会員さんからの声をもとに親子で楽しめる教室を企画し運営している。
    いずれもおうみ未来塾で学んだ「自分たちが楽しむこと」を原動力に活動している。
  • 自分が暮らしている長浜市木之本町高時学区の森を活用した「森・活き・生き・本き高時」という活動を行っている。高時は典型的な中山間地域であり、少子高齢、過疎、空き家など様々な問題がある。これから超高齢化社会に向かうにあたり、足腰強く自立できるような地域にしていかないといけないと思っており、事業で得た利益を地域の問題解決に当てていければと思っている。
    高時は昔から林業の盛んな地域で、今も製材所が2つある。昔は大工さんが何人もいたが、今は廃業したところが何件もあり、空いている作業所もある。山に入って木を切ってすぐ製材して加工すれば運送が不要になると考え、間伐材に着目した。間伐材を12センチ角の角材にし、それを1mの長さに切って積み上げていく家を考案した。家を考案したきっかけは、地元の大工さんが熊本の震災のときに、現地に行って建てた2軒6畳間の家がすごく喜ばれたという話を聞いたこと。大工でなくても被災者自身が木づちで自力で組み立てられるものがあればいいのではと考えた。
    復興支援住宅という位置づけなので、日本の中心に位置し、大量生産・大量消費時代の倉庫が国道沿いにたくさん余っている滋賀なら、角材を大量にストックし、他県で災害があった時にすぐ届けられる。構造も県立大学と共同研究し、耐震性があるという評価をいただいた。
    「売り手よし、買い手よし、地域よし、森林の未来よし」で四方よしの家である。ぜひ滋賀県でもやってほしい。

