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第38回 「こんにちは!三日月です」

  • 対話相手「奥永源寺の地域資源を活かし暮らす地元住民」の皆さん

「奥永源寺の地域資源を活かし暮らす地元住民」の皆さん

今回は、「奥永源寺の地域資源を活かし暮らす地元住民」の皆さんと対話を行いました。

市町合併により山から琵琶湖までのつながった地域となった東近江市は、資源・エネルギー、医療福祉、地域素材を活かした仕事づくりなど、これまでの枠組みにとらわれず、地域における様々な好循環を生み出していこうと他地域に先駆けた積極的な取組を展開しておられます。中でも、人口減少がすすむ奥永源寺地区においては、外部からの様々な人材と地域の力を合わせて、未来に向けた地域づくりを進めておられます。

今回は政所茶の茶畑や茶房を見学後、奥永源寺の特産品、工芸品、自然等の地域資源を活かし暮らしておられる皆さんと奥永源寺の今と未来について語り合いました。

知事から

今回の対話について

  • 奥永源寺の蓼畑町で5日間、山の暮らし、山の生業を体験するという取組をさせていただいている。ここに来る前は、政所の茶畑を見せていただいたり、おいしいお茶をいただいたりした。
  • 奥永源寺も過疎や高齢化で色々と課題があるかもしれない。その一方でお茶やこんにゃくなどの産物や木地師(轆轤(ロクロ)と呼ばれる特殊な工具を使って木工品を作る職人)の文化・技術など資源がたくさんあるので、それをどうやって活かして、より多くの方々に知ってもらうのかということを一緒に考えていきたい。

「奥永源寺の地域資源を活かし暮らす地元住民」の皆さんから

奥永源寺の魅力・現状について

  • 今回の会場である道の駅奥永源寺渓流の里は、以前は政所中学校であったが、子どもの数が非常に少なくなり閉校となった。
  • 渓流の里の前を通っている国道421号線は、ここから5キロほど先の石榑トンネルが開通してから、交通量が非常に多くなっている。道の駅へは、いなべ市をはじめ、三重、愛知、岐阜、さらには、東海圏、静岡、遠くは神奈川辺りのお客さんも来ていただいている。
  • 急激な過疎、高齢化が進んでいる地域ではあるが、道の駅が地域活性化、地域創生の起爆剤になればよいと考えている。
  • このあたりは自然が素晴らしいので、その自然に根ざして、政所茶やこんにゃく、森林資源などを活用して地域の活性化に結び付けたい。
  • 現代社会には色々なストレスなどがあると思うが、山を歩くことによって昇華され、飛んで行くこともあるので、ぜひ来ていただきたい。鈴鹿の山の魅力は、どこの山でもそうだが、苦しい山登りをして頂上に立ったときに展望がすごくきれいであるところ、また滋賀県側の鈴鹿は、谷や、尾根や、沢が、複雑に入り組んでおり、未知への憧れや冒険心をくすぐってくれる。逆に言うと、道迷いの遭難に結び付くので、危ないところ。もうひとつの魅力は、人が山に入って生活をしてきた関わりにもある。木地師、木工も含めた林業や、鉱山跡、炭焼き跡もあり、山に入ると、こけむした集落跡などがたくさんあり、多くの人が暮らしていたことを実感できる。そういう魅力をできるだけたくさんの人にアピールしたい。
  • 登山者から道や標識などの状態を報告いただき、取りまとめたものを道の駅で公開している。道の駅がオープンしてから今まで200件以上の報告が寄せられており、登山をされる方の参考になっている。
  • 中部圏から来られる方がほとんどで、滋賀県内から来られるお客さんは、全体の4分の1くらい。県内のお客さんももっと増やしたい。
  • ここ数年思うことは、ずいぶん空き家が増えたということと、人の往来が増えてずいぶんにぎやかになったということ。色々な企画などをやるにしても、現場に人がいることが一番大事だが、このまま10年、15年したら危機的な状態になることは間違いない。一番いいのは、ここ出身の人が帰ってくることだと思う。でも、帰って来られるタイミングは定年になったときになることが多い。
  • 政所町でも私が生まれたころは100軒以上あったが、今は50軒を切った。そのうちの約2割がよそから来られた方。よそから来る人がいなければ維持できない状態になっている。
  • ここが嫌で出る人もいるし、出なくてはやっていけない人もいる。そして結果的に、たくさん出ていってしまう。でも、ここはいいと思ってくれる人には来てもらいたい。よそから来た人が地域行事やまつりをやってくれている事例もある。