おうみ未来塾での学びと地域課題について

  • 最初の基礎講座で色んな人の話を聞くが、その時にも自分の活動のことはずっと頭にあった。もっとああしないと、次はこうしないとと常に考えていた。グループ分けのときに自分がやりたいことを話して、共感してくれたのが今の活動のメンバー。本当にできるのかという不安はあったが、仲間がいたのは大きかった。地域に利益をもたらしたいという共通認識がある。
  • ないのはお金だけで、土地と人材はある。私はもともと主婦だったが、おうみ未来塾へ入って、様々な人と話す機会ができた。普通の主婦ならこんなチャンスはほとんどない。主婦だけで終わっていたらこんなに楽しい20年はなかった。
  • おうみ未来塾では、やりたいことを声に出すと、あんな人いるよ、こんな人いるよと様々な人を紹介してもらえる。
  • 入塾する前にも、地域の方などとのネットワークはあったが、個人で動いていることが多く、自分でできることの限界があった。グループで取り組むことでもっと大きなことがしたいと思い、おうみ未来塾に応募した。
  • 多文化共生に関して言えば、その地域の中で顔の見える環境をつくることはまだあまり進んでいない。災害が起こった時に「ポルトガル語を話せないからブラジル人に声をかけられない」ではなく、やさしい日本語で「にげましょう」と言いあえる顔の見える関係づくりが、このSNSの時代だからこそ大切。
  • 在住外国人の方に忍者の衣装を着て街を歩きましょうと言ったら50人ぐらいの方が参加してくださる。良い資源があるので、それを地域に住んでおられる外国人の方から発信すると良いと思う。
  • おうみ未来塾に入って感じたことはどの活動もまちおこしを目的にしているということ。自分たちの活動も近江八幡というブランド力を高めるための一助になればと思っている。そういう思いの人がたくさんいれば近江八幡の魅力が高まるし、ブランド力を確立すれば、少しでも高く買ってもらえる。自分たちの住んでいる地域に誇りを持ち、他の人にその魅力に気づいてもらうことが大事だと思う。自分たちの取組で新しく作ったものは一つもない。今まであるのに埋もれていたものに磨きをかけるという取組をしている。
  • 近江八幡に来られる方は八幡堀を目的に来られることが多いが、八幡堀の水質が汚い。ヘドロがたまっている。八幡堀の水位を保持するための堰を電動機械式にしてほしい。そうすれば簡単に堰を上げることができ、水とともにヘドロが流れ出るのではないか。国や県がお金を出すのは一部で良い。あとは公共事業でなく、市民に呼びかけてみんなで浚渫(しゅんせつ)(河川に堆積したヘドロを取り除く)をやろうと思っている。近江八幡は公共のために尽くすという気持ちを持った人が多く、みんなで美しい八幡掘を守っていけると思う。八幡堀は滋賀県の宝であるし、観光客を増やす一助にもなると思うので、お力添えいただきたい。
  • 県全体では18万世帯(3軒に1軒)が生協の会員になってくださっている。滋賀県の生協は70年代に小さい生協が県の東西南北に生まれたのが始まり。子どもたちに安全な食事をとの思いを持ったお母さんが結集した市民団体の市民事業として発展してきた。滋賀県では琵琶湖の水を守ろうという運動とも大きな結びつきがあり、「抱きしめてBIWAKO」の取組も先代の世代の生協の人たちが大きく動かれたと聞いている。
    「コープしが」では、今色々な地域課題を考えていこうとしているが、それは生協が「こうだ」と言って旗を振って済むものではない。地域課題を地域の中にいる色々な人たちが見出す中で協働していくことが重要。今一番の課題と考えているのは、様々な世代の人たちが関われる場を意識してつくることである。福祉や地域の中ではどうしても縦割りがあるが、子育ては子育てだけ、障害者はまた別の部署でなく、それを乗り越えて地域を受け皿にしないといけない。「コープしが」の組合員さんも、そのような取組をしている人たちがたくさんおられる。未来に広げていくためには、地域の中で生きた結びつきをもっと作らないといけないと思う。
    生協も淡海ネットワークセンターに「笑顔あふれるコープしが基金」を提供させてもらっている。「一般社団法人秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会」さんや「MOMOやす」さんも使っていただいている。市民の協働の事業がいろいろな活動の結びつきの中で循環していくことを促進する役割も果たしたいと思っている。
  • 12月末に沖島へ行くエコツアーを開催する。地域課題も抱えながら、現地で頑張っておられる女性を称え、お話を聞くシンポジウムを開催する。往復は琵琶湖汽船の「megumi」を利用し、船上セミナーを行う。沖島でイサザの「じゅんじゅん」などを振る舞う予定。
    一昨年の夏からエコツーリズムを推進するためのフォーラム、リレーサミット、シンポジウムを開催してきた。エコツーリズム協会しがを設立しエコツーリズムに取り組んでいる。おうみ未来塾の北村塾長や藤井アドバイザーも巻き込み、一緒にやらせていただいている。
    エコツーリズムは今、世界共通の用語になっている。エコツーリズムは観光や旅行と違い、ミッションがある。例えば、世界の貧困をどのように救うかということや、ライオン一頭殺して毛皮で儲けるくらいならこういうことをしようというようなことも考える。エコツーリズムは日本ではまだ浸透していない。こんなに自然に恵まれているのに当たり前だと思っている。琵琶湖は世界に誇る環境の湖。絶対ブランドであり、全国ブランドにとどまらない世界ブランド。大きな夢を抱きながら、色々な小さなことに取り組んでいる。
  • 製材の時に出る端材を利用した薪ボイラーを考えている。専門家が移住してきたので、いろいろアドバイスをいただきながらタッグを組んでいる。
    滋賀県の6分の1は琵琶湖だが、2分の1が森林。そして戦後植林された森林の木々は伐期を迎えている。間伐も必要。今は森に太陽の光が入らないので、草も生えていない。先日2度台風が来て、2度とも避難勧告が出た。今まではそんなことがなかったのに、雨が降っただけですごく水位があがってしまう。つまり、山に降った水がそのまま川に流れている。
    復興支援住宅は災害をあてにしているのではなく、角材にしてストックするとかなりの量の木が切れることがねらいの一つ。大きな木材よりも、一定の規格の木材の方が使い勝手が良く、加工しやすい。
  • 滋賀は湖と森林とお年寄りだと思っている。お年寄りが多い。今私が住んでいるところは34軒しかないが、半分以上がお年寄りだけの世帯。でも、子どもがいる世帯の人は、「この地区は大変だから出て行きなさい」と自分の子どもに言っている。「外で家を建てなさい、長男は地域の役が回ってきて大変だから」と言う。本当は出て行ってほしくないが、自分たちが大変な思いをしてきたので、子どもたちにはそのように言う家が多い。それは少し違う気もするが、解決策がわからない。
  • 少しでもお年寄りに元気になってほしいと思い、サロンを始めたが、町内の軒数が減っていくのでどうしたらいいか悩んでいる。これ以上できることはないかもしれないけれど、今のお年寄りに少しでも元気になってほしいと思っている。
  • 神社やお寺、自治会などの年間行事が2年後にはどうなっているかわからない。やりたい仕事があれば住めると思うが仕事がない。農業や山仕事がやりたい若い人は実際に何人も転居してきている。これからも入ってくる人はいると思うが数が少ない。今の高齢者の次の世代は出ていったが、その次の世代はむしろ良いと言って入ってきてくれるかもしれない。じっくり考えたら田舎の方が暮らしやすいが、収入がないと生活できない。
  • 若いお母さん同士で集まって思いを言い合える場は大事。私たちの地域は新しい女性が入って来ない。婦人消防もあるが、人材が底をついている。マルシェなどを開催すると若い世代の人には良いところだと言ってもらえる。取組を発信して、こんな楽しいことをしていると言っていくことが地道な活動。

知事から

対話を振り返って

  • 皆さんが未来塾に参加しようと決められたその一歩に改めて敬意を表したい。おうみ未来塾が皆さんを応援できているなら、こういう機会や組織は大事だと改めて思った。おうみ未来塾をよりよくするために何をすればいいか、課題があるとすれば克服するために何をすればいいか、また皆さんで考えたい。
  • 地域の良いところを住んでいる私たち自身がまず知ることが大事。うちの地域は全然だめだと思うこともあるかもしれないが、良いところをとらえて一緒に取り組んだり、つながったりしていけると良い。
  • 皆さんの問題意識や取組にとても感銘を受けたので、皆さんの活動をどう応援したらいいのか、皆さんの活動とどうつながっていったらいいのか私なりに考えたい。