参加者の取組について

  • 蛭谷町は木地師の発祥の地で全国的に知られている。この土地が好きになり、周りの大反対を押し切って18年前に移住してきた。蛭谷町は昔、林業中心で栄えていたが、時代の流れで衰退し人口が減ってきた。みんなが「飯が食えん」と言って職を求めて出て行ってしまう場所で、自分は何をしてでも飯を食ってやると思った。今は、皆さんに木地師と言われているが、今に至るまでは林業で木を切っていた。いろんな仕事をここで覚えて、大工仕事やリフォームなどできることを何でもやった。雪が降ったら除雪もした。何をしてでも金に換えてここに住むという意思でこちらに来て18年たったいま、来たときよりもこの土地が好きになっている。
  • 政所茶は「お茶は政所」「宇治茶にも負けない政所茶」と言われているが、名前だけで、今は非常に寂しくなっている。このままだと、時間の問題で絶えてしまうということで今年の4月に政所茶生産振興会を立ち上げた。
  • 戦前くらいまでは家の中で製茶をした時代があり、私も小さいころから親の手伝いをしていた。しかし昭和の終わり頃からどんどん絶えてきて、みんな給料生活をするようになった。林業もどんどん衰退するし、寂しいが、限界集落と言われる地域になってきた。
  • 政所茶生産振興会は地域の70軒ほどの方が会員。しかし、役員になった人のほとんどは地域外に住んでおり、休みのたびに帰って来て茶園を手伝っているという状況である。政所に住みながら茶園を営んでいる人もお茶では全然儲けていない。これではいけないということで、やっと少し動き出したという状況である。
  • 昨年度末に政所茶のペットボトルを作った。政所茶には煎茶の副産物として平番茶という独特のお番茶がある。しかし、お番茶で売っても売れ残るため、皆さん畑に取り残しておられる現状があった。これを何とかしたいということで、農協さんの御尽力もありペットボトル化が決まった。3月末に25000本作ったが好評で、第2弾の生産が決まった。会議などで、たくさん使っていただいたり、道の駅でたくさん買っていただいたりしている。政所茶をペットボトルにするというのも賛否両論あるが、まずは知っていただく、間口を広げるという意味で生産に踏み切った。道の駅でペットボトルを買ったらおいしかったと言って茶葉を買ってくださる方もいらっしゃった。
  • 3年前に、東近江市の地域おこし協力隊の第1期生として移住してきた。農業については全く知らず、政所茶という名前も知らないくらいの状態だったが、地域の方の政所茶に対する愛情や責任感、先祖から守ってきたものを大事にされている思い、お茶で食べている家は1軒もない状態で儲けを度外視したものを大事にされてきている文化などにすごく胸を打たれた。私のような素人でも何かできることがあるならと思って移住してきた。この3月末で地域おこし協力隊の任期は終わったが、引き続き政所町に残らせていただいている。
  • 地域おこし協力隊が終わる半年前くらいに、一人でよそものが、地域のなかでもがいていても限界があると思い、政所茶を生産されている方に相談をした。すると皆さんも何とかしたい思いはお持ちだった。政所茶は生産組合がなく、1軒1軒で課題を抱えておられる状態だったので、課題の共有や支え合いができる組織をつくろうという話になり、今年の4月に政所茶生産振興会ができた。今はお茶が生業になっていないが、政所茶で食べていっていますと言えるようになれたらいいと思っている。
  • こんにゃくは永源寺名物として売っている。市が合併する前は、住所が滋賀県神崎郡永源寺町箕川だったため「永源寺」が入っていた。しかし、今は住所が滋賀県東近江市箕川町なので「永源寺」が入っていない。永源寺のお寺とも少し距離が離れているので、今後「なぜ永源寺名物なの?」という疑問がでてくるのではないかと不安に思っている。現在は永源寺で4軒がこんにゃくを作っている。コンニャクイモだけで作ることにこだわっている。昔は茶畑の間でコンニャクイモを育てた。今でも作っておられる方が秋口に持って来てくれるが1年分をまかなうには足りない。ですので、群馬や広島から仕入れるが、収穫時期は1年に1度なので、10トン車で運んでもらっている。収穫時期が11月の末なので、雪が降ると10トン車が入ってくるのは無理なので、途中まで来てもらい、そこからは軽トラでピストンで運んでいる。だからといって道を広げると、素晴らしい自然が壊れるので難しい。こんにゃくは道の駅でも1番の売れ筋である。
  • この間、惟喬親王祭(これたかしんのうさい)があり、全国から200人ほどの木地師が集まった。工芸的な職業は、木地師に限らず、神様をかなり重んじる方向性がある。惟喬親王は木地師の神様で、大工であれば聖徳太子を神として大事にされる。
  • ここでは一人の役割の大きさをものすごく感じる。みんなが自分を使ってくれて喜んでくれる。仕事も回してくれて、みんなが生活を応援してくれる。ここはそういう場所である。本気であれば、ここで食べていくことはできると思う。都会でないから試されるし、正直にやらなければはじかれるし、時間もかかるかもしれないが。自分の仕事は、今後この地に来た人がちゃんと食べていけるように道をつけることだと思っている。

今後の取組について

  • いかに政所茶ならではのブランディングをしていくかが本当に難しい。生産コストを落とすために農薬をかけるわけにもいかないし、周囲の植林の木が大きくなっているのですぐに面積を広げるのも難しい。なので、いかに政所茶のストーリーや背景をお客さんに伝えていくかというのが課題だと思っている。
  • 農薬を使わずに育てているのは売りではあるのだが、先日東京で政所茶をPRしてアンケートを採ったところ、東京のお客さんは無農薬だけではもうあまり反応しないことが分かった。お茶をつくる過程をご存じないと、無農薬のよさが分からない。お茶は、摘んでから、葉っぱを洗わずに加工に回すので、野菜よりも更に無農薬のよさがあると思うが、その加工の工程を知らなければ良さは伝わらない。そこをもっとたくさんの人に、触れて、感じていただけるようにしないといけないと思っている。
  • 森林組合の本業は林業なので、素材生産を重視しているが、同じ地域で仕事をしている仲間として、お茶の手伝いや木地師の手伝いなどができないかと若い職員と話しながら考えている。森林組合の職員は、地域の方にまだ顔をあまり知られていないと思うので、地域の活動に森林組合の若い職員などが積極的に出て行き、地域で一緒にわいわいやって信頼関係を築いて、そこから山の話へもっていけるような展開にしたい。
  • もともと政所の方はお茶と林業と炭で生活をしていた。ひとつのものづくりだけでなくて、山の仕事もやるし、お茶づくりもやるし、茶畑のなかにこんにゃくも作っていた。このような色々な要素をうまくつなぎ合わせられるような仕組みを作らないといけないと思っている。
  • 何といっても今はマンパワーが大事。一度出て行った方がUターンで戻ってこられたり、地域おこし協力隊のようにIターンで都会で育った方が新たな魅力を感じて来てもらえたりということを増やしたい。
  • この地域のファンになり週末農業で通ってくれている人もいる。色んな交流人口で、この地域はやっている。そして、それを受け入れてくださるような懐の広い方々が地域にいてくださる。
  • 移住は仕事や子育てなど色々なハードルがある。そこで、一段ハードルを下げて、週末だけ通うというのもいいと思っている。地域の方も、どこの誰か分からない人に家を貸すのは抵抗があるが、通っている間に顔なじみになって、この人なら貸してもいいと思って貸してくださる場合もあると思う。

知事から

対話を振り返って

  • 奥永源寺に短期居住して、フランクに話してくださる皆さんの人のよさに感動している。今後、この地域を体験した者ならではのPRをしていきたいと思っている。
  • 今日だけですぐに物事が解決、改善するということはないが、これからもつながり続けて、一緒に悩みを共有していきたい。こんなときどうしたらいいだろう、こんなことをやったので見に来てほしい、PRしてほしいと相談していただけるようなつながりを、これからも大事にしていけたら嬉しいと思う。